タイトルにした『変幻自在のオリョウ線』。
去年、
『よーやくAIビジョン』という記事において、
「変化の稜線」というキーワードを得ました。
お絵描きAIと、文章要約AIの生成回路、さらに日本と西洋の近現代美術の歴史と連続させていただき、
取り組んだ、
1つの検証。
AIの生成回路と、美術史上の生成と変化の連続。
その検証から生まれた仮説の1つが「変化の稜線」でした。
変化の境目の、
その移り変わる「面(かたち)」。
変化のプロセスの、、その「稜線」。
マルセル・デュシャンは、写真家エドワード・マイブリッジの連続写真、スローモーション写真から、
モチーフの動き、こちらが多角的に動き観察するだけではなく、対象が動き出していく形態変化のヒントを得た。
※リンク=美術手帖。
リンク先の写真は、マイブリッジの連続写真を基礎に、その上にフランシス・ベーコンが色をつけた作品ですが、このマイブリッジの連続写真のイメージは、デュシャンにも大きな影響を与えていると言われる。
※こちらは東京国立博物館。
掲載されている絵画は、マルセル・デュシャンの『階段を降りる裸体No.2』。マイブリッジの連続写真との関係。
※リンク=googlearts&culture
※エドワード・マイブリッジの連続写真。
静止したモチーフを多視点から観察したキュビスム。
そこから拡張されるイメージ、観察されていたモチーフ、対象そのものが動き出していく、、デュシャンの『階段を降りる裸体No.2』
キュビスムの多視点的な客観を、個人の主観から目の前の相手・環境へ拡張。言葉、アイデア、アートコミュニケーション。
と、、、方法を考えていました。
思い付いたので、この記事で1つ試して見ます。
哲学者・中島隆博氏は荘子の哲学について、
万物斉道を中心に捉えるのではなく、「物化」と呼ばれる変化の概念から「万物斉道」を捉えてみることを著書『荘子の哲学』(2008年)において述べています。
そして、
個人的に、続けて読んでいた鈴木大拙の『禅と日本文化』においても、物化、胡蝶の夢のことについて書かれていました。
鈴木大拙は、胡蝶の夢の話を与謝蕪村の詩に結びつけ、引用します(参考文献『禅と日本文化』)。
「物化」から「万物斉道」、
変化から道を捉える。
鈴木大拙の著書を読むなかで思考していました。
荘子の「物化」が、ジル・ドゥルーズらのフランス現代思想、現代哲学に繋がっていく道筋を描く中島隆博氏、現代思想の哲学者・千葉雅也氏。
そして、日本仏教の浄土思想とドゥルーズの思想を結びつけ、新たな現代浄土を説いた守中高明教授の『浄土の哲学』においては、
法然・親鸞・一遍の浄土思想と現代思想が結び付き、死後ではなく生きている今この瞬間に浄土を創造し、転生する道が、親鸞や一遍の踊り念仏の哲学を通して提示される。
悟りの境地へと至る多方向の道、
わたり、
風。
その可視化を試してみた実験結果の前に、この思考プロセスの基盤となる、
美術における「稜線」とは何か?についても、ピカソのデッサンを土台として、はじめに1つ実験をします。
ここから面が切り替わることを視覚的に暗示するラインである「稜線」。
では、実験。
抽象化プロセス。
ピカソは10代ですでにデッサンを高度に習得していて、美大は学ぶことないと中退。
パリに出てロートレックの影響等も受けて青の時代あり、その後セザンヌの影響を受けてブラックと共にキュビスムの大変革を美術界に起こしていく
下地に高度なデッサン技術、「面(かたち)」の本質を捉える物の見方の修練があったからこそ、セザンヌがその生涯をかけて発明した芸術の大革命・多角的な分析的キュビスムの視座に、ピカソは若いうちに気付けたのでしょう。
その技能の中にある概念、コンテクスト、メッセージを受けとる準備が出来ていた。
様々な視点から対象の「面(かたち)」の印象が抽出され、同時多発的に1つの画面上に立ち現れる。
ピカソは古い常識を打ち破る天才のイメージが一般的だと考えますが、むしろピカソは先人が積み重ねた物事にちゃんと学ぶ姿勢のあった人という印象が私は強いです。でないと、キュビスムの発明はできないと思う。
※かたちの変化の境目を表す「稜線」を、「多視点」から認知すること、初期の分析的キュビスムの、セザンヌの場合はそれを分析的に様々な角度から観察してみていると考えられるわけですが、
様々な角度から稜線(面・形の変化)を抽出する、近代西洋美術の抽象表現へと向かう1つの視座と考えますが、
さらに1つの実験として、ここではこの先程のピカソのデッサンをベースに、
まず、その稜線を「線の太さ」で、、、
セザンヌは故郷の山を描きながら(遠景の視座になった)、
幾何学的な要素還元、抽象化の道筋に気付いていったと考えられますが、偶然性からその遠景的視座が幾何学的要素還元に向かった
(歌川広重が世界で初めて「雨を線で描写した」のも、遠景的視座と偶然性があったのかもしれません)。
セザンヌ→ピカソ。
立体→平面→多角的立体平面(キュビスム的絵画)。
キュビスム(立体派)。
また、ピカソがキュビスムを確立した後、純粋抽象絵画を創始するカンディンスキーは、歴史上の作品(確かセザンヌの作品なども)を、クローズアップした、近景ズームの作品制作もしていて、近代純粋抽象の新たな絵画のあり方を研究している。
カンディンスキーが教授として所属した近代美術学校バウハウス(バウ=ドイツ語で建築)の校長モホリ・ナギも、
写真技術や新しい絵画、グラフィックデザイン、建築デザイン等を幅広く研究していますが、モホリ・ナギの『触覚板』の制作は、近景ズームから平面抽出、テクスチャーの視座と繋がる。
※リンクgooglearts&culture、美術手帖。
リンク先、美術手帖掲載のピカソ絵画の人物の顔の平面的な構成ですが、稜線&明暗→幾何学的要素還元に繋げ、印象が「跳躍」しています。
顔の左右には赤と緑の補色関係。人物のターコイズ洋服部分は、面の表を這う線が近景強調→平面構造化(遠景レンズで近景化)。絵を描くというか、形態や色彩を「平面的に(絵画的に)」デザインしてる(多視点の視座で。平面的立体)。
工業製品としての絵の具の配置を平面上でデザインしている。これを発展的に継承するならば、その他の工業生産品を絵の具の代わりとして活用してもいい、平面でも立体でも、コンセプトでも、発想は当然転じる。色材としての絵の具縛りのルールから転じて、デュシャンのレディメイドへ。
伝統を発展的に継承して、歴史へ挑戦することが、尊敬する先人への礼儀でしょう。ピカソもデュシャンも芸術的に礼儀正しい人だったんでしょうね。
こうした研究で、
スティーブ・ジョブズは、鈴木大拙の流れから日本仏教の影響を受けて(確か鈴木大拙のお弟子さんに禅を習ったと)、日本にもよく来ていて、京都の庭にも何度も訪れていたと言われてますが、日本文化や伝統技能から獲得した概念が多々あったのではないかなぁと感じます。
iPhoneやAndroidの画面を指で次々と転じさせていく、画面スワイプの入力方法は、日本庭園の「道」の風景変化の現象と凄く近いように感じるんですよね。
身体行為や歩行から、露地(茶庭)、道の風景が折れ曲がり見え隠れし、次々に変化し転じて出力される。
ジョブズは日本の高度経済成長やバブルの頃の発明品ウォークマンとかも、むかし調べてたんでしたよね。音と歩行で日常の風景が変化する。日本の伝統的な作庭や建築に近いデザイン思考だと感じます。
抽出した概念を別の構造に転じさせ、新しいテクノロジーを創出。
仮説は広がる。
やはり、AIピカソは凄い。美術文脈の稜線にすぐ近づきましたし、面の変化とその面を構成する情報として、面のおもてに這う線を抽出強調している。
稜線と面に沿った線。その強調(線ハイライト)。まさにそれをコンセプトにしてるのです、この抽象化のテキストは。遠景的抽象度を足せば、延長線は幾何学的要素還元。
やっぱり、テキスト・コンセプトがこのように設計されると、生成パターンはこうなってくる。
これはAIピカソが現在学習出来ていることだ
と考えていいわけですよね。テキストに対しての写実的な再現性もさらに進化する。色々いろいろと、時間の問題なんだなぁと感じます。
「稜線」についての記載や実験が長くなりましたが、
「稜線」という「面」と「面」、
「面(かたち)」の変化の境目、間を表す稜線ですが、
今回のタイトル、テーマにした『変幻自在のオリョウ線』。
ここから本題ですが、
折り紙プロセスで様々な変化、かたちの転生を遂げますが、
荘子の胡蝶の夢、中島教授が『荘子の哲学』において、著書のサブタイトルと最後に引用していた荘子の言葉、
変化の稜線は、デュシャンやフランシス・ベーコンらが影響を受けて試作したように、
エドワード・マイブリッジの動きの連続写真のイメージに習い、変化の時間軸に沿って並べてみる。
変化の物語を描く。仏教ルネッサンス、変化の稜線の可視化を試みて。
※リンクgooglearts&culture。
さらに、この変化の道筋、「変化の稜線」をコンセプトに、「七転び八起き」のコンセプトをさらに掛け合わせてみました。
七変化して、すえひろがりの八。
七変化八形態。
幾重にも変化の折れ線・稜線が交差することで、紙は柔らかくなった、和らいだ。
小堀遠州は、若い頃、
しかし、晩年は、
「丸い形」「和」のかたち。
和の文化。
変化を繰り返し、幾重にも変化の稜線が重なった道筋は、和紙のようにやわらかで柔軟な大地を作る。
手になじむし、変化は和む。
色んなことを同時多発でやってますが、次の検証と仮説に連続させます。