精神の病の話②

こんにちは。書きかけをひと月ぐらい放置していたため、書き出しを書き直さなければおかしなことになるな、と思い、ダーッと全部削除しました。
結果何を書けばいいのかわからなくなってしまった。放置、よくない。

さて、自分がどんどん忘れてしまうことを自覚したので、なるべく早く精神の病の話を記録に残しておこうという試みでございます。
前回は以下。入院に至るまでの経緯の話。

今回は実際に病院にぶち込まれてどんな生活をしていたかを書くつもりです。

病院に入った前日の妄想の話

前回の記事で「簡易ベッドで聞いた異音の話」として書いた、眠る恐怖を得た日の話。思えばその日の妄想が結構ひどかったなということを思い出したので記録しておきます。

・前日の夜、寝付けないことを母に相談。客間に布団を敷いてもらい、寝なさい、と強めの口調で言われた。自分の呼吸や会話のペースをコントロールすることで母を眠りに誘うような「催眠術を使っている感覚」みたいなものにとらわれる。
・巨大な砂時計のようなものを身体の動きをコントロールすることで動かし、時間の流れを支配している、という妄想にとらわれる。考えてみればこれは1回目の発狂の時もあった。
どうやら、「時間間隔を操り、空間をコントロールし、宇宙の法則の一端を解き明かした」みたいな妄想がずっと脳内にこびりついており、退院した後もしばらく妄執していたので、退院後の療養期間を経たことが重要だったなというのは今更ながら思う。

病院で正気に戻るまでの話

当日朝の話

入院した日が5月の24日、隔離病棟を出たのが27日のことだったと思われる。その4日間の記憶はものすごくあいまいです。
どうも病気の特徴で健忘症が残るらしく、実際一回目の発狂以後記憶力が著しく低下しているなとは思っていたんですが、それでも「一度覚えていたことを忘れてしまった」という感覚はなんとなくあるのです。でもガチ発狂している最中~正気に戻るまで(つまりは病院に引っ張っていかれて隔離病棟にぶち込まれている間)のことは、実際に見て体感していたはずなのに一切覚えてない場面があり、とぎれとぎれの記憶だけが残っている。本気で一番脳に負荷がかかっていた状態だったのかなあ、と振り返ると思う。

以下覚えている妄想と妄言のこと。

・部屋のものをちょっとずつ動かしてはその感覚で何かに納得する、占いみたいな行動をしていた。ものに対するイメージ、人の写真や連想されるキーワードみたいなものを心に浮かべて、それによって連想するものを基に次の行動指針を考えて、ものを移動させて、また考えて……みたいなことをキャッキャしながらやる感じ。自分の体の微妙な配置の差で感じる感覚の差から未来の行動を予知するみたいな……あかん何言ってるのかわからん……と今思い返すと思うことを、記憶しているのになにやってたかわからないというのは結構怖い。
・「宇宙言語の翻訳とそれによる未来予知」をしていた。これも一回目の発狂の時もやっていた気がする。なんかよくわからない大原則みたいなものをうまいこと日本語に落とし込もうとして日本語だけではうまくいかず、聞きかじりの英語だの中国語だのっぽい要素を組み込んでなんとかしようとしていた。
・演劇みたいな言動をとっていた。基本的には喜びの感情を顔面いっぱいに表現し、声のトーンから動きに至るまでダイナミックに「知的好奇心が満たされた喜び」みたいなものを表現しながらわけのわからないことをまくしたてている様は、たぶん同じ家にいた両親的には恐怖だったんじゃなかろうか。これも一回目の発狂でも似たようなことしてた。

はてさて「演劇みたいな言動」「宇宙言語の翻訳」を移動最中も繰り返しながら気が付いたら病院におり、たぶんまともに歩けなくて車いすで連れ込まれて、コロナの検査を受けました。その間も見えてる状態をうまく把握できず、聞こえるワードから連想を繰り返してわけのわからないことをしゃべって、周りにいる看護師さんに突っ込まれる、みたいなことをしていたと思う。自分が今いる時間帯がわからなくて、現実を現実であると認識しきれてなくて、「自分はコロナで入院する(パターンもある)のか」とか一人で言ってたら「陰性でしたよ」みたいなことを突っ込まれたような記憶がおぼろげに。

その後のことはま~~~~~~~じで覚えてない。たぶん点滴を受けたりしていたはず。

状況を把握してから

何がきっかけなのか、タイミングがいつだったのか、それもあいまいだけれど急に「自分が病室に隔離されている」という現実を認識したタイミングがありました。たぶんだけれど、入院2日目か3日目かそこら。
2度違う病院で精神科の隔離病棟というものを経験してますが、基本すっげー独房です。外鍵の扉、部屋内備え付けのトイレ、ベッド、窓。基本それだけ。ドアの外側から貼られた「あなたは今隔離中ですよ」みたいな契約書みたいなものが急に認識できて、ああ、またか、と思った。

認識してからは捕獲された野生動物のような気分で、日付も時間も次に何が起こるのかもわからず周りの物音にびくびくしながら、「多弁と多動がやめられないぞどうしよう」ということをまくしたてながら、次に何が起こるのか待っていた。ときおり看護師さんが来て、お手洗いに関する応対をしたり、食事を運んできてもらって部屋で食べたり、薬を飲んだり、なんだかいろいろあったような気がするけれどすごくあいまい。
一回暑くて全裸になったらそっと看護師さんが入ってきて「男の人も見てるから服は着ようね」と服を着せられたことで初めて「監視されている」ということに思い当たり、それまで思いのたけをべらべら喋りまくっていたことが急にものすごく恥ずかしくなった。でも多弁は止められなかった。(あとから聞いたら監視はしているけど音声は拾ってなかったみたいなのでちょっと救われた)
途中で「日付と時間がわからない」ということを訴えて、時計を外側から見えるように提示してもらった。日付はあいかわらずよくわからなくて、でも時間だけわかるようになり、じっと退屈な一人の時間を過ごしながら、「体感時間の差というのは個々に流れる時間の速度の差で、時刻として共通の時間が刻まれているから足並みをそろえられるのか~」とか考えていた。

筋肉痛と柔軟性の向上

入院初日、自宅で身体の可動域の限界に挑戦!と言わんばかりにハチャメチャに動いたので気が付いたら全身痛く、これ骨折れてるかもしれないと思った。なんだか落ち着かなくて自己流のヨガみたいな動きを繰り返しており、それは隔離が解除されても続いたが、ほかの人から体やわらかいね、と言われることが多かった。無理やり動かしたことで記憶しているより可動域が広がったかもしれない、とも思う。

隔離の解除

入院4日目(という認識はなかったけれど)、隔離病棟から一般病棟に移りました。自分がどこにいるか、何をしているかが把握できて、会話に応答し、食事をとり、ということがきちんとできていたからだと思うのですが、思ったよりはるかにスムーズに隔離解除されたなあという気持ちでした。

さてやったことは日付の確認。そして、直近に人と遊んだりする予定がかなり入っていて、それをなんとかしなければいけないという思いにとらわれ、それを医師に相談しました。
結果、「そんなにすぐには病棟を出ることができない、最低でも一カ月は入院してもらう」という現実を突きつけられ、ひどく落ち込んだのを覚えています。それでも自分で自分の予定の管理をしたい、と訴えたら、日に数度、限られた時間ではありますが、携帯電話を使った外部連絡の許可が下りました。この辺も割と柔軟な対応をしてくれるんだな、と驚きました(一回目の入院では携帯をいじれなかった)。

必要最低限の連絡しか取れませんでしたが、ツイッターで調子悪い旨をさらしており、それを心配して連絡をくれた人が一定数いたのが非常にうれしかったです。ありがたいですね。

感覚の異常

隔離状態から解放されて、五感の感覚がおかしくなっていることを実感しました。
もともと味覚、というか口の中を感じる舌先の感覚が鋭くなっていることと、音に対する反応性が異様に良くなっていることは隔離状態でもなんとなく自覚していました。隔離病棟を出てからは、特に視覚がすごくおかしくなっており、人工物の色合いがものすごくキツく見え、逆に窓から見える自然の風景がものすごく美しく見えるという現象が起きており、しばらく自分の五感が変な進化をしてしまったのではという疑いを捨てきれずにいたことを覚えています。
一番やばかったのはテレビが真っ青に見えたこと。液晶画面はブルーライトを発しているというのはよく聞く話ですが、画面一面青色に見えるという不思議体験をしました。あれも幻覚の一種なんだろうか。

あと温度変化にすごく敏感になっており、0.5度単位の差がすごく気になっていた。病棟の都合上窓を開けることがあまり想定されてなく、常に個室ごとに空調で調整する環境でしたが、寝るとき25度ぐらいの室温にすると安定して寝やすいことがわかり、退院以後もずっと室温25度で生活している。

病院で取っていた記録の話

自分がやっていた記録。

日記

眠れなくなっている自分がおかしくなっているのを自覚し、入院前から書き始めていた日記。自分の部屋が家族に「魔女の部屋っぽい」と言われており、自分が魔女になった体で日記を書いたら面白いのでは?という発想で始めたもの。
入院前は数日でどんどんポエティックな表現にかわっていき、また文字の書きなぐり方がどんどん荒くなっていくさまががあきらかにやばい人のそれで、クトゥルフ神話TRPGで探索者が書く手記みたいだな……と見返すと思う。ヒトが発狂していくさまの記録としては面白いが、読み返すとこいつ何言ってんだという気持ちになるので恥ずかしいです。

入院してからも親が空気を読んでそれを持ってきてくれたので、毎日書くことを目標に記録をとっていた。最初の数日は自分の弱さをさらけ出したり、ちょっと気取って未来に意気込んだり。生活が落ち着いてきてからは入院生活で感じたちょっとしたことについて日々タイトルを決めて書いていたけれど、入院後期に進むにつれて文字量や書く頻度が減っていき、それが逆に安定していっているように見えて面白い。

書きながらいやあ名文だな~!とか自賛していた記憶がある。恥ずかしい。冷静になってみるとそんなに面白いことは書いてないと思う。

日程表

といえば聞こえはいいが実際は雑記である。病院のルールやスケジュール、病院側の都合などが全然記憶できなかったため、確認したことは記録しておき、次の日はもう少し効率的に動けるようにする、というのを主目的にしたもの。看護師ではなく医師に確認しなければ話が進まないことが結構あり、親も含めて誰に何を伝えるか、みたいなことを限られた筆記用具で色分けして書いていた。あと朝の起床時間と就寝時間を記録していた。

日記に書ききれない日々の生活の不満や、看護師やほかの患者と話して心に残ったこと、過去のトラウマ、仕事の不満などが書いてあり、普段やっているツイッターの代わりとして、またさらに踏み込んで誰にも言えないような思いのたけまでもぶつける先になっていた。言いたいことを他人に遠慮して飲み込む癖があり、その反動的に様々書きなぐったり多弁症状が出たりしたんだろうな、と今は思う。
言いたいことは素直に人に伝えられるほうがいいのだが、羞恥心が邪魔をしてうまく伝えられないことが多いです。恥ずかしくないように、また誤解を与えないように、と表現方法をあれこれ考えた結果最初に何を言いたかったのか見失うことが多く、悪癖だなと思っている。これを書いている今、それを改善する必要性を感じているが、どうすればいいのかはあまり見えてこない。

親から持ってきてもらった物資の中にスケッチブックがあり、一カ月の入院期間中毎日書いたら埋まりそうな厚さで、ちょうどいいなと思い毎日描いた。ボールペンと限られたカラーペンで雑に一発描きするのはたのしく、またバウムテストよろしく描いたものから自分の心理状態が読み取れる気がして面白いな、と思っていた。
毎日絵を描いていて、最初は人に見られるのが嫌だなと思っていたのだけれど、徐々にほかの患者がいる環境でも描けるようになり、それをきっかけにしたコミュニケーションが生まれるのを心地よく感じていた。また、人との会話から気に入った絵を生み出せることもあり、病院でのお絵描きはすごく楽しかったと思う。
自分では稚拙な絵だなと思っていても、思ったより褒めてくれる人が多く、自分がそれなりに長い年月絵という趣味を持っていたことを実感し、全くの無駄ということはないのだな、と思ったりした。なお退院後はその自信は潰えている模様。

病院の検査の話

CT検査

結果をはっきり聞いたわけじゃないけど、何も言われなかったということは物理的には異常がないということなのでしょうな。今までの人生で3回ほど受けているけれど、毎度毎度おかしかったらどうしよう、と不安になる。いや逆に異常が見つかってくれたほうがすっきりするかも、と思わなくもない。いやいや、異常がないのはありがたいことのはずだ……

脳波の検査

頭に電極を繋いで脳波を観測するやつ。非常にいい感じの沈み込む椅子に座れる喜びがあるが、30分間くらい目を閉じて落ち着いた状態でほとんど動かずじっとしていなければいけない検査なのでキツイ。……ということに気づいたのは二度目に受けた時で、一度目はふわふわ~リラックス~あ~眠いかも……あれもしかしてこれ寝てた?みたいな感じで、後から聞いたら脳がほぼ寝ており全然働いていない状態だったという話で驚きました。実際意識はずっとあったんだがなあ……眠りがバグってたんだなあ、やっぱり……

あと途中でなにがしかの刺激を与える(光や音など)ことで脳波の変化を見るというものがあり、これが非常にキツイ。特に光刺激はつらくてじっとしていられず、無意識にずりずりと光源から逃げるように体を動かしており、後から聞いたらちゃんとしたデータが取れなかったといわれてしょんぼりした記憶があります。

血圧と体温測定

毎朝朝食後一定時間後に測定されていました。最初最高血圧が200を超えており恐ろしかった。脳に過負荷をかけると血圧が上がるんですね……
その後落ち着いていくにつれて下がっていきましたが、緊張や運動有無な度にかなり左右されており、安定して血圧をコントロールする生活リズムを確立することに腐心していた。毎日ちょっとずつ調整して朝食後の適切な運動量をはかるのはちょっと人体実験じみてて面白かったです。

あと体温がやたら高い時があり、それが寝つきの悪い時と被っていました。睡眠の質がホルモンバランスに影響されることに気づいてから、入院前に急に不眠症状が出たときに焦りすぎたことを若干後悔しました。自己の状態把握のために女性はやっぱり基礎体温測ったほうがいいんですね……めんどくせえ……

病院食と体重減少の話

病院食は基本和食で、非常にやわらかく、また薄味で脂肪がすくない、ものすごい病人食!って感じでした。最初は普通においしくかんじていたけど、一カ月過ごすとあまり変わり映えしないので飽きる。あと毎度毎度米飯が大量に出てくるので食べきれなかった。
それでも5月で6キロぐらい(半分以上はストレスのせいと思われる)、6月で2キロぐらいやせたので、やっぱ普段の食生活に脂肪が多すぎるのかもなあ……と思いました。

味覚が鋭敏だった時いちどだけ、苦手な大葉がものすごくおいしく感じた時があり、和食の薬味はもしかして風味が効きすぎているのが苦手なのかもしれないと感じました。病院食は味付けが控えめなので苦手な味付けでもわりと食べられた。

備忘録としてはこんなところでしょうか。書くことあるかわかりませんが続きを書いたりすることがあるかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?