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しゃたん【瀉嘆】

意味 : 吐くほどの深い嘆き



渋谷の喧騒から離れた、松濤美術館。

杉本博司の展覧会「本歌取り 東下り」に行って参りました。

それなのにですよ、私の記憶に残るのは
「哲学の建築家」とも知られる白井晟一のコトバ。

しゃたん【瀉嘆】



さて、本歌取りってなんだっけ。

遥か昔の学生時代(と言うほど人生経験なぞない人間ですが)、古典の授業でやったような。
そう思い出せる私は真面目で優秀な学生だったのでしょう。
「懐かしいね。」と語りかけた時、横にいた友人の顔は左の口角がグニャっと上がっていましたから。


本歌取りとは、本来、和歌の作成技法のひとつで、有名な古歌(本歌)の一部を意識的に自作に取り入れ、そのうえに新たな時代精神やオリジナリティを加味して歌を作る手法のことです。

杉本博司 本歌取り東下り 渋谷区立松濤美術館展示より


なんとご丁寧な美術館だこと、
これには横の友人も安堵の表情です。



杉本博司はこの本歌取りを日本文化の本質的営みと捉え、自身の作品制作に援用したそうです。


どの作品も本歌があり、本歌あってこその杉本作品でした。


私の記憶が薄れる前に一つ紹介いたしましょう。


時間の矢
杉本博司
1987年

火焔宝珠形舎利容器残欠 銀倉時代(13-14世紀)
海景 1980年
小田原文化財団蔵


この作品では、釈迦の遺骨を入れる容器である舎利容器に、杉本の「海景」作品が組み込まれる。まさに杉本の本歌取りを象徴する作品のひとつです。


1980年より制作が始められた杉本の代表作「海景」シリーズ。「古代人が見ていた風景を現代人も見ることは可能なのか」という問いを契機に始められたそう。



なぜ、海とは離れられないのでしょう。
いくら月日が経とうと、
自分が(たとえわるいほうへと)変わろうと、
そんな事は知らぬ存ぜぬと波打つ様子は
自分の様々な思い出を吸収していきます。

だから、海との思い出っていくつもあるんです。




話が逸れてしまった。

杉本の海、私は好きです。
海と言われなくても、これが水平線だとわかりますでしょう。それが心地良い。


蓮の花に、業火の輪、
その中に広がる海はなんとも奇妙な、
そして惹き込まれる。


釈迦の遺骨と境界のあやふやな水平線。
貴方が望めばいつでも変わらずそこにあると、
そう感じとってしまう。
私が紛れもない人間だからでしょうか。


本歌取りを行うということは、
表現の自由は本歌の中のみですし、
本歌から発想をいただくということは、
それに比肩する、あるいは超えることが求められるのです。


某銀○魂とかいうアニメのあの怒涛のオマージュは本歌取りということでしょう。
許されていますから。


となると、杉本の作品はなんて美しく確かな本歌取りなのでしょう。

そう思いませんか。


ですから、私は杉本の作品を求めたのにあの言葉が忘れられないのです。


しゃたん【瀉嘆】

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