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PortisheadとJo Coxの存在と不在と「孤独」

 2022年5月、英ブリストルで行われたチャリティーコンサート HELP! に Portishead が参加した。ウクライナやイエメンの戦闘地域に暮らす子どもたちのための支援イベントで、ブリストルゆかりのバンドが集まった(注1a、b)。

 Portishead の Geoff Barrow は主催団体 War Child UK によるインタビューで今回の参加に至った経緯を述べている。そしてなんとこの機会は「もう二度と一緒に演奏することはないだろうと思っていた」彼らにとって実に7年ぶりのライヴだったとも。出演前は不安や緊張もあったようだが、バンドが生み出すグルーヴと Beth Gibbons の憂いを含む歌声は以下のとおり、たった12秒でも聴き惚れる。

2021年《SOS》のリリース

 ということで Portishead はもうほとんど活動していないのだが、一昨年はこんな動きがあった。

本日(2021年7月8日)より ABBA のカヴァー 'SOS’ を SoundCloudにて独占配信します。主要ストリームサービスにおける初の商業リリースです。 Portishead と SoundCloudはこの ‘SOS’ の収益の一部をUKメンタルヘルスチャリティー機関MINDに寄付します。

 ここ数年コロナ禍で多くのひとが精神的に疲弊したはずだ。上記アナウンスを見たとき Portishead がそういうひとびとの「SOS」を 引き受けてくれたようで、なんだか心強く感じた。イギリスではメンタルヘルスを比較的(少なくとも日本ほど)タブー視しない印象がある。このように音楽を通じた啓発活動やチャリティー企画も少なくない。結果としてSoundCloud上の再生回数はメンバーの期待を大きく上回り相当の収益が出たそうだ(注2)。

 この曲はすでに2016年の映画『ハイ・ライズ』(注3)の挿入歌として使われており、同年6月22日付でバンドのYouTubeでも公開されていた。

 こちらのヴァージョンの冒頭にはSoundCloud版にはない実際の "SOS" 信号のような音がサンプリングされているが、全体的にはハイハットの音がそれに取って代わるリズムを打つ。中盤からは同様のシンセのリズムも重なり(中森明菜じゃないけど)難破船感が増す。
 ABBA の原曲よりマイナーコードの支配感も強く Beth Gibbons が「あなたの愛のほか、何もわたしを救い得ない(The love you gave me, nothing else can save me)」と歌うサビは、失恋ソングの主人公がかなり危機的な状況にあるように聞こえ背筋が凍る。
 そして、最後にまた戦慄が走った。

"We have far more in common than which devides us"
Jo Cox

「私たちの間には互いを分断するものよりも、ずっと多くの共通点がある」
Jo Cox

 画面に大きく引用されたこの言葉は、当ビデオが公開される直前に極右の男に殺害されたEU残留派議員 Jo Cox の言葉だったのだ(注4)。
 これはブレグジット投票の1日前にリリースされているが、その時点までに英国内では両派の論争が過熱化し、殊に離脱派の保守党による一部誤情報を用いたプロパガンダや UKIP(イギリス独立党)の移民を非難するような過激なキャンペーンは「分断」の空気を煽っていた。
 上記の言葉は2015年の Jo Cox の国会議員初心表明演説からの引用であり、イギリスの多くの地域は移民の力で活性化しており、そこでは多様性が賞賛されているという文脈で語られたものだった。
 以上ビデオの編集とアップされたタイミングからは Jo Cox への強い賛同かつ追悼の意とともに、国内外の政治的「分断」に対するバンドの危機感が窺える。また彼らはミュージックビデオがその後も視聴され続けることも見据えて、投票の結果がどう転んでも Jo Cox の信条を拡散したいと考えたのかもしれない。

故 Jo Cox (1974-2016) と Minister for Loneliness について

 それでは Jo Cox とはどのような人物だったのか。
 Cox は10代の頃から政治家を志し、議員になる前は慈善団体 Oxfam の役員として主にスーダンとコンゴの紛争に纏わる人道支援に従事した。
 2015年イングランド北部ヨークシャーの地元選挙区で労働党議員として当選を果たしてからはシリア内戦やパレスチナ問題、戦地における子どもの保護、また妊産婦死亡問題などにも尽力する。
 さらに特筆すべき仕事に「孤独」問題への取り組みがある。その背景には、彼女が地方の労働者階級出身者としてケンブリッジ大学に入学した際に大学の環境や文化の違いに馴染めず孤独にさいなまれた体験がある。

Young or old, loneliness doesn’t discriminate.
老若を問わず、孤独は誰にでも訪れる

注5b, 注6-p.8 

と提唱した彼女は、2016年に労働党・保守党超党派の「孤独問題委員会」を発起。41歳で殺害される直前のことだった。残された両党の委員たちは彼女の遺志を引き継ぎ専門機関と協働し大規模な調査を行う(注5a, b)。委員会は2017年には最終報告書を発表し「孤独」問題がいかにイギリスの社会・医療・経済を逼迫しているか具体的な数字を挙げて警鐘を鳴らし、対策案も提示した(注6)。
 そして Jo Cox の死後、彼女の政策を少しでもはやく具現化しようとした委員たちの動きが実を結び世界初の「孤独問題担当大臣」が誕生する(注7)。この大臣の発案に基づく仕事からコロナ禍における象徴的なものについて挙げたい。
 2020年末イギリス政府はパンデミック後初のクリスマスを迎えるに当たり、法で取り締まられた厳格なロックダウンのもと家族や近親者に会えない国民への救済として750万ポンドの予算を提示した。当時の為替相場でおよそ10億5千万円相当のこの予算は人々に繋がりをもたらす分野とみなされるアート、ライブラリー、ラジオなどのクリエイティヴ事業に分配・支給されることになった(注8)。
 「孤独問題担当大臣」は「市民社会およびデジタル・文化・メディア・スポーツ担当大臣」が兼務していたことを踏まえるとこのような流れはさらに腑に落ちる。例えば孤独相談窓口を増やすとか一般的な対策ではなく(こういう取り組みも大事だけれどイギリスではすでに結構充実しているようだ)、クリエイティヴ産業が「孤独」問題対策を担い得るという発想がイギリスという国の文化的底力だと思った。

あとがき

 Portishead の曲はなんとなく内向きでダークな曲が多い。バンドとして孤高の存在というイメージもある。と、やや無理やり「孤独」で文脈を繋げようとしているが、それは私が情報を整理するきっかけとなったのが約2年前「孤独問題担当大臣」について知ったことでそこからポンポンと Jo Cox、Portishead と結びついていったからである。
 Jo Cox が残した言葉のように「孤独」は誰にでも訪れるものだ。ただ、彼女が問題視した "loneliness" は主に社会的孤独を指していると思われる。それなら「孤独」より「孤立 (isolation)」といった方が問題の実態に近いのかもしれない。個人的に「孤独」は必ずしも悪いこととは限らないと思う。ただ本人が望まない「孤立」は防ぐべき問題だと捉えている。イギリスに倣って日本でも「孤独・孤立対策担当大臣」が設置されているが、政治にどれだけ期待できるかは分からない。
 Portishead みたいな暗い音楽に共感して時を過ごすのもきっと「孤独」の対策になる。文化が豊かな限り、こころは死なない。

注・参考資料

注1a:出演バンドのうち Heavy Lungs のヴォーカリスト Danny Nedelko はオデッサに出自をもつウクライナ移民であり、イベントへの参加に際して特別な感慨を述べている。

主要出演バンド IDLES は彼と親交が深いらしく2018年に彼の名前《Danny Nedelko》をそのまま題した曲をリリースしている。「移民」がテーマのこの曲には "Freddie Mercury" や "Malala" も登場する。


注1b:Billy Nomates も当イベントの参加にあたって、子どもたちが戦争に巻き込まれる不条理や、音楽が自身に与える力などについて語った。


注2:『SoundCloud によると Portishead の楽曲は〔当社の〕新たな印税システムのもと従来の500%分収益を増した』Pitchfork(2021年9月15日更新)

注3:原題 High-Rise(J.G. Ballard 原作、Ben Wheatley 監督)
映画館での鑑賞を逃し、のちに夜寝る前ひとりで観てしまい後悔した作品……。でも Portishead が流れるタイミングはドンピシャ。他にも The Fall の《Industrial Estate》の使用は物語との親和性が高く小気味よかった。

注4:2016年 Jo Cox はEU離脱の是非を問う国民投票に向けて、残留派・労働党議員として公務に勤しんでいた。しかし投票を1週間前に控えた6月16日、ある男に殺害される。現場では「ブリテン・ファースト」と叫ぶ声も聞かれた。この事件が社会に与えた衝撃は大きく両派キャンペーンが一時中断される事態にもなった。同年11月にはテロ行為の実行犯として男に懲役判決が下された。
"Jo Cox dead after shooting attack" BBC (2016年6月16日更新)
"Jo Cox: Man jailed for 'terrorist' murder of MP" BBC (2016年11月23日更新)

注5a:"Loneliness is harming our society. Your kindness is the best cure" The Guardian (2017年10月13日更新)

注5b:"May appoints minister to tackle loneliness issues raised by Jo Cox" The Guardian (2018年1月16日更新)

注6:Jo Cox Commission Final Report (2017)
以下、当報告書より特に気になった数字を引用:

・900万人以上の成人がしょっちゅう、もしくは常に孤独を感じている

・ロンドン在住の移民・難民のうち58%が孤独と孤立が彼らにとって最大の課題だと述べた

・10人に1人以上の男性が孤独を感じながら誰にもそれを打ち明けずにいる

・4人に3人の医師が、孤独が主な原因で病院に訪れる患者が1日につき1〜5人いると述べ、10人に1人の医師はそのような患者を毎日6〜10人診ているという

・イギリス企業が支払う孤独問題への代償は年間25億ポンドにおよぶ

・社会との繋がりが希薄な状態は1日につきタバコ15本分の喫煙と同等の健康被害がある

・"Big Lunch" イベント〔地域の食事会〕参加者のうち65%が地域の人々との関係性を強化できたと感じている

p.8-11

注7:"The World's First Minister of Loneliness" Bloomberg (2018年1月19日更新)
はじめて Minister for Loneliness (Minister of Loneliness と表記される場合も)という役職を聞いたとき、モンティ・パイソン的な響きでめちゃくちゃイギリスっぽいと思った。

注8:"Government announces £7.5 million funding to tackle loneliness during winter" 英国政府ウェブサイト (2020年12月23日更新)

Jo Cox について

以上、約4900字


最後まで読んでくださり多謝申し上げます。貴方のひとみは一万ヴォルト。