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◎お尻に激痛で気づいたこと



リモートワークになって最初に思ったのは、

「人間、こんなにも動かないものなのか」

ということだった。
やっている仕事は出社していた時と何ら変わりないのだが、人と会う必要がなくなると、めっきり外を出歩かなくなってしまった。気付けば、一日中パソコンの前からほとんど動かない生活になっている。

最初の一週間くらいは、朝起きてからひたすら部屋で仕事をし、簡単な昼ごはんを作って食べ仕事をし、気付くと日が暮れているのでカーテンを閉め仕事を締めくくり、夕飯を食べて家事をして寝る…という流れだった。

しかし、段々と「なんだか腰の調子が悪いな…」と不調を感じ始め、これでいかん!と意を決して仕事終わりに散歩がてらスーパーに行ったりもした。
ただ、一日の終わりにスーパーに行くためだけに身支度するのが手間で、それも数日に一回程度だった。

「IT化でこんなにも人間の生活は動物からかけ離れるんだなあ~」
そんなことを呑気に思いつつ、特に危機感を持つこともなく毎日を過ごしていた。



しかし、そんな生活が2週間程続いた頃、決定的な出来事が起こった。


最初は、「あれ、なんかお尻がおかしいな?」という程度だった。
冷蔵庫から飲み物を取り出し、右足を軸にしてくるっと振り向いた時に、左足の着地を少し間違えた。お尻辺りにある筋?のようなものが、一瞬ピーンと伸びてしまったような感じがあった。

「痛え~」

その時は深く考えることもなく、「放っておいたらそのうち治るだろう」と思ってそのまま仕事に戻った。もしかしたら気のせいかもしれないし。
しかしそれが「気のせい」なんかではないことを、それから2時間後、仕事を終えて椅子から立った際に知ることになる。

「よーし仕事終わり~」と思って立ち上がった瞬間、床に着いた左足を思わず引っ込めてしまうくらいの痛みが尻に走った。


「…え!?痛っ…痛!!!!」


明らかに「違和感」のレベルを超えた痛みがこちらに訴えてくる。しかし、その部位が「尻」ということでなんとなく滑稽に思え、この時点ではまだ半笑いだった。


「え、痛…え、何で?尻?(笑)」


そう思いながら、私は「左足の着地をミスったの、そんなにダメだったかあ~」と思っていた。足の置き方がこの痛さを招いたと考えていたのだ。なので、左足をちょっとかばいながら歩き、しばらく様子を見ることにした。

すると、これまで散々「家にいたら人って全然動かないよね」と言っていたにも関わらず、お尻を痛めた途端「これ、結構色んな運動をしているのでは…?」と気付いた。

台所の角を曲がる時には、身体全体で絶妙に体重移動をしている。洗面所では洗面台の位置の関係で毎回中腰になっていたし、座って仕事をしている最中にも、身体は定期的に体重移動を繰り返していた。

すごい…。身体は何もしてないように見えて、しっかりと働いていたのだ。


それに気付けたのは、どの場面でもお尻に激痛が走るようになってしまったからだった。

2日経っても痛みは消えなかった。消えないどころか酷くなっていた。ようやく「これただの筋違えとかじゃないかも」と認識し調べてみると、これはどうやら「坐骨神経痛」らしい。

その頃には、同じ体勢で座り続けるのも厳しくなっていた。無理に歩くと左足にしびれるような痛みが走る。対処法は「絶対安静」だという。「身体を動かしてなさ過ぎて痛みが出たんだ。運動しよう」と無理やりウォーキングをした前日の自分を殴りたい…。


しかし、絶対安静でも、食材が尽きればスーパーには行かねばならない。
意を決して家を出たものの、そのまま私は途中の道路で立ち尽くした。


「もしかしたら、スーパーに辿り着けないかもしれない…」


お尻が痛過ぎる。
かばいながら歩くと信じられないくらい時間がかかる。横断歩道で「青のうちに渡り切れない」と強く思った。車の速さが怖かった。


「だめだ。家に帰ろう」


人生で初めて、身体の都合で生活の一部を諦めた瞬間だった。



そこでふと脳裏に浮かんだのは、祖母のことだった。
祖母はずっと「足が痛い」と言って、ここ数年はどこに出かけるのも嫌がるようになっていた。温泉付きの旅館に行っても、「膝が痛いから温泉やめとくわ」という祖母に、私は「せっかく来たんだから、そんなこと言わずに」と少し苛立ってしまったことがあった。祖母の身体が少しでも楽になるようにと計画された旅行だったから、温泉に入らないと意味がないと思ったのだ。


でも、やっとわかった。
あの時、本当は祖母自身が一番傷ついていたのだ。
楽しみにしていた温泉に、自分の身体が辿り着けないかもしれないという不安と絶望。


そのことに、私は自分の身体が思い通りにならなくなってやっと気づいたのだった。

その日はそのまま家に帰って、少し泣いた。



動かなくても、動きすぎてもだめ。
そんなわがままな身体を抱えながら、私たちは毎日生きている。
身体の痛みは、本人以外誰にもわからないけれど、それを尊重できる気持ちの余裕だけは、持っていたい。

もしかしたら今横を通り過ぎた他人だって、外からはわからない、何か強い痛みと葛藤を抱えているかもしれないから。




(もしもし身体①)

photo by Hiroe Yamashita