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どこだれ③なぜ震災のニュースを見るのか


人々は、みな同じ方向を見ていた。視線の先にはテレビの画面があり、バラエティー番組が映し出されている。街はずれの風呂屋の大浴場で、人々が何をするともなくぼーっと映像を見ていた。普段と変わらぬ光景だ。
いつもと違うのは、その画面の四隅に「にげて 津波」という文字が大きく表示されていることだった。

元旦に、大きな地震があった。その日に結構な距離を歩いていた私は、夕方に起こったその揺れをめまいと勘違いし「ああ、ちょっと休もう」と道端のベンチに座った。隣にいた夫婦がスマホを見ながら「地震だって」「石川って言ってるよ」と話しているのを聞き、ようやく状況を理解した。その後も街を歩いていると、すれ違う人たちの口から「津波警報」とか「震度7」といった言葉が聞こえてくる。先ほどまでのお正月の浮かれた雰囲気から、なにかひとつフェーズが変わったのを感じた。

「ふふふ」
隣でバラエティー番組を見ていた女性の笑い声が耳に届く。この時映っていたのはおそらく震災情報を放送していなかった唯一の局で、画面には正月番組ならではの明るいムードが漂っていた。ただ、どうしてもテロップや津波警報の出ている部分が赤く示された日本地図が気になる。北陸は寒いだろうか。同じ時間に湯につかっている人々と、断水した避難所に身を寄せている人々がいる現実に思いを馳せる。「あはは」と、隣の女性の声が一段と大きくなったところで、ほかの場所へと移動した。

ベンチで自分の指先から上がる湯気をぼーっと見ていると、隣に座っていた二人の会話が耳に入ってきた。
「東北の時と同じくらいかな?」「えー、東北の方がやばかったんじゃない?震度7だっけ?」「どうだったっけ。でもまだ揺れてるっぽいよね」「ずっとやってるよね、テレビ」「あれでしょ、津波警報」「津波警報って夜になっても出るんだ。結構長いね」「でも今回は東北より波高くないでしょ?5mくらい?」「東北の時ってどれくらいだったっけ」「さあー?10とか?」「10m?」「え、わかんないけど」「東北よりは大丈夫そうだよね津波」「さすがに前の時のやつ見てるから逃げるでしょ。東北の時はさあ、みんな津波とか見たことなかったんじゃない」「確かにーそれで危機感なくて逃げなかったとかあるかもね」

お湯の表面から立ちのぼる湯気を凝視しながら、その会話を聞いていた。感情が湧く度に、目を凝らすことに集中した。湯気の立ち上るのに合わせて、空を見る。暗い空を見ながら、夏に、福島県富岡町で出会った人たちのことを思い出していた。「いまだに震災関連の記事や写真が見られない」と言っていた人のことを考えた。年末に、岩手県の宮古市で出会った人たちの顔が浮かぶ。震災当時のことを淡々と話す声が耳に再現された。あの人たちは大丈夫だろうか、と思った。震災のニュースが繰り返される中で、精神的に厳しい状態にいるのではないだろうか。今聞いた会話に対する複雑な気持ちを抱えながら、暗い気持ちでその場を後にした。

後日この話を友人にすると、少し考えた後に「そういう会話って、エビデンスとか関係ないんだなあ」と言う。「すべてが憶測とか予想に伴って会話が進んでる感じが、自分は聞いてて気持ち悪いんだけど、でも世の中の大半の会話ってそういうものなのかもしれない」。

自分の中でもやもやしていた部分が、少し形になった気がした。彼女たちの会話を聞きながら、「ああ、知らないんだな」と思った。そして「知ろうとしてこなかったんだろうな」とも思った。見ようとすれば、知ろうとすれば情報は溢れているのに、東日本大震災の津波の高さ、被害の大きさ、そこに居た人の状況、そういうことに目を向けてこなかったのだ。一方で、仕方ないのかもしれないと思う部分もある。自分に余裕がなければ、そして身近に関わった人がいなければ、自ら積極的に情報を取りにいかないだろうことは、安易に想像できる。

以前震災にまつわる本をたくさん読んでいた時期に、知人に聞かれた言葉を思い出した。「なんでそんなに震災関連の本読んでるの?震災がテーマの作品でもつくるの?」
想定外の問いに、しばらくぽかんとしてしまった。当時は作品制作のためという目的ではなくひたすら本を読み続けていた。でも「なぜ?」と言われるとうまく答えられない。そこで初めて、自分は何のために毎日震災や戦争のニュースを見ているのだろうかと思った。当たり前すぎて考えたことがなかったのだけど、改めて突き詰めると、自分から出てきた言葉は案外チープだった。
「なんかたぶん生きてたらどっかで喋ると思うから」。
この社会で、たまたま何か大変なことが起こった人たちと喋る機会がどこかでやってくるだろうという感覚が、なぜか昔からある。同時代に生きていたら、絶対にどこかで出会うだろうと思っている。それは私が阪神淡路大震災後の神戸で育ったからかもしれない。そういう人たちと話す時に、必ずしも知識が必要なわけではない。しかし、背景や出来事を知っていることで、自分としても傷つけることを必要以上に恐れずにいられるし、何より知ることは心を寄せることだと思っている。あなたが経験したことを私には決してわからないけれど、それでもずっと見ていましたよ、気持ちを寄せていましたよと、示したい。それが、私にとってはニュースを見ることで、一番身近でできる支援の形だと思うのだ。

この先も、震災や戦争など人々の悲しみの種になる出来事は尽きそうにない。自分の心が受け止めきれなくなったらしばらく休んで、それでも目はそらさずに居続けたい。そんなことを強く思った年の初めだった。