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描かずに芸術を学び、描かないくせに芸術を語る。

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最近の記事

【短編小説】金木犀

2週間前の飲み会で友人が忘れたカーディガンを返すという名目で忘れ主と酒を飲んだ。思っていたより私の仕事が長引いてしまい、かなりの時間彼を待たせてしまった。 早く帰らなければという思いが脳みそ埋め尽くして、丁度溢れる少し手前でビルを出る。 外は想像よりも寒くなく、一度エレベーターで巻いたマフラーを外す。パンパンに資料の入った鞄にギュウッとマフラーを詰め込む。 順番を間違えた。 さらにパンパンに膨れる鞄をかき分けながら焦るように種を探す。奥底から発掘した種を咥えて、加熱式煙草

    • しゃたん【瀉嘆】

      意味 : 吐くほどの深い嘆き 渋谷の喧騒から離れた、松濤美術館。 杉本博司の展覧会「本歌取り 東下り」に行って参りました。 それなのにですよ、私の記憶に残るのは 「哲学の建築家」とも知られる白井晟一のコトバ。 しゃたん【瀉嘆】 さて、本歌取りってなんだっけ。 遥か昔の学生時代(と言うほど人生経験なぞない人間ですが)、古典の授業でやったような。 そう思い出せる私は真面目で優秀な学生だったのでしょう。 「懐かしいね。」と語りかけた時、横にいた友人の顔は左の口角がグニャ

      • 10代から聞き続けるいつもの音楽を聴きながら、街灯の下を歩く自分の影を見たら生きてんな〜って思える

        自分って鏡越しじゃないと見れないですよね。 鏡に映る虚像と 自分の意思と 周りからの口コミと カラオケで熱唱する声 これで私の思う私は判断されています。 でも結局、これって何かを通して受け取った自分が8割。 間接的な部分を除いたら、自分の意思しか残りません。 どうしたらホンモノの自分を直接見れますかね。

        • 今年初の燕子花

          燕子花と言ったら、光琳でしょう。 ネットで燕子花と調べたら9割が光琳の絵です。 燕子花は花の汁で服を染める"書き付け花"からきてるそうです。 5月が近づくと根津美術館の燕子花が頭をよぎります。 今年は、待ち侘びすぎて初日に来館しました。 琳派の屏風画は非常に興味深いですね。 平面的なタッチと立体的な支持体が融合し生み出す絶妙なバランスが人々を惹きつけるのです。 光琳の燕子花だって、よく見ればべったりしてますし、一輪一輪の重なり合いがもはや一体化しています。 それで

        【短編小説】金木犀

        • しゃたん【瀉嘆】

        • 10代から聞き続けるいつもの音楽を聴きながら、街灯の下を歩く自分の影を見たら生きてんな〜って思える

        • 今年初の燕子花

          仮想⇄現実

          tamimoon SOLO EXHIBITION “IDENTITY” へ赴きました。 華奢な肩と骨張った手 甘いマスクとタバコ 中性的なヴィジュアル 引き込まれるほど魅力的です。 キャンバスの中の彼女達には、若い女性の身体的なか弱さと精神的な力強さが共存します。 tamimoonさんの作品から一貫して感じられることは、イラストというジャンルに属しながらも " 作品をデザイン化していない " ということ。 あくまでも、自然なキャンバスの中の彼女達を写しています。

          仮想⇄現実

          エデンから脱出!

          自分って自分なのに どうして見失ってしまうんでしょうか。 ここ数年は 常識のない友人に気を病んだし、 入れ替わりで恋人が居続けたことで、 人との関係にばかり頭を悩ませ、 "ひとり"という名の"自分"を忘れてしまったような、そんな気がします。 少女の頃の自分は タップダンサーになりたかったし、 高校を卒業した夢いっぱいの自分は キュレーターになりたかった。 過去形です。 大学生活は、私をダメにしました。 まるでエデンの園です。 好きなことだけ勉強して、 酒飲んで、

          エデンから脱出!