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あなたも生きてた日の日記:英会話について①



新型コロナウイルスの流行が始まった2020年、オンライン英会話の受講を始めた。
きっかけは東京芸術劇場のプログラム「APAF」に参加したことだった。そこでアジアのパフォーマーの方々の創作に触れる機会に恵まれたことで、彼ら・彼女らの話していることをもっと知りたいと思ったのだ。さび付いた英語能力をそろそろ何とかせねばという気持ちもあった。思えば、家にいる機会がこれまでにない程増えていた中で、世界を広げるなにかを始めたかったのかもしれない。
そんなこんなで、毎日約30分、海外に住む年齢も立場もバラバラな人々と話す日々が始まった。


実際に受講している方はご存知かと思うが、オンライン英会話にも色々ある。講師の先生がネイティブだったりそうでなかったりするものや、ビジネスや資格取得などの目的に特化した講座も多い。私は自分の希望で教材を使ったり、フリートークをしたりと選べるレッスンを選んだ。


最初のうちは、授業前にもちろん緊張した。
開始時刻まで画面の前でスタンバイする。何を話そうか、予習した内容を何度も口に出してみる。しかし、時刻になって画面に相手の顔が写ると、大概飛んでしまう。
「生で会うのと比べると、オンラインは情報が少ない」という人もいるけれど、オンラインで初対面の人と会う時にもそれなりに処理しなければならない内容がたくさんある。こちらとあちらがつながった瞬間に、相手のテンションや雰囲気、背景の家の様子など多くの情報が入ってきて、途端に「想像」から「現実」に引きずり出される。そして、コミュニケーションが始まるのだ。


背後で子どもが泣き叫んでいる授業や、相手の家の近くの牧場の牛の声が聞こえる中で喋ったこともあった。机の前に日本のお菓子を置いていて、「これ好きなんだよね」と抹茶味のキットカットを食べながら話す先生もいた。背後にあるギターを指摘すると、「今練習中でさ~」といいながらBeatlesを弾いてくれ、一緒に「In My Life」を歌ったこともあった。
何となくこの雰囲気でおわかりかと思うが、私はレッスンぽい英会話レッスンを希望していない。私の受講している講座には「テキストを使って勉強する」プランと、「フリートーク」のプランがあり、文法や単語があやふやな私は絶対前者の方がいいのだが、なんだかせっかく会えた先生のことを何も知らずに終わってしまうレッスンがさみしく、数回希望しただけでやめてしまった。そこからはずっとフリートークのみだ。

中には「あなたの言うことを察することはできるけど、英語力を上げたいなら教材でレッスンしたほうが絶対にいい」と真剣にアドバイスしてくれる人もいた。
しかし、私は頑なに【フリートーク】を選び続けた。英語の勉強もしたいけれど、その時間に何かしら相手とのコミュニケーションを図りたいという気持ちがあったからだ。


忙しい時は退会したり、必要にかられて再び入り直したりを繰り返しながら、なんとか1年以上続いた。仲良くなった先生もいるし、もう二度と会えない人もいる。
新型コロナウイルスの流行から始まった世界情勢も、ロックダウンの厳しさの違いや、言語統制へのデモ、Black Lives Matterに今度は戦争など、国によって目まぐるしく変化している。
相手の国の状況を日々聞かせてもらいつつ、時折嘆きながら、その度励まし合いながら、笑いながら過ごしてきた。素敵なエピソードやおもしろい教えをたくさんもらった。


そんな日々を、いくつかコラムにまとめてお届けしたい。
ここから約2カ月間、ゆるりと読んでもらえると嬉しく思っている。


(あなたも生きてた日の日記⑩:英会話について①)