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もったいないを乗り越える

片付けや断捨離をしていると必ず直面する「もったいない」という言葉。
色々な意味を含んでいて好きな言葉ではあるんですが、片付け中に直面するとなかなかに厄介な相手になります。

というわけで、どうにか自分を納得させるために「もったいない」に向き合ってみました。


もったいないとは?

「もったいない」をインターネットの辞書で調べると、「まだ(他に)役立つのに無駄にされて惜しい。」と説明されていました。この惜しいという気持ちが片付けの大敵です。

損失回避の法則と呼ぶらしいですが、「人は、得をすることよりも損をしないことを選ぶ」という心理傾向があるようです。
難しい言い方ですが、単純に言うと「結果的には得になるかもしれないけれど、損した気分になるのがイヤ」ということでしょうか。
得よりも損の方が感情につながりやすいんですかね。

この感覚は私にも身に覚えがあるので、よくわかります。
手放すことを考えるといつも「まだ使える」「高く売れないかな?」「いつか使うかも」等と思い浮かんでしまい、結局手放せないということが頻繁にありました。

なにが「もったいないか」の考え方を変える

色々とモノに向き合っているうちに、何に対して「もったいない」と感じているかを考えるようになりました。

例えば、何かを手放す時に「買ったお金がもったいない」のか、「使えるのに手放すことがもったいない」のか、「使わないモノで場所を塞いでいることがもったいない」のか、「使わないことがもったいない」のか等です。

1.買ったお金がもったいない

せっかく買ったのに、高かったのに、といった「買うために使ったお金」に対して感じるもったいないですね。
お金として数字で見れるので、対策はある意味一番わかりやすいです。
買った金額がいくらなら手放せるのか、いくらで売れれば手放せるのかといった基準が目決めやすいため、自分なりの妥協点を見つけやすいと感じています。

最初は少しでも高くと期待していたけれど、時間が経つにつれて考えるのが面倒になった結果、安くでも値段が付くならいいかと手放したモノも多々あります。

2.使えるのに手放すことがもったいない

片付けの大敵の一つに「いつか使うかも」があると思います。
まだ使えるからと残しておく判断をしかことがある方も多いかもしれません。

片付けのノウハウ本等では「いつかは絶対来ない」と言われたりしますが、この話を見ると「手放した直後に使う事態が起きた」経験をしたことがない人の意見なんだろうなと感じてしまい、あまり賛同できません。

なので私の向き合い方としては「いつか使うかも知れないけれど、そのいつかの為に置いておく程のモノかを考える」としています。
また、どんな時に使うかを想定できているか、その時が来たときに思い出せるか、が大事だと思います。

個人的な残念な体験談としては「買ってきたら家にあった」「あったはずなのに見つからないから、また買う」です。
「いつか」が来ても使えないなら残しておいても仕方ないですね…。

かといってすぐに切り替えるのは難しいので、「いつか使うかも」と思ってしまうモノは「いつか」の期限を考えるようにしています。
1ヶ月、半年、1年、5年、いくらでもいいと思いますが、その期間に使わなかったら手放してもいいと自分が思える期間を決めて残しておきます。
あまり期間が短いと、いざその時にまた悩むことになりそうなので長めにしています。

3.使わないモノで場所を塞いでいることがもったいない

使う予定がないモノが置いてあることで「スペースが役に立っていない」という考え方ですね。
当然ながらモノを手放さないと、その分どこかのスペースが埋まってしまいます。
その上、スペースが埋まっている状態が続くと、それが景色と化してしまい気付かないまま何年も経っていたなんてこともあります。

我が家でも靴箱の上や引き出しの上あたりに置きっぱなしになっている小物なんかが散見されます。

おいてある物を手放すことがもったいないのか、スペースが使えないことがもったいないのか、どちらが優先順位が高いかを見直してみるようにしています。

私の場合はそもそも「空いているスペース=モノがおける場所」という意識の見直しから必要でしたが。
空いているからと適当にモノを置いたらそりゃ片付かないですね。

4.使わないことがもったいない

使わずにしまいこんでいるようなモノは、「手放すことがもったいない」ではなく、「役割を果たせていないことがもったいない」と考えるようにしています。
ですが、理屈ではわかっていても手放す決心はできませんでした。

そこで、自分が使えないなら使う役割を他の人に任せてしまおうという考え方を持つようにしました。

これは売ったり、欲しい人に譲ったりできるモノに限りますが、モノとしての役割を果たせる人の手に渡るように手放します。
役割を果たすことなく放置した結果、ただ劣化して最後は捨てるだけになるくらいなら欲しい人に使ってもらいたいと考えるようにしています。

どこかのリサイクルショップの売り文句のようですが、これももったいないを解消する一つの方法だと思います。

そうは言っても思い出や思い入れのあるモノは容易に手放せません。
なので意識的にそのモノの処遇を考える頻度を増やすようにしています。

私の場合は高校生の頃に買ったエレキギターですね。
売れば買い手は付きそうですが、なかなか手放せずにいます…。


まとめ

もったいないは悪くない

冒頭にも書きましたが、「もったいない」という考え方自体は物を大事にする意識ともつながっていて大切にしたいと思っています。
ですが、何が「もったいない」かを考えることく、なんとなくで残すことは何が大切なのか、何のためにそれを持っているか、も見落としているんだろうなと感じるようになりました。
(この辺りはミニマリズムに通じるところですが、私自身はミニマリストというわけではありません)

子供への伝え方

片付けをはじめてから意識するようになったことの一つに、子供のオモチャを手放す際に「これ、おつかれさまでしたしていい?」と声をかけるようにしています。
まだちゃんと意味は伝わっていないと思いますが、「いらなくなったから捨てる」ではなく、「自分にとっての役割を終えたから手放す」という意識を持てるようになれば、私のように片付けに困ることを減らせるのかなと期待を込めて「おつかれさまでした」という言葉を使うようにしています。

今後の片付け

何でもかんでも、むやみにモノを残していくということは置くためのスペースが必要になったり、動線が確保できなかったりと、自分の環境をモノにコントロールされることになりかねません。
不便なだけならまだしも躓いてころんだり、緊急時に逃げられなかったりと安全面でも問題につながりやすくなります。
環境をモノにコントロールされるのは面白くないので、「もったいない」の心は大切にしつつ「もったいない」に縛られないように、しっかりとモノと向き合えるように意識していきたいなと思います。

おまけ

色々「もったいない」について書いてきましたが、実際問題としては家庭の片付けにおいての最難関は同居人との認識合わせだと感じています。
個人のモノは自分の意識で頑張りようがありますが、共有スペースや共有で使用するものは個人の一存で勝手に決めると、片付けどころではない問題に発展しかねません。
良かれと思っての事でも、相手が乗り気でなければ無理に押し進めたりしないように、よく話し合うように気を付けています。

今のところ我が家では大きな問題にはなっていませんが、私と奥さんの片付けに対するモチベーションに差があるので、共有スペースはじっくりゆっくりです。

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