推しの結婚を「しょっぱく」感じるのはなぜか


※ここでいう「オタク」は私の主観がたっぷり入っていますので、あくまでもこういう人もいるという感じで読んでください。





推しが結婚をした。けっこう何回も通ってきた道である。
「おめでとう」と笑顔の絵文字でお祝いするファンのTLを見て、自分がオタクであるということを実感する。

推しの結婚に対して、今まで本当に心から「おめでとう」と思ったことは一度もない。

こういうことを言うと、「人間としてどうなの」と思われてしまうかもしれないが、「おめでとう」と言えない原因に、推しへの妬みや恨みがあるわけでは決してない。
ただ、お祝いする感情より、しょっぱい気持ちの方が勝るのだ。
どうせ本人には届かない鍵垢で、わざわざ「おめでとう」と呟くほどの元気はない。ちなみにこの「しょっぱい」には色々な意味があると思うが、ここでの意味は「塩辛さ」に近い。塩むすびに塩の塊が入ってたときの(そんなときあるか?)、「うっわしょっぺぇ!」に近い気持ちである。おばあちゃんがくれたお漬物が「しょっぱすぎん?塩分大丈夫?」みたいな感じだった時の気持ちである。シンプルに「しょっぱい」。

私はこのとき、「あぁまた一人推しを失ったな…」と思った。




歴代の推しで1番最初に結婚したのはアイドルだった。
結婚発表をした直後ぐらいにライブがあって、チケットは持っていたし一応行った。よりによってこんなときだけ良席なのだ。花道のすぐ脇だった。もちろん推しも歩いてきた。

丁度私の目の前ぐらいで推しが歌っていた。今までなら泣くほど喜んだだろうし、持っているうちわに力を込めただろう。でもそんな気力1ミリも湧かなかった。
もう完全にやる気がなかった。うちわを掲げてみたところで、名前を呼んでみたところで、この人は家に帰ったら愛する奥さんがいるんだ、そう思うと「別にうちらが応援しなくてもいいじゃんね…」みたいな気持ちになったのだ。
目の前にいるのに嬉しくなかった。うちわも下げてしまった。
推しが結婚するってこういう気持ちになるのか、自分でも驚いた記憶がある。

こういうことを非オタクの人に言うと、必ずと言っていいほど返される言葉がある。
「推しと結婚出来ると思ってたの?」
私はこれ以上に浅い言葉を知らない。
でも本人たちからしたらただ疑問なのだ。多分悪意はない。
そこまで思うなら、付き合いたかったんじゃないの?本気で恋してたんじゃないの?
多分そう思ってるのだろう。

違う、ただしょっぱいだけなのだ。
寂しいとか悔しいとか悲しいとか、正直どれも定義し難い。そんな気持ちを包み込んでくれるのが「しょっぱい」という言葉だ。


熱愛は正直、結婚の倍の数通ってきた道だし、7割別れるのでさほど気にはしない。

でも結婚は違う。
恋愛は2人の話だ。だから2人さえよければ至極簡単に出会いと別れを繰り返すことができる。でも結婚は2人の話じゃない。親、生まれていたら子供とか、そういう色んな人間関係もそうだし、書類もそうだし、苗字だってそうだ。
離婚をすれば「バツイチ」なんて言われる世の中だ。結婚するということは、それ相応の覚悟がないとできない。

推しが「結婚」したということは、ほぼ8割方「一生一緒にいたい」という相手が出来たということだ。その事実がオタクにとってはけっこうえげつない。「私たちが応援しなくたって、1番側で支えてくれる奥さんがいるならいいじゃないか」と思ってしまう。「わざわざ応援しなくてもいいか…」と下を向いてしまう。しまいには「何か最近丸くなってかっこよくなくなった」とか言い出す。

正直、オタクも趣味でやっているのだ。あくまでも自分を満足させるためにお金を払って、遠くにまで出向いたりもする。しょっぱい想いを感じながら推すほど「良いファン」ではないのがリアルな話で、「やりたいことは全部やって!」とか言うけど女関係になれば話は別、みたいなとこもある。もちろんそのまま残って応援する人も一定数居るが――多分、大多数が「ファン」であって「オタク」ではない。この違いもまた、どこかの記事で書きたい。


推しの結婚に対して、友人が呟いた言葉が頭に焼き付いている。

「私今日から、あの人のオタク辞めてファンになるわ」

彼女なりの「もう推さない」という意思だ。
推しの結婚はやっぱり、何度経験してもしょっぱい。