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2023年 とこれまでの人生

こんにちは、にしなのはです。
noteを使って言葉を残すのは初めてです。
今の自分が思っていることを残そうと思って書きます。

後で恥ずかしくなるものだよね笑まぁいいか
きっと何年後かに見て、感じることがあるはず。


2023年を振り返ろう

2023年は本当に楽しい1年だった。
昨年11月頃に大学に受かり、3月に高校を卒業して4月からNewsPicksの活動や交流が始まり、大学の友達も増えてそれ以外の繋がりもNewsPicksの仲間たちの間で増えていった。

4月から初めてスーパーのアルバイトを初めてやってみて、あらためて突っ立ってるだけの仕事が嫌なことを改めて実感し、自分だからできることにもっと時間を使いたいと感じて、ご縁があり今のインターンシップ先でグラフィックデザイナーのお仕事やイラスト、撮影に携わらさせていただいた。
デザイナーの世界に少し足を踏み入れてみて感じたことや、自分の不甲斐なさ、悔しかったこと、改善したいことなどが増えた。

様々な場面での自分を観察する中で、自分の中でのアイデンティティが確立している実感もあり、2022年より全体的に考えられるようになったと思う。だが、確立しすぎて柔軟性が無くなるのは良くないので、確立しかけたら1回ぶち壊す様な刺激も必要となると感じた。

デザインに関しては、本当に自分の感性はクソだなと。思うようになってしまった。
日々の中で、私はせっかちな部分がある。早く終わらせて、次の課題をチャッチャッチャッっと終わらせた達成感が好きだ。イコール、やることは終わらせるが、それ以上のことは出来ない横着で雑な人間になっていると感じる。
大学の友人たちは本当に忠実に誠実に時間をかけて、適当なところは一切ない。本当に尊敬する。

自分が仕事を一緒にするなら、仕事は早いが中身がないやつと時間をかけるが中身や個性のある人なら後者を選ぶ。
自分は今のところ前者だ。自分の悪口ばかり言いたくないが、今気づけていることに感謝したい。

2024年は、中身や個性をもっともっと伸ばして、一緒に仕事をしたいと思われる面白いやつになる。


これまでの人生

私は2004年6月に生まれた。
1歳の頃父と母が離婚して、札幌から帯広に引越し父親の記憶は一切ない。顔は父似笑
母は赤ちゃんの私を育てながら半年で宅建を取り、祖父の会社に勤めた。祖父は面白い人で、中々おもしろいじいさんだった。母子家庭の割には好きなことは沢山させて貰えた。
家族は海外旅行が好きで、幼稚園の頃にフラダンスを祖母と母と3人で習っていた。
(始めた理由は、ハワイで3人で踊りたかったから笑)

しかしある時、私はダンスじゃなくて、戦いたい!と言い出し、小学校3年生のときに剣道を始めた。
私は、センスは無かった。力だけは強いので、相手を痛めつけて泣かせて相手が動けなくなったところを打つような笑
テクニックなどない剣士笑
そんな中、近所に剣道大家族が居て仲良くなって同じ道場になって、毎週毎週、大家族のおじいちゃん先生に沢山面倒見てもらって家族のように育ててもらった。
私は一人っ子だが、5人兄弟の彼らに混ざって毎日毎日ゲラゲラ笑って、大喧嘩もして勉強もして、わたしの幼少期はあの家族のおかげでとても充実していた。
小学4年生から塾と家庭教師とチャレンジが母の手により始まり、人より物覚えの悪かった私は母と夜中まで勉強漬けだった。
母は私のあまりの物覚えの悪ささに愕然とし、ノイローゼ状態になったこともある。
九九を覚えるのに、あれだけ叩かれる子供がいるだろうか。笑笑
当時は地獄だったが、今考えると母も必死だったんだな。と思う。とても感謝している。
竹刀でビシバシと鍛えられ、勉強を続けた。

勉強の成績が悪かったら、剣道の練習は禁止されたため、当時の剣道バカな私は必死に勉強した。
中学校に上がり、沢山の剣道の仲間たちと全道大会、全国大会に向けて毎週毎日練習していた。
首から血が流れたり、指が裂けたり、手首も折れた。(いまもパソコンタイピングで手首が痛い)

先生と戦って押し負かしたときの快感が大好きで。壁にぶち当たりながら頑張った。
結果は全道3位で、思ったようには行かないこともあったが、本当に頑張った。燃え尽きた。

高校進学は幸運にも、「君は実績はないがこれから伸びる!伸ばしてやる!」と言ってくれる学校が思ったよりも多く、
結局全国3位を取ったばかりの強豪校、札幌日大に進んだ。
気合いと力強さは全国トップだが、器用さ、身体的な問題が伴わなかった私はまったく活躍出来なかった。
それと共にコロナウイルスが高校3年間ずっと居続け、大会の記憶は無い。
だが、日大の尊敬する先生方との稽古はとてもたのしかった。
絶対1本も取れないくらいのレベルと力の差があるのに、これでもか!!と立ち向かう事がすごく楽しかった。
逆に、剣道が好きだった理由はそれだけかもしれない。
札幌日大の先生方には、感謝してもし切れない。
しかし、私は高校2年生の4月に剣道部を辞めた。
早期退部。にしては早すぎる。止められたが辞めた。

理由は、低血圧症と自律神経失調症だった。コロナが流行り、剣道の面の中にマスクをつけて剣道をすることを強いられた。元々、90/65程の低血圧症な私に酸素がなくなると前が見えなくなる。
気合いで何とかなるものだったのかわからないが、当時の私はもう剣道はやりたくなかった。低血圧症で道場で目が見えなくなる度に、仲間に心配されてみんな出来ることが自分は出来なくなって、怪我をして、練習で差がついて。
仲間に対して、負けてしまえばいいのに。 と思うようにさえなってしまっていた。
私の短い人生においての、第1回目の挫折経験だ。

逃げることも大切な時がある。ということを初めて感じた。負けることが嫌いで完璧な状態が好きだった当時の私には、とても苦しかった時期だった。

まぁ、剣道が出来なくなっただけでそんな落ち込むなよ、他のことをやれ〜って言ってやりたい。笑

それからの高校生活は、剣道特待で高校に来たのに一体何しに来たんだ?っという疑問が常に心の中にあった。しかし、剣道部で一緒に過ごした親友と練習のあとに会って、愚痴を聞いたり言ったりして助けられた。ゲラゲラ笑って、進路について話したりして、色んなもの食べに行って笑
こんな学校生活も送っておいて良かったな〜って思えた。

ずっとやってきた剣道。
剣道を辞めたら、自分にはなんにもないのかと思ったが、意外とそんなことは無かった。
元々剣道で食べていくつもりは無かったので、良かったかもしれない。
そして、2023年が始まった。

そしていまは2024年。

改善するべきことは沢山ある。
大切にするべきことは、謙虚であること。自分を信じてあげること。やってみたかったら全力でやって見ること。

がんばれ〜2024年!

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