久々に文章の書く力を湧き立たせている。 日々考えと気持ちは四季のように移りゆくわけで、それは良いのか悪いのか、簡単には判断はできないが着実に日々進歩していることは確かである。 突然ではあるが''持久走''で人生を例えてみてみる。 そう考えた時にやはり、人生はマイペースで一定のリズムで刻むのが良いのではないかと思える。また、その時に周りの移りゆく景色も楽しみながら進みたいものである。どこかで飛ばしすぎると空回りしたり、後からどっと疲れに襲われるだろう。やはりマイペースは大切で
私が言う死にたいをマイナスに捉えるのやめてほしい。 この人生においてどの時点で芸術を完成させるかを考えているだけで、病んだり絶望することは人生のスパイスでそれさえも愛おしく感じてるのだから、本気で芸術を完成させようとしている(生活)、ただそれだけ。 ただ楽しむことが目的の人生よりも、より感傷に飾り、切なく、灰色の生活の中で暖かいベージュを創る生活をしていたいから。そうやって穏やかに、時には過激に死んでいきたいから、完成させたいから。これはただの自己満。もちろん楽しいこともやり
かわいーカッコしてデカケよ〜、カッケーよ君らは 自分のペースと温度で生きていいんじゃん てめーら全員の世界も全部かっこよくて惚れ惚れするけど。 あたしの格好見て惚れ惚れしてほしいなんて言わないし、私の世界を理解してほしいとも言わないし、まるで理解されたくないような気持ちでキョーもぷかぷか浮いてんだな 日々に幸がはいるスペースを義務を捨ててまでも手に入れて生きたいし、そうやって本日も死んでゆく あなたがた達も日々にゆとりを持って生きていきたいのにそうやって死んでゆくのだろうか
もうついこの間だったことが2年も経っていることに気がついた。 夏の生ぬるい匂いは苦手だった。 気がついたら誰もいなくても平気だった。 思い出すのは、太陽が反射したアスファルトと駄菓子屋の賑わい。商店街のお菓子屋さんは割安で、コンビニのイートインはクーラーが効いていない。 いつも一緒にいて、すべてが愛おしくなる情景。 街を見下ろして食べる食堂のパンと焼却炉の煙を、拍手と一緒に目の前からいなくなったあの日々を 私はいつも愛おしくてたまらない。 リアルとファンタジーは共存しないの
愛おしい日々へ。 この世界の温度が愛しくて切なくてたまらない。 ゆっくりと流れる時間。 夕暮れ時の虫の鳴き声、自転車のベルが段差で弾み鳴る音、玄関を開ける音、ただいまの声、空気の匂い。全てが切なくて愛おしい。 私はこの世界の言葉に傷つき、言葉に救われる。 不思議である。 間接照明をつけたこの部屋の温度と時間の流れが大好きでたまらない。 過ぎていく日々と時間を1日1分じっくりと染み込ませる。まるで本の一言一言をゆっくりと咀嚼していく時のように日々が流れていく。 無造作に畳
私は自分の生活に戻ってくる瞬間がたまらなく好きである。 自分の生活に戻ってくる瞬間は、身体と心が静まり返り透明になるような清々しく、軽やかである。 普段の生活を送る中で様々な人と出会い、他人の生活や意見に触れる。 私はその事柄にひどくくたびれる。 その事柄は、いつも私に驚きや喜び、時には悲しみもくれる。新しい世界を見せてくれる。 しかし、どの生活も私の生活の中では重要ではない。このことは、人と比べることとも言い換えられると思う。 私は私の生活について、他人から口出しされる
雨音。 雨が降ってきた、それだけで高揚感に包まれる様な夜。 意味のないことばかりを考えていた私の心に、そっと落としてくれる雨音は、静かすぎる夜に音をつける。 現実味。 空想と現実、どちらで生きているかを問われれば私は迷わず空想である。目に見えるものよりも目に見えないものを大切にしてしまうのは何故なのか。私はいつも想像を膨らませる。世界について、人について様々なことを想像し、自分の中で完結せずに終わる。しかし、いつも決まって私の中では、目に見えないものを大切にする思考に落ち着い
暗いくらい暗いくらい 電気がまぶしい 幻みたいな曲を全て腹に入れた さっきよりは丁寧に言葉をナイフとフォークで、曇った空にかけらだけが見えるなあ のうのうのうのうのうのうのうのうのうのうのうと 明日を当たり前に受け止められねえよ 死にたいなあなんてカーテンが揺れて、外気にさらされる気持ち、気持ちいいな まっすぐだと思ってた机はゆがんでたんだ なにもわからねえな むなしい切ないだけの人生で歩いて、合う人々を頭の中で殺してく 当たり前にあったことが全部消えちまったんだ はかなく
この暗い部屋で描くひとりの女の子の話を 私ひとりで描けるわ、きっと、怖くないはずよ。 彼女は昔信じていました、お父さんとお母さんはとても仲良しなのだと。 彼女は目に見ます。本当の大人たちの姿を。 彼女は驚愕で、声も出ず、静かに泣きました。 信じていたものは、虚構とでっちあげられた嘘。 彼女のこころには、一生ふさがらない傷と、おまけに言葉のナイフでした。 今でも思い出すだけで、こころがしくしくと痛みます。 思い出すだけで絶望感と悲観で胸がつぶれそうなのよ。 私は彼女を許さな
ケーキを食べながら読書ができるほど、器用じゃないからケーキを食べてから読書をしようと思っていたのに、ケーキを食べただけで胸いっぱい。いや、これは胸焼けか。 二つ隣に座る大人しそうな男性はその店の常連っぽくて、店員さんに「今日は、ほうじ茶じゃないんですね?」と言われていて、恥ずかしそうに「今日は、アイス珈琲の気分なんです。インスタでここのドリップアイス珈琲の写真を見て飲みたくなって...」と答えている。 また、ある女性の常連さんは、店員さんの髪色が変わっていたことを褒め、またあ
春なんてひとつも感じることが出来ずに、20歳になってしまった 僕はまた夏を迎えようとしています。 さくらの開花情報がまだ届いていませんが、僕の住むまちでは昨日ひまわりが咲いたようです。 太陽のでている時間がのびてきて僕のへやではエアコンが必要なようです。 唯一の僕のあの友達の誕生日は春だったはずですが、このくそったれな僕はお祝いすることができませんでした。 怒っているでしょうか、僕のことなんて忘れているでしょうか。 人の列に並んでもらったあの西瓜は不揃いで僕の西瓜はみんなの
急に叫びそうになるのを喉の奥でとめて、息もうまく吸えなくなる 泣きそうになって、また逃げるようにしか生きられなくて 夏の歌を聴いて夏なんてって言って、悲しくなった やっぱじゃないんだって言ったって、なんの解決にもならないくらいに塞いで 頑張らないとって 頑張らないとって 明日なんて嫌だって 真っ赤なリップのあの子みたいには生きられないし、テレビの世界に夢見て また今日を勝手に終わらせて このまま人生だって終わらせたいなあ アイスを買って、買って満足して、ドロドロに溶かしたアイ
来年のことを考えました。全部が真っ暗なことに気が付きました。 今のことを考えたりしました。 よくわからない誰かが言いました「先のことを考えても意味がないよ」 またある人がいいました「将来についてしっかり考えなさい」 どっちにもなれない僕でした。考えたり考えなかったりしていました。 先に進みたい気持ちとか何かやりたい気持ちが前のめりになって、僕は転びそうになりました。 雨が降っているのに窓を開けて左肩だけが濡れました。 持っている漫画とか前に見たdvdとかを見返して、ただ時間
20歳になった僕は、20回目の春を通り過ぎていました。 何かしないといけない気がして何かしたい気分になってるようで、また僕は何もできないでいました。 周りの環境の変化についていけなくて何もかもぶち壊してしまいそうに何度もなっているのに僕はまだ生きていました。3月に撮った写真を無料プリントして並べました。朝焼けと夕暮れの世界が多くて澄んでいました。 ネオン街には行きませんでした。海外や旅行にも行きませんでした。 まるで何にも変わってない20年間と変わり果てた20年間で僕は造られ
今にも死にそうな顔をして僕は駅前をすっ飛ばして、住宅街にある人気のない公園のブランコを笑ってこいでいたんだ。誰の言葉も耳に入らなくて、どんな言葉も読み取れなくて文字の羅列が僕の心にただ入るだけだったんだ。まるで難しい書物を読むみたいに何度読んでもわからなかった。 説教じみたようだった言葉の羅列が意味もわからないのに僕の胸に突き刺さって、なにも言えなくなった僕は心にモヤを抱えて飲み込んだ。何かの言葉が口から溢れそうになるのに出てくるのは呼吸音しか聞こえない。 あゝ、誰がこんな
社会を疑ってるし、集団行動は苦手です。人を殺しそうになるからです。あとは私自身が死にそうになるからです。 人と人の繋がりを大切にして生きている人が羨ましく感じ、同時に理解できないのです。人と人の繋がりの生む素晴らしさは色んな人が語っているから私も知っています。しかし僕はそれを身を持って持って体感したことはありません。 「あの時はありがとうございます。」「こちらこそ、ありがとうございます。」 全部全部だいきらいです。言葉に表そうとすると言葉にならなくなって奇声のような叫び声が