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英会話について⑦あの国で今日もあなたが頑張っていて


一度だけ、英会話の授業中に涙を見たことがある。
画面越しに、笑い顔がどんどん歪んでいく。「どうしたの?大丈夫?」と聞いても、相手は「OK,OK」と繰り返す。そして目尻を指でこすって、またゆっくりと微笑むのだった。


その人は、私のオンライン英会話の最初の授業の先生だった。
ふくよかで優しい笑顔に惹かれた。年齢は私の20歳上で、ベテランの雰囲気を感じる。まだ一度も授業を受けたことのない私は、なによりも「安心感」を求めて最初の授業にその先生を選んだ。

彼女は、最初から笑っていた。
定時になって画面が切り替わった瞬間、「Hello~~~~」と満面の笑みでこちらに両手を振っている。思わずこちらもつられて笑う。それを見て、「笑顔がとってもいいね!」とほめちぎり、それを聞いてまた笑う。
「あれ、もしかして今日が最初の授業?」と言うのでそうだと答えると、「Welcome!!」とポーズを決めてくれる。
授業の進め方や注意事項などを丁寧に説明してもらっている時、突然すごい音がした。聞けば、子どもが5人いるという。
「下はまだ小さくて、授業の間だけ部屋の外にいてもらっているんだけど、たまに泣き声が聞こえてしまうかも」と申し訳なさそうに話すので、いいよいいよと首を振る。
その後は英語学習について様々なアドバイスをしてくれて、初レッスンは楽しく進んだ。

授業のまとめに入った時、「最初の授業でとても緊張していて、でもだからこそあなたに担当してもらえて本当に嬉しかった」と話すと、「私もよ。それと、あなたにアドバイスがあるの」と言う。

「あなたは時々、言い方がめちゃくちゃでごめんなさいとか、発音が悪いとか、自分の英語を卑下するようなことを言うけど、そんなことしないで。あなたの英語は、決して悪くないよ。もっと自信もって、勉強していけばどんどんよくなるんだから」

真っ直ぐにこちらに向けられたその一言に、どれだけ救われただろう。
この一言があったから、それ以降の授業でも必要以上に自分を卑下しなくて済むようになったのだと思う。


今なら、わかる。
こんな言葉が出てくるのは、何より彼女自身がとても努力家だったからだ。
オンライン英会話の講師を始めたのは、家計の足しにする目的もあるが、何より大学院に進んで専門分野を研究するためにお金が必要だからだという。
そう、彼女は、家事と子育てをしながら、こうして働いて、しかも大学院で学ぶための勉強もしているのだった。
常に笑顔を絶やさない裏には、とんでもない努力があるのだと思う。そんな彼女と話している時間は、私にとってもいつの間にかかけがえのないものになっていた。こうして定期的に話すことが、英会話を続ける大きなひとつの理由になった…そんな時だった。


レッスンが5回目に差し掛かった頃、突然彼女が消えた。

予約のページを開いても、彼女の枠に予約できる時間帯が設けられていないのだ。予約枠自体がないので、先生側が授業を入れる日程を設けていないことになる。何かあったのだろうか。単に忙しいだけだろうか。そう思いながら見続けて、一カ月、二ケ月、半年経ち…やがて一年が過ぎた。
その間、世界中で新型コロナウイルスが猛威を振るい、彼女の住んでいる国も感染者数がみるみる上がっていった。ニュースで彼女の国の感染者を見ながら、私は彼女や、その家族に何もありませんようにと祈った。どうか皆無事で、彼女の頑張りが実っていますようにと思った。


一年と、半年が経った頃だった。
突然、彼女のスケジュールに予約枠が出現した。時差の影響もあって随分遅い時間だったけれど、そのボタンが目に入った瞬間、私は真っ先に予約した。

彼女が、まだ、いる。
辞めていなかったんだ、無事でいたんだ…。

逸る気持ちを抑えながら、定時がくるのを楽しみに待った。


「Hello~~~~」
久しぶりに会った彼女は、以前と何も変わらない笑顔で、しかしよく見ると少しシュッとした様子で、こちらに向かって言葉を続けた。「久しぶりね、元気にしていた?」
私は、その言葉に何と返せばいいのかわからなかった。1年半のブランクなんて何もなかったかのように話す彼女に、少し間をおいて、返す。

「あなたは大丈夫だったの?とても心配したんだよ、コロナウイルスもあったし、あなたの国は大変だってニュースを見る度に心配したし、子どもだってまだ小さかったなと考えたし」

すると、画面越しに、彼女の笑い顔がどんどん歪んでいった。「どうしたの?大丈夫?」と聞いても、相手は「OK,OK」と繰り返す。そして目尻を指でこすって、またゆっくりと微笑むのだった。


「実はね、今研究をしているの。大学院に、受かったのよ」

その一言で、ぱあっと周りが明るくなった気がした。そうか、彼女は夢を、叶えていたのか…。

「私も、そんなに心配してくれている人がいるなんて思わなかった。だから、すごく、嬉しい」


そして彼女は、またいつもの笑顔に戻った。
誰かの頑張りを想像するだけで、自分も頑張ろうと思う。笑顔を見ながら、そんな存在であってくれて、そんな教師であってくれて、ありがとうと静かに思った。



(あなたも生きてた日の日記⑯:英会話について 最終回)