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母と人間関係の話


短期間で、しかも長い文章を書くことはないと思っていましたがまとめる能力がないため結果的にこの話も長々と書いてしまいました。
自分可哀想みたいなnoteで申し訳ないです。同情してほしいなんて思いません。この話だけは思い出すだけでも嫌な気持ちになるので何がどう嫌だったのか文章化して記憶のメモリから減らそうと思って書き上げました。


今日は母と母のせいで人のことを信じられなくなった話をします。

初め

母子家庭だった、父の今はわからない、生きているのかどこにいるのか。
小学生に上がる前に真っ赤なランドセルを買ってくれたおじさんがいた。
その人はなんでか知らないけど車のおじさん、と呼ばされていた。
(今思うと車でわざわざ来てくれたんだろう)その人が父だったようだ。記憶の中の父は真ん中わけのアブラギッシュなぽっちゃり、眼鏡にいつも白のワイシャツをズボンにインしていた。
夕方クインテットにでていた宮川 彬良をぽっちゃりさせたら想像がつくかな…すみません人の名前を出してしまって。

・・・ようだ、というのも母から確認をとっていないからだ、妹から仕入れた情報。本当のことはわからない。
何故なら私は認知されていない(戸籍謄本をとったときにわかりました)し
母とけんかしてしまったしそもそも話したくなさそうだったから、金輪際聞くこともないだろう。

婚姻届の書類確認時、市の職員に空欄がある、と言われ認知されていないため空欄にしていると伝えたらへえ〜と鼻で笑われた。母子家庭の人間が結婚するとそういう扱いをされるのか。悔しくて泣いたが母はずっと正社員。母が勤めていた会社がつぶれた時もあった、その際は郵便局の夜勤で働き年子の自分たちを育て切って自分の親の介護もしているスーパーマン。女手一つ五体満足で育ててくれた母には文句は言わなかった

いうことを聞かず外に出されて飯を食わされたこともある、細い針金のハンガーでたたかれたこともあった、あれも結構なトラウマですが…。


それでも母が行った行為で一つ超弩級のトラウマがある。それが自分の治らない人間関係につながる。


実家暮らし

自分はかなりめんどくさがり屋で何か大切なことがあっても大体事後報告になる。
これが母にとっては怒りになるポイントだった。妹はそれを見て学習しよくよく母の言うことを聞き母に逆らわない趣味は勉強の人間になった。
自分は母の言うことに背き夜遅くまで出歩き勉学も大してできない人間になった。
そんなことをしていたら可愛がられるのに差が出るのは当然だった。それがますます母に逆らうことになる。

逆らいつつ20と数年家で暮らしていた。きっと本当に憎くて嫌いだったと思う、実家にいたときは妹とも仲が良くなく母と一緒に早く出ていけと言われた

なので出ていくことにした。そのころ今のパートナーと付き合って結婚を前提に同棲をという話だった。母とパートナーとの顔合わせもした。
この時も同棲がきまったタイミングで母に報告したな。

この時はもう出て行けと言われていたし母にとっても良いニュースだと思った。私が書類関係で手間がかかるだけだから事後報告にした。

母は一言
「勝手にしなさい」
とだけ言いました。

なので勝手に荷物をまとめて出ていきました。

結婚

その二年後結婚した。もちろん事後報告。
これが母の逆鱗に触れた。
なぜ報告しない?家出る時もそうだ(?????)なぜ私に報告しない???妹もお前も嫌いだ

どちゃくそに切れられました。そらもう暴力のセットまでつけて。
女特有の昔のことも引っ張り出されてすべてお前が悪いと
というか妹も嫌いとか知らんわい

自分からすれば親には勝手にすればと言われた時点ですべてに見切りをつけられたと思っていた。妹がいるから私は家族からいなくなっても問題ないものだと思っていた。同意書だってほかの人に書いてもらった。母に出る幕はなかった。

しかし両家顔合わせの食事会までは大人しく謝って母の言うことを聞こうと誓って予定を入れてもらった。私もつくづく自分勝手でした、今もだけども

ド級のトラウマ

そして両家顔合わせの日パートナーはお義父さんとおばあ様(二人とも結婚する前からすごくよくしてもらいました。家族だと言ってくれました。娘だと言ってくれました。お義父さんに至ってはパートナーより連絡取り合っていますしおばあちゃまはお洒落さんで若いころ使っていたアクセサリーなんかを譲ってもらいました、大好きです。)を、私の親はなんと東京に住んでいる弟(私から見て叔父)を連れてきました。

母は見てきた中で深い付き合いをしてきた親友と呼べる人はいなかったと思います。自分だけで生きてきた人です、そんな人がわざわざ食事会の数時間のために弟をよこしてきました。スーパーマンだと思い込んでいました。買いかぶっていたのかもしれないですね。

それから食事会が始まりました。おばあちゃまはお話が好きな人で母に叔父にいろいろな話題を振ってくれました。叔父も職業柄かおばあちゃまとお義父さんと会話をしてもらいました。


そんな中、母はすべて愛想笑いでそれ以外は下を向き話題を振ろうともせず叔父がそれをフォローし挙句隣にいる私にケータイで帰りたいからタクシーをよこせ、

そんなメッセージを出してきました。




トンカチで頭をぶん殴られた気分でした。

なんでもできるスーパーマンだった母が、大好きなおばあちゃまやお義父さんに、他人に気を使わせて、空気が悪くなるようなことをして、我慢してほしかった。せめてあの時、嘘でもいいから、殴られるのは、暴力だって文句だって、平気だけどあんな態度は、裏切られたと、

食事会が終わってパートナーの家族と別れてから叔父、母、私、パートナーの車内で罵詈雑言を吐かれました
なんて言っていたのか覚えていません、思い出そうとすると動機がします
でもパートナーが擁護してくれたのは覚えています。そこから親という生き物は、人は、あんなにもひどい仕打ちができるんだと


今の私

そこから人のことがあまり信用できなくなりました。母にはその後誰かが死んだら連絡しろ、とだけ言い直接的な連絡は取っていません。
妹とは距離をとれたのか手紙でやり取りをする仲になりました。
しかし妹は私が住んでいる住所を知らないため母が代わりに手紙を書いています。
私は深く傷ついたことは母にとってはどうでも良い思い出になっているようで手紙でちょこちょこ連絡が来ます、妹名義で。母名義だと私が受け取らないのを知っているようです、こざかしいですね。


人が信じられなくなった原因?

きっと私は母に期待をしていたんだと思います。
母はスーパーマンだから私のことが嫌いでも大切なイベントには、他人には気を使ってくれるんだと、思い込んでいました。

母はスーパーマンではありませんでした。
あの人も人間だから自分の感情を優先しました。

それが母にとっての最適解だったんです。


それから母もそれ以外のすべての人間もいつかふとしたタイミングで裏切るんだろうと思いあまり信用、期待をしていません。


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