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◎あなたも生きてた日の日記㊾表現、この恥と切実さを含むもの


何度目かの転職活動をしていた時に、ある出版社でこんな話を聞いた。

「数年前から原稿を持ち込んでくるお年寄りが増えて、仕方ないから自費出版部門を立ち上げたんだよね」

そこは月刊誌を作っている会社だったのだが、下町にある出版社だからか、ふらっとお年寄りが入って来て、「つかぬことをお聞きしますが、ここで本を作ることは可能ですか」と聞くのだと言う。そのうちカバンからスケッチブックや日記帳、原稿用紙の束を出して「これを一冊にしたい」と話すそうだ。

「そういう人が何人もいたから、じゃあお金を取ってそういうことをやろうって。まあ、みんな別に立派なものをやりたいわけじゃないから。素人さんだから、内容は大したものじゃないけどね。こちらからは何も言わないし。冊子になれば、それで満足なんだよね。もちろん、中には今から賞に応募するんだっていう人もいるけどね。一花咲かせたいって。リタイアしたり、自分の人生の終わりを思ったりしたら、こういう、何かひとつ残してやろうっていう気持ちになるのかもね」

そう言って、「中身はひどいもんばっかりだけどねえ」と担当者は笑った。自分の人生を偉人の伝記のように残したいのかね、とつぶやく。



そんなことを思い出したのは、滞在制作の終わりにあいさつ回りをしている時だった。

滞在して、いくら土地と仲良くなっても、作品をつくった後には去る。毎回決めていることがあって、まず、最初と最後にはその土地の神社かお寺に挨拶をしに行くこと。もう一つは、去る前にお世話になった人々にできるだけお礼を伝えに行くことだ。

その日も、あるお店に最後の挨拶をしに行った。店番が交代制なので定かでなかったのだけど、たくさんお世話になった人が、丁度いた。

しかし、「今日で最後なんですよ~本当にありがとうございました!」と挨拶すると、「うん、うん」と返事をして事務所に戻ってしまった。仕事が忙しい時間だったのか、悪いことをしてしまったな、と思いながら、記録のために周辺を撮影することにした。

しばらく歩いていると、その人が後ろからやってきた。見ると、プラスチックの書類ケースを持っている。

「あのね、ちょっと恥ずかしいんだけど、聞こうと思って」

そう言ってケースを開くと、文字が印刷されたコピー用紙が、たくさん出てきた。書き溜めた自作の詩だという。見て良いですかと聞くと、もちろん、と頷く。そこには、1枚につき5~10行の詩と、花など簡単なイラストがひとつ、並んでいた。気づけばもう40年以上、書き続けているのだと言う。

「たまにね、寂しい時とかに書いたりしてたわけ。子どもが生まれた時も、母が死んだときも、こうやって書いてたのね。全然書いてない時もあるのよ。でも、こうして見たら結構たまったなあと思ってね」

私は、山間に住むその人の姿を思い浮かべた。広い家に、夫と二人暮らしだと言っていた。冬は雪に閉ざされて氷点下になるという、山間のしずかな暮らしを思った。そこで一人机に向かう、女性の背中が見える気がした。

「それでね。もしあれだったら、本の形に、きれいにまとめられないかなあと思ってね。ほら、あなたはこういうのを綺麗に作っているでしょう?だからやり方を知っているんじゃないかと思って。待ってたの」

彼女はそう言って、私の作品のリーフレットをファイルから取り出した。驚いた。私の訪問は、前回の滞在から1か月以上経っていた。「え、1か月以上、私が来たら聞こうって思って待ってたんですか?」と聞くと、小さく頷いた。

「こういうのを、好きな人もいるけど、『なんだよ、こんなの作ってさあ』って笑う人もいるからね、あまり人に見せていないし、聞けないの」

それを聞いて、ああ、私はいま大事な秘密を見せてもらったんだな、と思った。
そうだ、自分の作ったものを見せると言うのは、本当は怖いことだった。私もいつか馬鹿にされたことを思い出す。「なんだこれ」とか「しょうもないことやって」という言葉は、思った以上に心に残る。そうして、誰にも見せることなく作るようになっていく。その時間が積もり積もった結晶が、今見せてもらっている詩の束なのだ。

「ほんの数冊でいいの。15冊もあれば十分。ちょっと見返したり、欲しいって言ってくれるひと握りの人に、渡せたらそれでいいの」

私はその思いに答えたいと思って、本を作ってくれる会社のHPを見せて、手順を説明した。自分でコピーして冊子に束ねる方法も話した。しかし、どれもしっくりこないらしい。うん、うんと返事はあまり明るくない。
しまいに「こんな風にできたらいいんだけどねえ…」と作品のリーフレットを指す。


ああ、もうこれは、やろう。そう腹をくくった。

「わかりました。私が、作りますね。大きさは、どんなのがいいですか?」

そう言うと、ぱあっと表情が明るくなった。


そうだ、と思った。表現は、恥ずかしいけどこうやって、嬉しい気持ちもたくさん連れて来てくれる。自分の表現を肯定してくれる人がいて、それを少しだけ残せたら、人はこんなに幸せな顔ができるのだ。

そこでふと思い出す。
いつかの出版社のあの人も、もしかしたらこの顔が見たくて、新しい部門を始めたんじゃないかな、と思った。