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【読書感想文】明日、世界がこのままだったら /行成薫

※ネタばれ含みますので、ご了承ください。


突然見知らぬ世界に迷い込んだワタルとサチの数日間の物語。

知り合いでもない二人は、ある朝、お互いの家の部屋と部屋がくっついた歪な世界で出会う。二人の他には誰も存在しない。

いや、もう一人サカキという女性がいる。突如、現れた彼女からこの世界の役割、仕組みを知った二人。来るべき日までに、文字通り、人生の答えを導き出す物語。

この話を読んでいる最中、僕はワタルに擬態し読み進めた。それは知らず知らずのうちに当然のことのように。

ただ、普段、女性が主人公の作品を読むときには、その女性の主人公に擬態する。ということは、今回のように二人の視点で描かれる物語では、サチに擬態してもなんらおかしくないはずだったのだが、無意識のうちに男性に擬態している自分がいた。

男性である、ということ以外に、ワタルに擬態する要素があっただろうか。二人の境遇を考えると、いずれも僕に近くはないが、どちらかというとサチの方が近い。会社員であり、程度こそ違えど、何不自由なく暮らしてきたという点で。僕もサチも何不自由ないわけではないのだが、ワタルに比べると何不自由ないだろう。

導入はこの辺りにして、以下、本題。

この手のキュンとしてしまいそうな物語は普段読まないので、面白い面白くない以前に僕にとってはかなり新鮮だった。

「#読書の秋2021」の企画がなかったら、おそらく手に取ることはなかっただろう。普段読まないような本を読んだ後に、自分がどんな感想を書くのか、そんなことを考えながら読んでいた。

ある人は、たくさんの人に幸せになることを期待され、誰かが用意された誰もが羨むようなレールの上で、幸せになれない。

またある人は、自らの力で幸せを掴むため、まとわりつくレールから逃れようとするが、抗えきれない引力に吸い寄られるように、レールに戻ってきてしまう。

「幸せ」が、テーマになっているような印象を受ける。幸せ、幸せになる、幸せにする。幸せというのは、なにやら複雑だ。

僕がワタルやサチの立場だったら、どうしていただろう。たぶん、もう一人に赤いカードを譲って、自分は黒を選ぶだろう。

人生に執着がないわけではないが、自分が我慢することで、目の前の人が救われるなら、僕はそうしたい。いや、我慢じゃないな。きっと、もう一人の命を背負ってまで生きる自信がない。

それほど立派に生きているわけでもない。優柔不断だし、サボりがちだし、何かと億劫だ。社会に対して、ほんの少しくらいは価値を生み出しているかもしれないし、それこそ、僕を必要だと思っていてくれる人も、少なからずはいるだろう。たぶん。

ただそれでも、僕が他の誰かよりも生きる価値があるかなんてのは、どうしても自信がない。他にもっと、人に必要とされている人が世の中にはたくさんいるはずだ。別に生に執着がないわけではない。めちゃくちゃ生きたいし、もっと楽しいことをしたい。

でも、一回死んだと言われたのなら、もうなんかそれを受け入れてしまいそうな気がする。もちろんそんな気がするだけで、実際に狭間の世界に行った際には、迷わず赤を選ぶかもしれない。

ただ、僕は、やれやれ、なんて言いながら、自分の運命を受け入れてしまう自分が嫌いじゃないんだと思う。

一方、これが他人だった場合はどうだろう。例えば、娘が同じような境遇にあり、生き返る可能性があるのだとしたら。それを知ってしまったら。

この時は、必死で命が続くことを望むだろう。何が何でもその可能性に掛けるだろう。

あくまで僕の例でしかないが、こう考えると、命ってのは、自分のものよりも他人のものに執着があるのかもしれない。いや、こんな例はあくまでも例外で、多くの人は自分の命に執着をするのかもしれない。でも、家族だったらどうだろう。また答えは違ってくるのかもしれない。

そして、正常な想像力を働かせると、僕が必死になって執着する相手は、僕の命のことを必死になって執着してくれるかもしれない、ということが想像できる。となると、その大切な人のために、僕たちは生きなくてはならない。

ワタルやサチであっても、自分ではなく、それが家族の命であったならば、彼らはどういった判断、考えに至っただろうか。そんなことも少し気になる。

それぞれのレールの先にあるものとはなんだったんだろう。二人には、その時それが暗闇に見えたのだろうか。

ただ僕は、最後のシーンを見て、レールの先は暗闇なんかではなかったのだと悟った。

仮にレールなるものがあったとして、それ通りに人生を進めたとして、それでもまだまだ自分で選択できる余地は大いにあるし、何も細かく全てがレールによって決まっているわけではない。

世の中は不条理だが、だからこそ何があるのかわからない。信じ続ければきっといいことがあるなんて、薄い言葉は使いたくはないが、何が起こるのかはわからないし、予想していた通りに人生が進むのであれば、もっとみんな楽に暮らしているだろう。

いろいろ考えると、幸せとは、「人に必要とされること」ではないだろうか。誰かが誰かに必要とされるような状態が世の中で究極的に嬉しいことだと思うし、そう思えることが安心につながり、優しい気持ちを生み出すのではないだろうか。

本を読み終わった後、僕は赤坂見附の喫茶店から出て星空を見上げた。この日はあいにくの雨で曇っていて星は見えなかった。

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