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母がくれた23歳の誕生日プレゼント


生きてると辞めたい。
逃げ出したいと思う時がある。

仕事、学校、勉強、恋愛。
様々な場面で誰もが一度は思う瞬間が来る。

私もつい最近辞めたい、逃げ出したいと思った時があった。

その時に思い出した幼い時の記憶の話をしたい。

母からの贈り物

その記憶は私が小学生から中学生の時の事だ。

「自分がやるって言ったんだから続けなさい!」と母に怒られた記憶だ。

母は、私が習い事を辞めたいと言っても決して辞めさせてくれなかった。小学校から中学校に変わるタイミングで卒業する事はあったが、私がやめたいからという理由では辞めさせてくれなかった。特に英語の習い事が大嫌いで毎週水曜日が苦痛でたまらなかった…。

辞めたくて泣きわめいても母から返ってくる言葉は

自分でやるって言ったでしょ!」の一言。

当時の私はこんなに楽しくないのになんでお金を払ってまで行かないといけないのか不思議で仕方なかった。

こたえあわせ

今考えたら子どもの習い事が一つ減った方が家計にも余裕が出ただろうに、なぜ母は辞めさせてくれなかったのだろうか。

23歳になってようやくその答え合わせができた気がする。

それは母は自分の選択に責任を持つ人に育って欲しかったからだと思った。母は私に自分で選んだ事には、楽しいだけじゃなくて責任が生じる事。そしてその責任を全うする義務が生じることを教えたかったのではないだろうか。

そして、母はもう一つ大事なことを教えてくれた。それは自分の意思で日々の選択をすること。そして自分で選んだからこそ生まれる責任感を大切にすることだ。


これから先の人生で逃げ出したいと思う瞬間は幾度となく来るだろう。

人間だもの。

時には逃げることを選んでもいい。

ただ母のおかげで私は自分の意思で始めた事は最後まで全うしたいと思えるようになった。



今後辞めたい気持ちが脳裏をよぎっても、

喉から手が出る程やりたくて始めたんだよね。

そうだよね。と立ち止まって母の言葉を思い出しながらまた一歩ずつ歩んでいくのだろう。

そんな自分でありたい。


おわり

習い事の目的は一見技術を習得する事だ。野球だったらボウルの投げ方や打ち方。ピアノだったらいかに難しい楽譜を弾けるようになるか。

23歳になって幼い時の習い事は技術を習得するだけではなく、考え方や日々の選択、人生の歩み方に影響を与える事を知った。

あの時は嫌々ながら”続けさせられた”習い事。5年以上経ってこんな形で自分の中で蘇るのかとまた一つ人生の面白さに気付かされた。




2週間前に私は23歳の誕生日を迎えた。

誕生日の週に一人暮らしの家にシャネルの手鏡が届いた。母からの誕生日プレゼントだった。

シャネルの鏡とは別にもう一つ。今晩はちょっと遅めの誕生日プレゼントをもらった気分になった。

お母さん、ありがとう。


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