見出し画像

◎あなたも生きてた日の日記㊷モノが動物にもどる時


今年もとうとう年末に差し掛かり、段々と慌ただしくなってきた。一年を振り返ることも多くなってきた最近、改めて今年見た展示のことを振り返ってみた。

今年はコロナで会期がずれ込んだビエンナーレやトリエンナーレが多く開催され、また地方に行く機会を多くもらったこともあり、例年よりも美術の展示をたくさん見ることができた。

その中で「いちばん強烈だったものはどれか?」と考えたとき、指の先がむずむずするような感覚を思い出した。視覚ではなく触覚で記憶されたその展覧会は、おそらく2022年で最も印象深かった展示になると思う。なのでここに書き残しておきたい。

その展覧会とは、高松市美術館で見た『みる誕生』鴻池朋子展だ。
チラシのビジュアルには、カラスとキツネのイラストと、ど真ん中に動物のフンらしきものがある写真が用いられていた。「美術展のビジュアルにしてはだいぶとがってるな!」と思ってわくわくした。
自然や動物や物語をモチーフに作品を制作していて、とても好きな作家さんだったので、瀬戸内芸術祭を横目で見つつ弾丸で鑑賞しに行った。

美術館のHPにあった文章はこうだ。

「みる誕生」とは、生まれたての体になって世界と出会う驚きを表す鴻池の言葉です。

鑑賞者は「触れて、嗅いで、聴いて」と目以外のもので「みる」行為を行うという。なるほどなるほど、と思いながら美術館に足を踏み入れると、入り口から毛糸のような紐が展示に沿ってずーっと張り巡らされている。
それを伝って歩くと、順路をたどれるというわけだ。聴覚しょうがいの方に向けて作られているのかと思いきや、それ以外の人も伝って歩いていいという。
指先で触るとふわっとした感覚で、指をすべらせると滑らかだ。指先の感覚を意識しながら歩くのは、普段美術館を歩く時とはまた違った気持ちになる。見るべきものは絵や彫刻ばかりではないと気づく。
驚いたのは、展示内容が変わる場所で紐の質や感触が変わっていることだった。手で展示の変化に気づくのはおもしろい。


しかし、この展覧会で最も衝撃だったのは、天井からつるされた「動物の毛皮」だった。毛皮自体はこれまでの人生で触った経験もあるし、触感は何となく想像できる。よく見るとその毛皮には顔も、足先もついていて、一匹の大きさをそのまま感じることができた。

「ああ、オオカミの毛並みはさらさらで気持ちいいなあ」
「くまは毛がごわごわしていて、強いのがわかるなあ」
などとのんきに触っていた私は、ある部位に手を差し出して、固まった。

それは、オオカミの肉球だった。
毛皮に加工された手先に、肉球がそのままついていた。かさかさに乾燥してはいるものの、その肉球をさわった瞬間、飼っていた犬の顔がぱっと浮かんだ。オオカミの肉球の感触は、かつて触った犬の肉球と何ら変わらなかったのだ。

そう認識したとたん、目の前にぶら下がっている毛皮に、かつて内臓が、肉が内包されていたことを急にありありと想像できた。その肉の塊がふわふわの毛を揺らして、山の中を駆け巡っているところまで、ぶわっと脳裏に浮かんだ。
それは、毛皮という「モノ」が、動物だったと初めて認識できた瞬間だった。

その事実に圧倒されて、以降の展示はもうすべて見る目ががらっと変わってしまった。絵の中に毛の生えた生き物が登場するたび、中にあるあたたかい肉の存在を考える。この生き物が、今も地上のどこかで熱い息を吐きながら走っているところを想像する。

はっとした。
これが「みる」ということかと思った。
何かを「みる」ということは、こうやって何かの感覚を決定的にそれまでと変えてしまう可能性をはらんでいるのだと、改めて感じたのだった。

自分が何かをつくる立場として、怖さと、驚きと期待を持って、この事実を再認識したこの展示を、今年の一番に据えたいと思う。

★『みる誕生』鴻池朋子展は1月9日(月祝)まで静岡県立美術館で開催中です

(あなたも生きてた日の日記㊷ 身体感覚について⑬)