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歌人に背中を押されたことはあるか。

9月のはじめ。

あなたのための短歌展」に参加した。
木下龍也さんという歌人が、15分ほど「あなた」の話を聞いて、その人のために短歌を作ってくれるというイベントだ。

結論から言えば、作ってもらった短歌は確かに私のためではあった。ただ、優れた表現や創作がそうであるように、その短歌はもはや私のためだけのものではなかった。

期間中は短歌が展示されていたから、短歌は既に世間の目に触れている。わたしのための短歌が、心に届いた人も居るようだった。

それでええやん、と怠け心が言う。だけど、少しでも多くの人に届いて欲しいと切に思っている、こちらの気持ちに正直になることにした。そんでもって求められてもいないけど、自分をさらけ出して、慣れないこと(書きもの)を始める。私なりの返歌。


◆短歌展でのエトセトラ

短歌展は、高円寺の商店街の一角で想像していたより堂々と開かれていた。街にはあんまり馴染んでいないのが何だか可笑しい。

白くてコンクリートっぽい無機質な空間に、木下さんもまた馴染んでいなくて、これもまた可笑しかった。短歌に人の手触りを感じているからだろうか。

正対するように置かれた木のベンチにそろそろと座ると、一言交わして、すぐに口火を促される。訥々と話しては、時折木下さんに質問された。彼が作った手すりを伝うように、深くに潜水していく気分だった。

高校生のとき、演劇を志したけれどチャレンジもせず進学したこと。大学生のとき、院進を志したけれど、チャレンジもせず就職したこと。本屋に行くと、先達の並ぶ書棚に圧倒されて、気持ちを静かに折り畳んで帰ること。

かといって私の現在地は最悪ではないこと。
ただ、生きているということ。 

志を阻むのはいつだって自分自身であること。

27になって、髪を初めて染めたこと。
でも劇的な変化は驚くほど何も無かったこと。
結婚もしてみたこと。

変わろうと小さな一歩を踏み出したけど、私自身に劇的な変化は無かった。

期待と、空虚。変わること、変わらないこと。つらつら。つらつら。


終盤、木下さんが言う。
「それで、短歌を読んだとき、背中を押して欲しいですか?」


◆短歌の効用について

あなたは、短歌に自分の背中を押してもらったことはある?
私は無かった。

だから木下さんからそう投げかけられたとき、背中を押す短歌が、私にはイメージがつかなくて、困ってしまって「変化を恐れるのをやめたいです」と苦しまぎれに答えた。でも、それが一握の本心だった、とおもう。

それじゃあ1時間後、ということで会場を後にする。
雨が近づく湿っぽい高円寺を巡りながら、深い思索の海からざばんと水面に顔をあげたような気持ちに。そういえば、駅上のデニーズで食べた桃パフェはめちゃめちゃ美味しかった。


◆あなたのための短歌

雨あがりに会場に戻ると、既にひと段落ついていたようだった。

「ここで見ますか?帰ってからにしますか?」と聞かれて、迷って持ち帰ることにした。
青い封筒に、几帳面な字で署名され、封をする。

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少しお話をしたい気持ちもあったけど、封筒を手にしたら胸がいっぱいでとっとと失礼してしまった。

こっそり開けた封筒の中には、
私と、そしてきっとあなたのための短歌が封じ込められていた。

どこへでも行けるあなたの舟なのに
動かないから棺に見える

背中を押す短歌を、私は今まで知らなかった。

あなたはどうですか。


◆さいごに

木下龍也さんを知らない人は、『きみを嫌いな奴はクズだよ』とか、『つむじ風、ここにあります』など、とにかく素晴らしい歌集なので買って欲しい。私は推しにお金を落とすことを信条としているので。

というのは、半分冗談。
歌集が本棚に一冊あるだけで、お金も愛もご馳走すらも救ってくれない夜に、あなたを支えるだろうと思うから。


後日談。
木下さんからTwitterでフォローされたときは、文字通りひっくり返った。ご本人に届いたらちょっとうれしい。あのとき言えなかったことが少しでも伝わればいい。

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