spring diary(ハタチ)

20歳になった僕は、20回目の春を通り過ぎていました。
何かしないといけない気がして何かしたい気分になってるようで、また僕は何もできないでいました。
周りの環境の変化についていけなくて何もかもぶち壊してしまいそうに何度もなっているのに僕はまだ生きていました。3月に撮った写真を無料プリントして並べました。朝焼けと夕暮れの世界が多くて澄んでいました。
ネオン街には行きませんでした。海外や旅行にも行きませんでした。
まるで何にも変わってない20年間と変わり果てた20年間で僕は造られていました。
たまにばかのふりをして静寂のなか大声で笑っておどったりしました。
脳みその中に住んでいる僕は疲れ果てていました。
20歳の僕は20回目の春を通り過ぎようとしていました。

桜が散って市街に死骸があふれ出して、近所のおじいさんが魔法の箒で死骸を成仏させるように市街から桜が消えて、その次は緑でしょうか。
20歳になった僕は僕が普通の人間であることに気づいているのにまだ気づかないふりをして居たがりました。
存在意義を探すふりをして、あのころに落としたものを探して見つからないのを知っていくのでしょうか。
過去に縋って未来は見たくないのは、過去がきれいに見えてしまうワナでした。
段ボールにつまっている過去をこじ開けてみるのはいけない事だと思い、すべて捨ててしまいました。そんな
ことばかりして今日をつぶして閉じてしまうのです。

周りの人間の暮らしがすぐそこに感じてしまうような社会の中で、ついさっきまでの身近な人が遠くに行ってしまうことだってあるのです。
あなたと私の暮らしぶりに大きな差がうまれてることに、初めから何もかもが違っていたような、しかしある人から言わせれば僕の暮らしぶりだってそういう人もいるよって言われるだろうとつまらない想像をするのです。
普通普通にひとはみんな普通にしたがって、僕だって例外にはなれませんでした。
僕だってバイトの帰り道、寒空の下、コンビニのホットコーヒーを片手に歩いてみたいと思ったりするのです。

バイトの帰り道では桜の木が昼間よりも映えて見えました。花びらが目の前で散ってきて僕の足元に止まりました。
空き地にいる猫は僕と目が合って、僕の方から目を逸らしました。僕はまだコンビニのホットコーヒーの買い方も
わかりませんでした。
20歳の僕はまるで20回目の春であることを忘れているようにこの季節を通り過ぎようとしていました。

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