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1時間だけ過ごした彼女のこと


いまから数年前。
私は他業種から転職したばかりの、生まれたてほやほやの新米コピーライターだった。


ひとくちにコピーライターと言ってもその仕事は広く、いわゆる広告コピーから求人広告、ポストに入っているようなチラシまでさまざまある。

私がそのころ担当していたのは、どちらかと言えば“コピーライター”よりも“ライター”に分類される、取材して原稿を書くタイプの仕事。

コピーライター養成講座に通ってなんとか転職できたものの、ライティングの実務経験はゼロ。原稿を書くために、取材対象者から何をどう聞けばいいのか、どれくらい聞けば原稿を書くに足りるのかわからなくて、仕事を楽しむ余裕なんてなく、とにかく毎日必死だった。

何か答えを聞き出さなくちゃ。

原稿になるなんかそれっぽい、
“いい感じの言葉”を言わせなくちゃ。

意気込んで取材に臨むもいつも不完全燃焼で、取材で相手の考えをうまく掴みきれていないために原稿執筆もうまくいかなかった。

それでも取材は続き、締め切りはやってくる。

取材する相手は案件によってこれまたさまざまで、企業の幹部クラスの方からお医者さん、専門分野の研究者に若手起業家、はたまた高校生や中学生という日もある。

ある日の取材は、私よりも年下の、このあいだ成人したばかりみたいな若い女性だった。

まだ幼さの残る彼女は、ジェンダーギャップについて研究しているのだという。

どうしてそのテーマを?と尋ねると、「えー、取材なんてはじめてで…」と緊張しながら、“魔女狩り”を知ったことがきっかけだと話してくれた。

「猫を飼っている」「一人暮らし」「高齢である」「友人が少ない」など、現代では考えられないような陳腐な理由で多くの女性が犠牲になった、中世ヨーロッパの歴史。その背景には、当時の宗教の女性蔑視的な価値観や、「月経中の女性は血で穢れている」といった考えがあるのだと言う。

私はそれを聞いて、だんだん腹が立ってきた。なぜ無実の罪で多くの女性が殺されなければならなかったのか。だいたい穢れってなんやねん。

「それってなんか、腹立ちますよね」

自分が取材に来たことも、ちょっと忘れていたかもしれない。取材のために用意した質問ではなく、それはただの感想だった。

すると彼女は、いままでの緊張していた表情がぱっとほどけて、「そうなんですよ!」と首を大きく縦に振った。

「めちゃくちゃ腹立つんです!なんでなん!?なんなん!?って感じで。だってね、」

スイッチが入ったのか、そこからどんどん感情が出てくる。言葉にも熱がこもる。こちらも共感し、意見を投げ返す。

「魔女狩りやばくないですか!?」
「ほんま、やばいやばい!」
「ほかにも似たような事例がたくさんあって…」
「え〜、そんなこともあるんですね!?」

一緒に笑い、一緒に怒りながらのラリーが続き、気づけば取材時間いっぱいの1時間が経っていた。

「あー、なんか楽しくていろいろ聞いちゃいました」「こちらこそ、いろいろ脱線しちゃいました」

笑顔で帰っていく彼女の背中を見送りながら、最初の緊張がうそみたいに距離が縮んだ気がしてうれしかった。取材でこんなに笑ったのは初めてかもしれない。

原稿はほんの500文字もないので、本来ここまで細かい“感情”の部分は書けないのだから、聞く必要はないのかもしれない。それでも私はこの取材を終えて、いままで感じたことのなかった達成感を覚えた。

取材で相手に「何かを言わせる」なんてスタンスは必要ない。相手と一緒に思考を積み立て、「なんで?」「どうして?」「それってこうじゃないの?」とかたちをつくっていくものなんだ。
“私”と“あなた”でしか作り得ない言葉を、一緒に紡ぎ出す、共創の時間なんだ。

どんな取材相手でも、自分がただの聞き手としてではなく、自分個人としておもしろがって興味をもつこと。ライターとして一歩目の心構えを、やっと自分事として体感することができた気がした。

原稿になるなんかそれっぽい“いい感じの言葉”なんていらない。人の熱がこもっていること。それが一番、伝わる言葉。

取材がうまくいくと、原稿もうまく進む。だってその場で、彼女が何を大事にしているか、芯の部分が見えたのだから。

もう何年も前の、たった1時間話しただけの「ライターさん」のことを、彼女はもう覚えていないだろう。私はそれでも、彼女との1時間を、取材が楽しいと思えた瞬間を、きっと一生忘れない。

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