『45510』考察 ~白米とガラスが表すもの~
漫画『【推しの子】』の原作者・赤坂アカによる書き下ろし小説『45510』を読んだので、感じたことなどを少々。小説、漫画、アニメともにネタバレには一切配慮しません。また、アニメ『【推しの子】』の主題歌『アイドル』にも多少言及します。
※「作品」や「テクスト」の解釈は一通りに定まるものではないし、作者が解釈を間違うことも往々にしてあり得る。本稿はその立場に立ったものであることを先に注記しておく。
「白米」と「ガラス」
『45510』を読んだ者が覚える大きな違和感の一つに、白米とガラスのエピソードがあるだろう。配信で白米が苦手と嘯くアイは、その理由を以下のように語る。
一般的な感覚でいえば、白米にガラスが混入することなど砂以上に滅多にないことだろう。これだけでも読者に与える違和感としては十分であろうが、「白米」といういやに具体的な語も何かひっかかるところがある。「お米」でも「白いご飯」でもなく「白米」という、アイドルには何だか似つかわしくない漢語表現。そして玄米や他の穀物をはじいてピンポイントで白米を挙げる具体性。そこにガラス混入という極めて特殊な事象の想起が合わさってくれば、このアイの語りは実際に起きた出来事からくるトラウマを指しているのであろうという予想が立つ。そして実際、以下のようにタネが明かされる。
ここからは、この「白米」と「ガラス」のモチーフが何を表しているのかを考察していく。
混入する「ガラス」
黙殺されるアイの本音
上記の白米とガラスのエピソードで語られるのは、アイの弱音である。母親に関するトラウマを明かし、ファンの前では最初で最後であろう弱音を吐くアイに対し、アイに陶酔する者達はどのような反応を示したのか。
配信のアーカイブをアップしたファンは、アイが弱音を吐く部分を消去しているようだ。また、アイがメンバーに弱音を伝えようとした唯一の文章を、本作の語り手は最後まで読むことなく削除している。
この語り手はアイの配信をすべてチェックしているほどの、アイの死後16年経ってもまだ性懲りもなく亡霊を追っているほどの、筋金入りの信者である。そんな語り手が「アイの弱音」という衝撃的な配信のことを忘れるだろうか。「思えば一度だけ、」などとそれまで忘れていたかのような語り口がなされているのは、語り手がアイの本音を黙殺し、記憶から消そうと努めていたからではないだろうか。このように、信者たちが求める「アイ」の偶像の維持のために、アイの本音はなかったことにされてしまったのだ。
B小町の仲間の前では平気な顔で白米を平らげるアイ。
非公開の記事で本音を打ち明けようとしたことや、秘密のスマホのパスワードを45510にしていたことから、アイが仲間に寄せる想いが大きかったことは明らかだ。
そんな仲間の前だからこそ、ガラス混入のトラウマを感じることなく、アイは安心して白米を食べられたのではないだろうか。
アイに対してファンとしての眼差しを併せ持ち、対等な立場であろうとしない語り手は、このことに気づけない。アイの想いは届くことなく、「嘘吐け。」の一言で一蹴されてしまうのである。
ガラスの心/心のガラス
アイが語ったガラスのエピソード。それはアイの心に秘められた「ガラス」の部分だったはずだ。そしてそれは同時に、アイを信ずる者にとっても「ガラス」、触れたくない/食べたくない部分だったのである。
なぜ語り手はこの「リアリティ」に共感できるのか。
語り手もまた、アイの中にある「理想から外れたアイ」という異物を怖がっているからだ。
以上のように考えていくと、「ガラス」は「本音」と対応していそうだ、という考えに至る。そして本作の最終文もまた、この仮説に合致する。(「窓」だけで済むところをあえて「窓ガラス」と表記している点も、この説を支持する要素といえる)
「アイドル」として抱く、常に自らの上を行くアイへの嫉妬の裏には、「ファン」として抱くアイへの陶酔が隠れている。そしてそれは語り手の心中に潜む「ガラス」なのである。
「白米」の意味
白米が選ばれる必然性
ここまでの考察で、「ガラス」は「本音」と対応している、ということが見えてきた。では「白米」はどうか。
まず、作中においてアイの本音は、「アイ」という偶像を揺るがすものとして語り手に描写されている。このことから、「ガラス」=「本音」に対置される図式として、「白米」=「偶像」という視点が挙がる。白米は日本人が最も多く口にする食材の一つだが、嘘をふりまく偶像としての「アイ」もまた、国民的人気を誇る伝説のアイドルとなった。この点で両者は共通する。また、白米の"白"という色は、アイドルから想起される純真無垢のイメージや、アイにスキャンダルが報じられてこなかったことと結びつく。
そして、上で引用したように、白米は(砂やガラスの硬さに比して)「柔らかい物」として捉えられている。「やわらかさ」のイメージを「女性」と連関させて考えれば、アイのアイドル活動と結びつくが、ここに「母性」というワードを持ち込めば、アイの母のことが頭に浮かぶ。アイの母親は、母性のイメージとは裏腹に、アイに暴力を加えていたことが漫画で明記されている。(アイ自身が母親になることとの関連性についても考えてみたくなるが、これについては後述する) このように考えてみると、「偶像」の変奏として、「白米」は「偽りのやわらかさ」を表してもいる、ということになりそうだ。アイからしてみれば、「母親」というのも一種の儚い「偶像」なのである。
このように、「白米」というモチーフは、「ガラス」と対比される形で、「偶像」を象徴している。上記の議論のようなイメージを的確に表すためには、アイの口から語られるのは他の食べ物ではなく「白米」でなければならないのだ。
ウサギの着ぐるみ
YOASOBIが手掛ける、アニメ『【推しの子】』の主題歌『アイドル』は、『45510』を原作として作曲されている。そのMVでは、「完璧で究極のアイドル」のイメージとしてウサギの着ぐるみが描かれている。ウサギが採用されるのは、単に可愛い動物だからではない。「白米」が持つ上記のような大衆性、白さ、やわらかさを兼ね備えているからである。そしてこのウサギが着ぐるみ(≒偽りの仮面)であるということも見逃してはならない。
二面性の克服に向けて
アイの目
『【推しの子】』においては、一部の登場人物の瞳に星のようなものが宿る描写がある。これも「白米」と「ガラス」の図式にのっとって考えることができる。異様に尖った星は、偶像の中に混じった「ガラス」、つまり隠された本音/秘密なのだ。実際、星が宿る登場人物はみな、重大ななにかを隠し持つ者ばかりだ。そのミステリアスさが、彼らのカリスマ性を引き出すのである。
アイ自身が母親になるということ
母親との関係をトラウマとして抱えるアイが、母親になるということ。これは何を意味しているのだろうか。
母親からの愛を十分に受け取らないまま育ったアイは、「嘘が本当になることを信じて」、アイドルとしてファンに嘘を振りまく。そんな中で母親となったアイだが、ファンに刺された今際の際、「絶対嘘じゃない」本音としての「愛してる」を手に入れることに成功する。
この瞬間、「白米」としての母親、つまり、愛をくれるようでいながら実態は子に危害を加える「ガラス」混じりの母親像を、アイは克服するのだ。儚い偶像だと思っていたものは実体となり、嘘として振りまいてきた言葉が本当になる。母親というロールを自ら経験することによって、「愛してる」という言葉を媒介として、「嘘」と「本音」が一つに合わさったのだ。そして、悲願を達成し秘めるものがなくなったアイの目からは星(=ガラス)が消え、彼女は息絶えていくのである。
以上、書き殴りの考察であったが、通読中に思ったことをまとめた。考えたことを全て書けているわけではないので、もしかしたら今後加筆や修正を入れるかもしれない。
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