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「水樹奈々」という女性を11年追いかけ続けて気づいた僕にとっての彼女の存在(21,942文字)

なんだかんだもう一年くらい前に書いた文章がCドライブでその役目を終えようとしていた。当時は一気に書きなぐったもの。ちょくちょく追記していった文章だったけど、結局面倒になり、途中ですっかり公開することもなく、見ないようにしていた文章。

いや、完結させることができなかった文章。それをこうやって一年ぶりくらいに完結させにやってきた。2万文字と少しの文章なんて誰が好き好んで読むのかわからないけれど、どうぞ。

公開にあたり、大文字小文字、半角全角などを直そうと思ったが、そんなことしてるといつまで経っても公開しなさそうなので、もうそのあたりはご容赦いただきたい。

ここまで書いておいてなんだが、はじめに(2259文字)と最後に(2256文字)だけでも十分な内容だ。それでも長い。なので、そのほかの部分は飛ばしてもらって造作ない。

はじめに(2259文字)

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2020年6月1日、23時34分。僕は自分の部屋でイヤホンから聞こえる「innocent starter」を聞いている。妻と娘はすでに寝室で眠っている時間だ。僕は今、言葉にできない落ち着かない気持ちになっている。それはこの曲のせいだろう。

言葉で表すのは難しいが、この感情は焦りに似ている。焦燥。「innocent starter」はいつからか僕にとってそういう曲になっていた。居心地の良い場所から離れて、新しい環境に向かう前のそういった気持ちに似ている。不安と期待。ただし不安が勝る。

今ではなんとなくその理由がわかる気がする。全ての物語には終わりがある。ただ、我々の日常において紡がれる物語の多くは、小説や映画のようにその物語の終わりを予知することができない。終わりを事前に予知することが困難なことが多い。

誰もがありふれた日常がこのまま永遠に続くと思い込んでいる。日常が何かによって急に打ち切られるとは思っていない。

いつかは終わりが来る。永遠には続かない。そんなことを信じたくなくて。でも、気付いていて。気持ちの整理がつかないというのはこういうことを言うのだろう。

今の世界にずっといられるかどうかなんて、誰にもわかんない。
朝井 リョウ. ままならないから私とあなた (文春文庫) (Kindle の位置No.646). 文藝春秋. Kindle 版

※の部分は7月8日に書き足している。
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本当は6月から少しずつ書き進めていて、7月初旬には公開できる予定の文章だった。7月7日に結婚発表があって、結果的には、どうしてもその結婚発表を契機とした文章に見えてしまうが、本来はそれとは全く関係なく自分のために「僕と水樹奈々」について書き進めていた。

一通り書き終え、そろそろ公開できるかも、というタイミングでの結婚発表だった。どうしてもその部分についても言及しておきたくて、全体を通して、少しずつ手を加えており、そうこうしているうちにタイミングを失ってしまい、今に至る。

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ここからは、もう一度主に6月から書き進めている文章に戻る。

長くなるだろう。うまく文章で表現できるのかが不安だ。おそらく他の誰でもない僕に対する文章になるはずだ。いつか書きたいとずっと思っていた。僕の彼女に対する「想い」。なかなか整理ができず書けなかったが、それが今なのだとこの時この曲を聞いてそう思った。2020年6月。

これまでの僕と水樹奈々の軌跡を振り返りながら、その「想い」を綴っていくことにする。

始まりはいつになるのだろうか。もはやきっかけなんてものがあるのかどうかもよくわからない。他のファンの方々のように出会いの「ファーストカレンダー」が、僕にはおそらくない。というか、今となっては見つけ出せないに近い。

ある時気づいたらそうなっていた。アクアパッツァなんてものをどこでその存在を知ったのか覚えていないように、僕はなぜそこまで彼女のことを好きになったのか今でもわからない。ただ、雲に隠れた月の光のようにぼんやりとしたことなら何か言えるのかもしれない。

まずは、自分が大学3年生だった時(2008年)に遡る必要がある。

少し話が逸れるかもしれないが、ご了承いただきたい。この時に初めて自分のノートPCを購入した。PCを購入してから、一気にネットコンテンツに嵌っていった。沼。当時はニコニコ動画が全盛期(主観)であり、それらをより楽しもうとすると、自然にアニメ・声優分野に造詣を深めることとなった。この過程だ。この過程のどこかで僕は水樹奈々と出会い、気が付いたときには、「LIVE ACADEMY 2010」に参加するために、つながらない電話を何度も何度もかけていたのだ。

正直、ネットに嵌るまでは存在、名前すら知らなかった。もちろん歌なんて一度も聞いたことがなかった。別に昔からアニメが好きだったわけでもない。ただ、ネットコンテンツを楽しむ中で、名前を知り、顔を知り、その存在を知っていったのだと思う。

なぜ、ライブに行こうと思ったのか。この辺りは自分でも謎である。普段アーティストのライブに行く人間ならまだしも、僕は当時そんなものに行ったことがない。ただ、ちょうどこの時期は、アニメ、声優界隈に突っ込んでいた初期だったので、さまざまなイベントに参加し始めていた時期ではあった。

ただわからないのが、この時点では既にもう水樹奈々のことが大好きだったのだ。どこでどうやってこんな気持ちになったのか。やはりわからない。

もちろん、容姿(ルックス)は好きだ。今でも世界で一番自分好みの容姿だと思う。ただ、最初からそうだったかというと、そうでもなく、彼女のいろんなことを知るにつれて、次第にそう思うように変化していったのだと思う。

理由(リーズン)というものは、もともとかたちのないものに対していわば無理やりにこしらえあげた一時的な枠組みにすぎないのだ。
村上 春樹. 辺境・近境(新潮文庫) (Kindle の位置No.424-425). 新潮社. Kindle 版.

歌についても同じような感じだ。それこそ聞いた瞬間からドハマりしたわけではない。他の彼女についてのさまざまなことを知るにつれて、トーストをミネストローネに浸したときのように、じわじわと僕の心にその存在が沁み込んでいった。

自分でいうのもなんだが、別に熱心なファンではない。彼女のラジオまで聞くようなタイプではないし、インタビュー記事などをいちいちチェックするわけでもない。全国どこへでもライブに行くようなそういうタイプでもない。なか卯で食事をするのも年に1回あるかどうかだ。でも、2010年頃から彼女は僕にとってかけがえのない存在になっていったことは揺るぎのない事実だ。

LIVE ACADEMY 2010

僕にとっての水樹奈々初ライブは「2010/3/20 NANA MIZUKI LIVE ACADEMY 2010 LESSON6 大阪公演@大阪城ホール」である。物理的な彼女と僕の「出会い-suddenly~巡り合えて~-」の時だ。立ち見だったので、ほぼ見えなかったのも、今となってはいい思い出である。

このライブは僕にとって初めてのライブ参戦ということだけでも、十分思い出深いライブになっているのだが、もう一つ別の理由があり、特別なものとして僕の記憶に刻まれている。少々話が逸れるかもしれないが、ご容赦いただきたい。

2010/3/20がライブ当日。僕は2010/4/1にいわゆる社会人になっており、これが就職前最後のライブイベントとなった。実は、この前日まで、3泊4日(だったかな)で就職先の合宿研修に参加していた。ここでは長々とは話さないが、僕が当時入社した会社はドがつくほどのベンチャー企業。研修は外部業者に丸投げされていたのだが、これがもう今となっては、いろんな問題が起こって、実施できないのではないかというくらいの絵にかいたような軍隊型の研修だった。

10年前。時の流れは早いが、確実に社会は変化をしているわけだ。

人里離れた山奥の施設に連れていかれ、いきなり怒られまくる。そんじょそこらの怒鳴られ、と思ってもらっては困る。向こうもプロだ。大声でめちゃくちゃ怒られるのだ。何も悪いことなんてしてないのに。どんな小さな世界にもプロというのは存在しているのだ。人を怒鳴ることに関するプロがいたっておかしい世の中ではない。

初日から不必要に1日中怒鳴られまくれ、不必要な大声を出さされ、阿呆みたいにきびきび動かされ、夜中には謎の合唱をさせられる(声が枯れるまで)。これが4日間続く。今となっては別にそんなのは割り切れば特にたいしたことはないと思うのだけれど、当時は、本当につらかった。マジでこの研修が嫌で嫌で仕方がなく、「あれ?就職ミスっちゃいました俺?」くらいには思っていた。それくらいに僕はピュアなのだ。

そう、そんな嫌で嫌で仕方のない僕の気持ちをなんとか繋いでくれたのが、他でもない水樹奈々だったのだ。この研修が終わった翌日にはライブに行ける。生で歌が聴ける。会える。セットリストは過去公演からある程度調べており、すでに僕のiphone3GSには、本公演の仮セットリストが入っていた。これを毎日聞きながら寝ていた。

時には、曲を聴きながら泣いた日もあったかもしれない。ただ、それでも明日も何とか頑張るか、という気持ちにはなることができた。ありきたりな言葉だけれど、歌にはやっぱり力がある。特にこの時期は「POWER GATE」をよく聞いていた。就職だけでも不安なのに、直前にこんな研修受けさせられたら、たまったもんじゃない。でも、そんな不安をかき消しはしないが、純粋に僕を前に向かせようとしてくれる。

ちょうど春。春色でちょっと決めてやろうじゃないか、というそんな気にもなってみたものだ。僕らで時代とか変えていかなきゃ、と。時代変えるくらいならこれくらいのつらいこともあるよな、なんて思いながら。弱い僕の心を支えてくれたのだ。

そして、研修が終わり、翌日、初めての水樹奈々のライブに参加。この時の様子を書いた記事が僕のブログに残っていた、それこそ10年ぶりくらいに読み返してみたのだけれど、恥ずかしすぎてとても読めるものではなかった。ただ、その時の僕の気持ちはよく描かれていて、恥ずかしながらも当時を懐かしく思い出すことができた。

2010年3月20日。この日に自分の中で何かが変わった気がする。LIVEというものの魅力にどっぷりはまったのはこの時だ。「衝撃-MASSIVE WONDERS-」である。

ブログを読み返していて思ったことがある。なんかもう必死さが表れている。何に対する必死さなのかというと、まだまだ水樹奈々のことを他のファンと比べて相対的にそれほど詳しく知っているわけでもなく、知識も浅いくせに、あたかも古参ぶった文章になっている。

今となっては、当時のこの「古参ぶっている感」が見えすぎて、逆に気持ち悪いのだけれど、僕は何についても、自分の興味があるものについては、とにかく「にわか」っぽくありたくないのである。この辺はある種矛盾しているようなところなのだが、他人にではなく、自分に対して、そうやってすり替えの事実を積み重ねていくことで、「自分は他のにわかの奴らとは違う」と思い込み、自尊心を保つタイプの人間なのだ。「White Lie」ということで許してほしい。

同族嫌悪型の典型タイプだと思う。なので、趣味を通して、人とうまく付き合えないし、自分の趣味の話をするのが苦手だ。

まさに、「正義と微笑」の折川進くんである。基本的には僕はライブに参加するときは一人だ。ライブに参加するときだけではなく、水樹奈々をきっかけに何か他の人と繋がりを持つことはしない。多くの方がファン同士でコミュニティを持ったり、繋がったりしているのは正直うらやましくもある。

ただ、僕にはそういうことはできない。仕事でもプライベートでも割と広く価値観は受け入れるスタンスを取っているのだが、水樹奈々の事に関しては、僕の価値観はとてつもなく排他的だ。いつまでたっても「Crescent Child」だ。

自分のなかでの、水樹奈々に対するイメージがあって、それを他人と共有するのがおそらくできない。他の人の意見に「あー、そうですよねー」なんてたぶん言えないのだ。違うな、「あー、そうですよねー」と言ってしまう自分が嫌なのだ。

特に僕の中での初期は、限りなく一人の女性として好きだったので、ライバル同士仲良くなんて発想はなかったし、ファン同士で繋がることが、「水樹奈々が好き」なのではなくて、「水樹奈々を通じて他の人たちと交流できることが好き」になっているようで許せなかった(あくまで自分に対して)。

「水樹奈々をコミュニケーションツールとして消化している」みたいな。そういう価値観でいたくなかった。別に他の方々がどうこうではなく、自分は偏った考えを持っていたので、そのようになってしまうのが怖かったのだ。

もちろん、本当はそういった消化の仕方でいいのだろう。ある種でエンターテイメントというのは、そういう「繋がり」を作り出すことが役目だとも思う。野球やサッカーといったスポーツに代表されるファン同士の交流なんていうのはわかりやすい。

ただ、僕はあくまでも自分のルールの中で、水樹奈々としっかりと向き合いたかったんだと思う(意味わからんけど)。

そうこうしているうちに、初ライブ参戦が終わり、さらに「好き!」の気持ちは膨らんでいる。ライブ終わりの一人暮らしを始めるタイミングでファンクラブに入会。初めての一人暮らしの部屋にポスターを張り始める。ここからさらに「deep sea」に潜っていく。

2010/7/7発売の「IMPACT EXCITER」は、営業時代に擦り切れるくらい聞いた。当時を思い出し、泣きそうになる。音楽は思い出だ。この辺りから、まさに水樹奈々の楽曲が僕の思い出とリンクしてくる。

LIVE GAMES 2010

さて、GAMESはチケット取ったが、仕事で行けず。GRACEもお金がなかったためスルー。結果的に次のライブは「NANA MIZUKI LIVE JOURNEY 2011 STATION 11大阪@大阪城ホール」。完全にのめり込むようになったのにも関わらず、1年以上ライブには参加できず、待たされ続け、この時には気持ちは最高潮だった。

その前に、GAMESにも少し触れておきたい。収録されている「NANA MIZUKI LIVE GAMES×ACADEMY 」のGAMESは、どの映像作品よりも何回も視聴した。気持ちが高ぶっているのにも関わらず、なかなか会えない、かつ、行けなかったライブの映像がみたいということで、発売前からすごく楽しみにしていた。よく覚えている。2010年のクリスマス前に発売され、仕事の関係上、クリスマスイブに日本橋のゲーマーズにて、赤青両方購入した。

なんせまず、ジャケットが最高だ。これまでの映像作品のジャケットの中でも自分は一番好きだ。得点のクリアポスターみたいなのも赤青並べて額縁に入れて飾っていた。それくらい映えるジャケットだ。

さらに、GAMESは行けなかったのが本当に悔やまれるのだけど、セトリ、衣装ともに完璧に近い。特に最初の衣装は最強。1発目の「Orchestral Fantasia」、「What cheer?」からの「SCOOP SCOPE」が可愛すぎる。「SCOOP SCOPE」はまだ生で聞けていないので、いつか必ず聞いてみたい。

書きすぎてしまうと長くなってしまうけど、「Late Summer Tale」、「Young Alive!」の衣装も良い。んで、「夏恋模様」に「ray of change」だ。なんてすばらしい流れだ。

それに加えて、ライブ初披露となった「NEXT ARCADIA」。この辺りは何回みても素晴らしい。当時仕事は激務中の激務だったが、深夜に帰ってきては視聴し、朝起きて準備をしながら視聴していたことを思い出す。それくらい当時は水樹奈々が僕の生活の支えだった。

当時、仕事は狂ってるほど激務、かつ、精神的ダメージもカンスト気味だったが、水樹奈々がいるだけで僕の心は何とか持ちこたえることができたのだ。感謝しかない。

ついつい長くなってしまう。続いて、「LIVE JOURNEY 2011」だ。これもツアー中参加は大阪公演のみ。どれだけこの日を待ちわびたことか。しかもこの時ライブ2回目にして初アリーナ、かつ、4列目というなんとも「Level Hi!」な席だった。

LIVE JOURNEY 2011

「2011/7/18 NANA MIZUKI LIVE JOURNEY 2011 STATION 11大阪@大阪城ホール」について。この文量で書くと、過去のライブレポを全部書いていきそうなので、軽くにしておくが、この時は気持ちが最高潮で、どうしても思い出しながら書きたくなる。ちなみにこれも過去にブログで残していて、ちょっと覗いてみたが、読めたものではなかった。

アカデミー大阪の時はまだ物販に興味がなかった。ただ、その時から1年以上が経過しているので、ライブに関する知識もいろいろと増えてきていた。このときの思考は、必要か不必要かではなく、とにかく「長時間物販に並んで、より多くのものを購入すること」に意味を見出していたように振り返っている。

そうして、自分もあたかも以前からのファンであったかのように、「物販つれー」と一人で言うわけだ。先ほども書いたが、別に誰に言うでもなく、自分に対して「やっぱ物販つれーわ」と言うのが僕なのだ。んで、「物販で〇万円使ってしまったよ」とか言いたいのだ。

ちなみに、この時は、6時間30分も並んだらしい。しかも雨降ってたんだって。今では到底考えられない。だた、こういった経験一つひとつが大切だと思う。何にとって大切なのかはよくわからんけど。

さて、公演はというと、前回のライブでは、ほぼ見えなかったので、今回初めて自分の目で水樹奈々を見た。しかも前から4列目だ。感動した。素直にそれしか出てこない。正直そこまで覚えていない、というのもある。

自分はいま、感動している。私ははっきりとそう自覚した。そこに光流ちゃんが実際に 存在するというだけで、それまで空洞だった体の中身が名付け難い感情で満ちていく感覚 を確かに抱いた。
朝井 リョウ. ままならないから私とあなた (文春文庫) (Kindle の位置No.1471-1473). 文藝春秋. Kindle 版.

これは僕だけなのだろうか。ライブの記憶はあまり頭に映像として残らない。炎天下で食べるソフトクリームのように、すぐに脳から映像が溶けだしていく。どのライブでもそうだ。その瞬間はすごく興奮している一方で、映像として記憶に残らないこともわかっているので、何とかその場で記憶しようとするのだが、無理だ。残らない。悔やまれる。これは今も同じ。まるで不揮発性メモリのようだ。

毎回、前方の席の時は事実だと思いたいのだが、確実に水樹奈々と僕の目が合う。これはなんともすごいことだ。事実はどうか知らないが、検証もできないので、こういう時には思い込んだことが事実である。

あれほどまでに憧れ続け、映像で見ていた一人の女性が僕の目の前にいて、手を振って僕と目が合っている。「WILD EYES」。これはもう奇跡でしかない。ただ、残酷なまでに、その映像も僕の中から溶け出していく。でも、それでいいのかもしれない。その映像を記録すると容量がすぐにパンクするのだろう、おそらく。だからその一瞬を大切に過ごすのだ。

なぜ、ライブに行くのか。2度目のライブだったが、このあたりでなんとなくその理由がわかってきたような気がする。

つまるところ、その答えはひとつしかないはずだ。彼らは自分の目でその場所を見て、自分の鼻と口でそこの空気を吸い込んで、自分の足でその地面に立って、自分の手でそこにあるものを触りたかったのだ。(新潮文庫 辺境・近境 村上春樹)

LIVE CASTLE 2011

そして、話は東京ドームへと続く。この東京ドーム公演は、やっぱり思い出深い。僕は当時関西に住んでおり、この公演に参加するには、新幹線に乗り、ホテルに泊まる必要があった。

いったん整理をしておくと、僕は本当に非アクティブな学生生活を送っていたので、そもそも一人で東京になんていったことがなかった。一度友人と二人で東京観光に来たことはあるが、それも全部友人に手配してもらったし、その時は深夜バスだった。東京は人生でその一度きり。

どうせなら、2公演、1泊2日で行きたい。ただ、気がかりだったのは、仕事が普通に土日にも入る可能性があること。それは100%断れるようなものではなかったことだ。しかし、この時はそんなことは気にする暇もなく、チケットを申し込んでいた。まあ、行けなかったときはその時だ。それくらいの肝の座りようだったわけだ。

そもそもこの時まで、新幹線の乗り方やホテルの予約方法なども知らなかった。そういう意味では、水樹奈々を通して、僕は社会の仕組みを学ばせていただいたわけである。ほとんどの人はこういうことは学生のときに経験するのだろう。僕の性格が垣間見れる。

全然関係ない話になるが、学生の時からもちろん一人旅みたいなものに憧れはあったのだが、何せこういうチケットの取り方とか、ホテルの予約方法、宿泊の仕方みたいなことがわからなさ過ぎて、結局、調べて行動するのではなく、面倒なので調べずに行かない、という選択をする人間なのである。

今考えると、調べて行動するだけの魅力的な動機がなかったのだろう。ただ、この時はその魅力的な動機しかない状態だ。予約を完了させ、奇跡的に仕事の連絡もなく、土曜日に東京に旅立つことができたのだ。

「2011/12/3,12/4 NANA MIZUKI LIVE CASTLE 2011 -QUEEN'S NIGHT- -KING'S NIGHT-@東京ドーム」

ほぼ初めてといっても過言でない東京。そして水道橋。なんだか大人になった気分だ。あの時の水道橋に着いたときの感覚は今でも覚えている。

駅を降りた瞬間から、水樹奈々ファンが大量に東京ドーム方面にいて、そんな様子を見て、明らかに自分は興奮しているのに、自分に対しては「自分東京初めてとかじゃないんで。慣れてるんで。今日は近くのホテルに泊まるんで。遠征組なんで。」と、なぜか上から目線で、大人の余裕を醸し出すことに性を出していた。全く面倒な人間だ。当時はそんな虚勢ですらある種の快感だったのだろう。

さて、この2日間について簡単に書いておく。

1日目はアリーナの真ん中くらい。おそらく自分の中では、この2日間がライブに掛ける情熱としては、今振り返っても一番だった。よく考えると、まだライブ自体はこれで三度目でしかないのだが。そんな素振りは見せず、自分は古参だと思い込み、メロンブックスで買った過去のライブT(この時は、ダイヤモンドとユニバース)をわざわざ着込み、ジャンプやコール等を全力でやっていたわけだ。

こちらもブログに詳細の記述があったが、どうしても具体的なイメージは頭の中に浮かんでこない。それでも、大いに興奮し、充実感を持ってホテルへと戻ったことを覚えている。

ちなみに、今となってはもう実施されていないが、ライブ終了間際にサインボールを投げたりする催しが東京ドーム公演の時にはまだ実施されており、1日目はなんと、水樹奈々がバズーカのようなもので飛ばしたものが、自分の目の前を通り過ぎ、後ろの席の人がゲットするということがあった。

正直、意識していたらとれていたと思う。まさか自分のところに来るとは思いもしていなかったので、気付いた時には遅かった。ノックを受けているときのような集中力と心構えがあれば、間違いなくキャッチできていた。まあ、今となっては、だが。

この東京公演での興奮は、なんといっても2日目であった。場所は、2階席だが、昨日のアリーナよりも正直良い。視界に舞台とモニターがきれいに入る。おまけに通路側。ちゃんと調べていないからわからないが、僕の通路側席を引き当てる確率は異常だと思う。これまでの参加講演の役半数が通路側と言っても過言ではない。いや、本当に。

初めてのホテル泊まり。東京。開演までには時間があるということもあり、非常にお酒を飲みたくなって、昼から飲んだ。ライブ前にお酒を飲む経験はこれが初めてだ。これ以降、しばらくはライブ前にお酒を飲むようになった。前日、席が隣のお兄さんと開演前に軽く話をしていて、お酒を持ち込んでいつも飲んでいる、と聞いて目から鱗だった。その手があったか。少し、尿意は心配だが、まあどうにかなるだろう。

それよりも、こんな大事な日を後悔せずに、全力で楽しむためにお酒の力を借りることもよかろう。迷惑をかけるほど、バカ騒ぎするような類の人種ではない。せいぜい全く目立ちもしないかわいいものだ。そんなおとなしい僕には、ちょっと殻を破るくらいがちょうどいい。

さて、この二日目。本当にいいライブだった。今までの自分史上最高のライブだったかというと迷うところだが、間違いなく、1,2位を争うレベルだろう。どうしても書かずにはいられないので、少し公演に触れる。

これはいきなり痺れた。自然と声が出た。そんなに前日とセトリ変えないだろうな、と想像していた矢先の「NEXT ARCADIA」。今まで一番激しく声を出したし、(周囲に比べるとたいしたことないが)飛んでいたと思う。もちろんアルコールの力も働いている。続いて、「Stay Gold」。この流れも当時、個人的には神だった。素晴らしい。

そして何と言ってもここだ。アンコール前の流れ。まず、「Orchestral Fantasia」。生で初めて聞けた。しかも、時間的にラストが迫ってきているこのタイミング。気持ちは最高に昂っている。何回も映像でも見ていたこの曲を生で、しかも、東京ドームで聞ける幸せ。

その後、アンコール前のMCが入り、「漠然と何来るのかなー」と思っていた矢先のイントロ。「innocent starter」。冒頭に書いた曲だ。なぜだろう。自然と涙が出てきた。何の涙かは今でもわからない。でも、僕はこの曲を、歌声を聞きながら、ただただ、涙した。そんなに嗚咽を漏らして泣いていたわけではなく、そこまで気持ち悪い状態ではないので、ご安心いただきたい。こんな素晴らしい舞台で、誰も僕が泣いていることなんかに微塵も気づくわけなんてないのだ。

好きな曲ではあるが、過去に聞き込んだ曲ではない。逆に、好きな曲だからこそ、大切にしたいからこそ、僕は、この時まで大切にとっておいたのかもしれない。食べ過ぎて嫌いになってしまわないように。

全てはこの時のためだったのだ。もしかしたら、そんな類の涙だったのかもしれないし、社会人に入ってから、辛くて惨めな僕を励まし続けてくれた彼女への感謝が溢れたのかもしれない。頻繁に会えなかったからこその気持ちだったのかもしれない。

最高の東京ドーム公演を終え、再び日常に戻る。日常とのギャップがまたライブの魅力である。たった一日で日常は訪れる。昨日は東京であんなに素晴らしい時間を過ごしていた。その非現実的な感覚を余韻というのだろう。その余韻はふわふわとしているが、強く僕の体の中に存在しており、現実世界の中での暗闇を照らす光のような存在へと変わっていく。僕には、また行かなくちゃいけない場所があるのだ、と。

それを聴く前と聴いたあとでは、自分の身体の仕組みが少しばかり違って感じられるよう な音楽──そういう音楽が世界には確かに存在するのだ。
村上 春樹. 一人称単数 (文春e-book) (Kindle の位置No.658-660). 文藝春秋. Kindle 版.

LIVE UNION 2012

続いては、「2012/9/8 NANA MIZUKI LIVE UNION 2012-千葉@QVCマリンフィールド-」だ。こちらの公演は、本当は大阪公演のチケットも取っていたのだが、仕事で行けず。その分千葉には全力でいろんなものをぶつける気で臨んだ。これも関東遠征。前回東京に続いて2度目。

千葉県初上陸。水樹奈々は、社会の仕組みを教えてくれるだけに留まらず、さまざまな未開の地へ誘導してくれるのだ。人生経験が豊富になる。素晴らしい。

初めての野外公演。寝坊したので、到着はギリギリ、かつ、あれだけ大きな会場でほぼ最後尾といっても過言ではないくらいの席だった。ただ、素晴らしかった。特に、「星空と月と花火の下」での花火の演出は素晴らしい。

久し振りに花火を見た。学生時代に友人や恋人と花火を見た経験なんてものがなかったので、花火を見たのはいつ以来だろう、小学生の時、家族で見に行って以来かな。曲のイメージとは関係ないが、そんなことを思い出した。久し振りに見た花火は思ったよりも綺麗で目頭が熱くなった。綺麗だ。

続いて、2012/12/12に発売された「ROCKBOUND NEIGHBORS」。これも大変思い出深いアルバムだ。この辺りくらいからアルバムを2枚買うようになった。理由はよくわからないけど、いわゆる保存用というものが欲しくなったのだろう。年末年始に実家に帰省した時、母親と近場の温泉に行く車のなかでこのアルバムを聞いていたことを思い出す。

LIVE GRACE 2013

引き続き、まだまだ水樹奈々に対する想いの強い時期が続く。続いてのライブは、「2013/1/20 LIVE GRACE 2013 -OPUSⅡ-@さいたまスーパーアリーナ」。

このあたりから、何か自分の中では変わってきたような気がする。徐々に。もちろん水樹奈々に対する想い自体は変わらない。ただ、ライブの楽しみ方が少し変わってきた。

今までは、大きな声を出して、周りと一緒に飛んだり跳ねたりするのが心地よかったし、面白かったのだけど、このあたりから、ちょっと落ち着き始めた気がする。恥ずかしくなったわけでもないのだけど、ライブの楽しみ方の変遷のようなものだろうか。

LIVE CIRCUS 2013

「2013/7/14 NANA MIZUKI LIVE CIRCUS 2013 -大阪公演1日目-@大阪城ホール」。こちらも、久し振りの近所の大阪城ホールでの公演。こちらもブログを読み返すと、物販は、炎天下の中、8時間も並んだらしい。今となっては到底信じられない。

正直、このサーカスは、これまでのライブと比べてかなり記憶が薄い。ただ、席はアリーナ前方、花道の隣だったとのことなので、それなりに良い席だったことがうかがえる。とはいえ、オープニングのギミゲと、ネキソルだけは妙に印象に残っているが。

ちなみに、この時はペンライトを持つことをやめて、拳で臨んでいたそうだ。おとなしくペンライトを持つか、じっとしているかにしておけばいいものを。このように、周りと同じが嫌で、少しだけ違うことをするところが本当に自分は子供っぽいと思う。これまでは周囲と同じようにすることに必死になっていたのが、ライブにもちょっと慣れてきて、逆に周囲とは違う立ち振る舞いをしたがる。

このライブの後は、9月末に滋賀県で開催されたイナズマロックに参加。最後の最後に水樹奈々登場。これだけを見るためにわざわざ。これは帰りの駅までの道が悲惨だった。いい思い出だ。歩いて帰れるような距離じゃなかった。タクシーもないし、まさに絶望だった。

さて、この後、僕の人生にとっては大きな転機が訪れ、少しずつ、僕の中での水樹奈々の存在に対する価値観も変わってくる。この時には、まだそんなこと知る由もないのだが。

2013年12月に会社を退職した。3年半以上勤めあげたことを誉めてあげたい。そんな気持ちでいっぱいだった。これまで、なんとかして時間の制限がある中で、手の届きそうな範囲で水樹奈々を追っかけ続けることができた。今振り返るとそういった状態がちょうどいい距離感だったのかもしれない。

WINTER FESTA 2014

完全無職。しかし、数か月後に次の会社への入社はもう決まっている。そんな状態のなかで、「2014/1/19 NANA WINTER FESTA 2014@有明コロシアム」に参加。お金がない中の遠征だったが、行きの深夜バスの時間を間違えるというミスで、結局ムダ金を払って、新幹線で。帰りはしっかりと深夜バス。
このイベントについては、もうほとんど覚えていない。残念ながら。別にバスの時間に余裕があるのにも関わらず、友人に会うために、イベント終盤途中で帰ったことを記憶している。この時は、本当にそれほど、熱心というわけでもなかった。気持ち的にも何かもやもやしたものがあったんだと思う。

今までは必死になって応援をしてきたけど、自分が会社を辞めたことによって、何かが変わってきていたんだと思う。そんなことに気づいてはいなかったが、何かしらの違和感は感じていたと思う。

3月。新しい会社に入社。新天地でのスタートが始まる。その翌月、2014年4月16日に発売された「SUPERNAL LIBERTY」もまた、僕にとって大切なアルバムだ。これが、僕が熱心に聞いた水樹奈々の最後のアルバムになる。以後ももちろん、購入して、聞いてはいるのだが、それほど何回も聞かなくなってしまった。だからこそこのアルバムは特別で、いろんな思い出が詰まった一枚だ。

会社帰りに購入した。今までは、店が開いている時間になんて家に帰れなかった。あり得なかったこと。会社帰りに京都のゲーマーズで購入。今でも自転車で行って購入したときのことをなんとなく覚えている。

このアルバムは京都の賀茂川をランニングしながら何回も聞いた。個々として好きな曲が多いかと言われるとそうでもない。ただ「VIRGIN CODE」はかなり好きだ。アドベンチャー鳥取で聞けたときは、歌詞と状況がリンクして感動した。

そして、思い出深い理由が、この時に今のパートナーと出会い、お付き合いをし始めたからだ。転職、恋愛。そんななんとも春らしい思い出とともに、「SUPERNAL LIBERTY」は僕の中に存在している。

この頃から、段々と水樹奈々に対する僕の熱は低下していく。

LIVE FLIGHT 2014

「2014/7/12 NANA MIZUKI LIVE FLIGHT 2014 -大阪公演2日目-@大阪市中央体育館」にも参加したが、この時はもうライブの楽しみ方がよくわからなくなっていた気がする。当時のように、飛んだり声を出したりということがなぜかできなくなっていた。振り返ってみると、この時も席は前から6列目だったようだ。いい席だったのに、記憶がない。なんなら、アンコール途中で帰ったような気もする。あくまでそんな気がするだけだが。

「SUPERNAL LIBERTY」はとても好きなアルバムだし、その楽曲が多く歌われたライブなのに、なぜかかつてのように楽しめなくなっていた。

LIVE ADVENTURE 2015

続いて、「NANA MIZUKI LIVE ADVENTURE 2015」。フライトの時からあまり気持ちは変わっていなかったが、そんな自分に違和感を抱きつつも、ライブに行きたい気持ちだけは残っていたのかもしれない。転職して、時間にもお金にも余裕ができたので、初めての贅沢なツアー周遊をしてみたかった。それがこのアドベンチャーだったわけだ。

大阪①、大阪②、鳥取、埼玉。全4公演。今までの僕には考えられないプラン。京都なのに大阪もホテルに泊まるという贅沢っぷり。初めての地方遠征。ただ、大阪①の直前まで、新譜もほとんど聞いていなかった。この時くらいから、楽曲を配信で購入するようになった。

書いていて思い出したのだが、行きの電車の中で「Angel Blossom」を購入した。そこで初めて「レイジーシンドローム」を聞いて、震えたことを思い出す。生で聞く「レイジーシンドローム」、および、そのパフォーマンスは素晴らしかった。

「Heart-shaped chant」も圧巻だった。この曲がとても好きになったのもアドベンチャーだ。

ライブの楽しみという意味では、徐々に感覚は戻ってきていたと思うのだけれど、それこそジャーニーの時のようなワクワクや全力具合は、この時も失ったままだったのかもしれない。いわゆる、地蔵でしかライブを楽しめていなかったような気がする。

本当に皮肉なもので、時間とお金がない時には、気持ちが先走るが、余裕ができた途端に、なぜか気持ちがついてこない。この辺りは割と重要なポイントだと思う。

LIVE GALAXY 2016

続いて、「2016/4/9,10 NANA MIZUKI LIVE GALAXY 2016@東京ドーム」。再び東京ドーム。再来。この時も正直まだ気持ちはそれほど乗ってなかったと思う。それぐらいにあまり覚えていない。どちらかというと惰性だったのかもしれない。惰性でわざわざ遠征2日もいくなよ、と思うかもしれないが、僕もうまくよく理解できていなかった。

転職をして、出張で東京に来ることも増えて、東京に来ること、そして、東京のホテルに泊まることに2011年のような感動はすでにない。どこかそれは雪かきのようなものだったのかもしれない。

あれほどまでに絶対的に僕の人生の真ん中にあった水樹奈々がだんだん中心から外れていっているような気がして。でも、僕には彼女が真ん中にいない生き方がよくわからなくて。手離すことは絶対にできない。手離したくないのに、手放さざるを得ない状況が目の前に迫ってきている。自分でもどうしていいかよくわからなくて、ただ、離したくなくて必死にしがみついている。そんな感覚だった。

ぼくらの人生にはときとしてそういうことが持ち上がる。説明もつかないし筋も通らない、しかし心だけは深くかき乱されるような出来事が。そんなときは何も思わず何も考え ず、ただ目を閉じてやり過ごしていくしかないんじゃないかな。大きな波の下をくぐり抜けるときのように」
村上 春樹. 一人称単数 (文春e-book) (Kindle の位置No.459-461). 文藝春秋. Kindle 版.

LIVE PARK 2016

続いては、甲子園。「2016/9/22 NANA MIZUKI LIVE PARK@阪神甲子園球場」。これはもう語る必要のないくらいの圧倒的なライブだった。これが歴代1位だろう。おそらく。ずぶぬれになったのもいい思い出だ。この時は、花道のほぼ隣、前から10列目くらいだった。

アオイイロから始まって、豪雨の中での「BRAVE PHOENIX」。雨上がりでの「恋想花火」の花火演出。屋外だからこそ、が多く詰まったライブだった。

ただ、僕にとって、もう一つの意味でこのライブは特別なものであった。彼女、というか、この時はすでに婚約後だったので、正式的なパートナーと一緒に初めて水樹奈々のライブに参戦したのだ。

兼ねてから水樹奈々好きは公言していたし、彼女なりにも認めていてはくれていたんだろうけど、心に引っかかるものがなかったわけではないだろう。これは僕の憶測でしかない。ただ、男女というのは難しいのだ。そこはやっぱり男と女の世界だ。

これまで彼女の都合お構いなしで、ライブがあれば参戦していたし、振り返ってきた通り、一つのツアーで何公演も行ったりしているのだ。気持ち良くはないだろう。口では絶対に「いいよ、行ってきてくれて」とはいうもののである。それくらいの想像力は僕だって持ち合わせている。

前から一度、一緒に行きたいと思っていた。僕の好きなものがどんなものか彼女に知ってほしかった。それが叶ったのがこの甲子園でのライブだったわけだ。

幸いにも彼女の感想はずぶ濡れになったわりには、それほど悪いものではなかった。また一緒に行きたい、そう思ってもらえるものだったと思う。ただ、それ以降は子供ができたので、一緒に行くことは叶っていない。後述するミュージカルには一緒に行っている。

ちなみに、2015年11月11日発売の「SMASHING ANTHEMS」、2016年12月21日発売の「NEOGENE CREATION」は購入してはいるが、これまでのアルバムほど聞き込むことはなかった。この辺りから、曲を聞いても曲名が思い浮かばなくなってきていると思う。

LIVE ZIPANGU 2017

続いては、「NANA MIZUKI LIVE ZIPANGU 2017」。これは、大阪①、大阪②、埼玉①、埼玉②の4公演。ジパングの時もそれほど、ライブ中は乗り切れていなかったと思う。ただ、曲を純粋に楽しむことができていた。

特に乗り切れてはいなかったものの、このジパングは楽しいツアーだったなー、という印象が強い。「TWIST & TIGER」「エデン」「はつ恋」など演出が良くて、セトリも良かった。

この辺りでまた楽しみ方が変わってきたような気もする。変に周りの目を気にするわけでもなく、自分なりに音楽を楽しむ。それこそ盛り上がりたいときにはそうするし、そうじゃないときには自分のペースで音楽や演出を楽しむ。そんなことが自然にできるようになってきたような気もする。

ビューティフル

その次が、帝国劇場で公演された「ビューティフル」。2017年8月、だったかな。わざわざ関西から東京への旅行がてら公演を見に行った。これもパートナーと。
どうしてもファンとしては参加せざるを得ない。こういった水樹奈々の初めての挑戦や特別な公演など、自分もその場にいたい。この目で見ておきたい、と思う気持ちが強くなってきたのはこの頃からだろうか。

水樹奈々もいつまでも変わらずにライブを続けることができるわけではない(信じたくはないけれど、あくまで可能性の話)。僕にしたって、いつまでもこれまで通り、ライブに参加することができるかわからない。要するに、僕にとって、どの公演が最後のライブに、そして、最後の公演になるのかなどということは、わからないのだ。

例えば、予告もなしに、昨年参加したライブが最後の出会いになるかもしれない。そういった可能性だって十分にあり得るということを意識し始めたのはこの頃からだろうか。

もっと早くに出会っておきたかった、という気持ちは、デビュー当時から応援しているファン以外は全員思うことだろう。いや、デビュー当時から応援しているファンでも、それ以前から、と思うものなのかもしれない。

僕は、ライブはアカデミーからだから、例のごとく「なんでもっと早くから」と思うのだが、こうして水樹奈々の成長への軌跡を僭越ながら一緒に体感することができて本当に良かった。特に2010年以降は怒涛の成長だったように思う。ちょうどファンが急増したのもこの2010年か、若しくは、少し後だろう。

西武ドーム、東京ドーム、紅白、テレビ出演、千葉マリン、甲子園、舞台等々。本当にこの人はすごい。びっくりするくらいすごい人だ。夢を叶え続けることができる人。だから彼女は夢を歌い続ける。そして、多くの人に影響を与え続ける。

LIVE GATE 2018

次は、「NANA MIZUKI LIVE GATE 2018@日本武道館」Day6に参戦。この時は良い年齢になったのに無性に高速バスに乗りたくなり、京都-東京間を往復深夜バスで行ったのが良い思い出だ。この時期は正直自分の中では盛り上がってなかった。すでにライブTに着替えることもしなかったし、全然楽しめてなかったと思う。

理由はよくわからない。ただ波というものがあるのであれば、この時はこの10年くらいの中で、最も底だったと思う。この年のツアー「NANA MIZUKI LIVE ISLAND 2018」にもついに参戦しなかったし、その後の、「NANA MIZUKI LIVE GRACE 2019 -OPUS III-」にも参戦しなかった。

自分にとっては、そういう時期だった。そうとしか言えない。娘が生まれたり、仕事でも変化があったり、いろんな変化が僕にはあった。何かが変わり始めていた時期なのかもしれない。改めて、僕の中で水樹奈々との距離を考えなければいけない。そういう意味で少し距離を置いた。

2018年8月には、これまで集めてきたポスターなどのグッズを大量に廃棄した。これは単純に家のスペースを取っていたので、家庭的な事情もあるのだが、これまで大事にしてきたそれらを物理的に廃棄してしまえるくらいにはなっていたのである。

それこそ2010年代前半にはそんなことは考えられなかった。それくらいに僕も転職をしたり、結婚をしたり、父親になったりして、これまでと同じように、というのは難しくなることを理解していたのだと思う。このあたりでやはり何かが変わっていきつつあることについて無視をせざるを得なくなってきた。

LIVE EXPRESS 2019

そんな状況がしばらく続く中で発表された「NANA MIZUKI LIVE EXPRESS 2019」。

まだそれほど僕の状況は変わっていなかったのだが、このツアーには「京都」が含まれていた。当時住んでいた京都。会場はよく車で通るところだ。こんな単純なことなのだが、何かスイッチが切り替わったような気がした。

行きたい。会いたい。

普段自分が生活している近くに水樹奈々が来てくれる。あそこに水樹奈々がいる。そう思うだけで気持ちがワクワクしてくる。京都は絶対に参加しよう。そう思うようになっていた。

2日程あったのだが、1日程しか取れず。このツアーは「7/21@京都パルスプラザ」のみ。

結果的に、この公演はとても楽しかった。毎度のことながら通路側、前から12列目。久し振りに思いっきり声を出したし、思いっきり飛んだ。純粋にライブを楽しめた。

ライブに行き始めたころを何か思い出せたような気がした。なぜだろう。いろいろライブの楽しみ方の変遷を踏んできたけど、本当の意味で純粋に楽しむというところに戻ってこれたような気がする。

最初の流れが本当に素晴らしかった。個人的に当時好きだった「WHAT YOU WANT」からの「Poison Lily」。嘘みたいな話だけど、ツアーでこの2曲続けてこないかなー、でも「Poison Lily」は来ないだろうな、と想像していたので、セトリを見たときに震えた。

このNANA MIZUKI LIVE EXPRESS 2019を通して、時間が掛ったけど、新しい水樹奈々との付き合い方を見つけたような気がしていた。結婚したって、父親になったって、それでもやっぱり僕の人生には水樹奈々が必要なんだ、と。

こうやって、毎年水樹奈々に会いにいって、この場でしか体感できないことを経験して、そうやって、楽しむことができればいい。そう考えていた。

それでも、2019/12/13に発売された「CANNONBALL RUNNING」は、購入したもののほとんど聞いていない。おそらく曲を聞いてもタイトルがほとんど出てこない。それでも、やっぱりライブに行って、あのなんともいえない空間を体感したかった。

そうして、楽しみにしていた今年の「NANA MIZUKI LIVE RUNNER 2020」だったんだけど、中止。これは本当に残念だった。関東に引っ越したので、普段とは違う会場で参戦できるのを楽しみにしていたのだけれど。

本当に次いつライブに参加できるかわからない状況になってしまった。これまでと同じようなライブはもうできないのかもしれない。仮にそうだったとしても、僕は「NANA MIZUKI LIVE EXPRESS 2019」でなんとなく十分満足している。もちろん、もっともっと水樹奈々のステージをこの目で見たいし、この耳でその歌声を聞きたい。

ただ、割と後悔しない形でエクスプレスに関しては楽しめた。これが最後なんだから、と誰かが諭してきているかのように。

最後に(2256文字)。

ここまで長々とこれまでの僕と水樹奈々との記憶について書き綴ってきた。誰がこんな個人的な文章を読むのかわからないけれど、一つひとつの思い出をなぞることで僕の水樹奈々に対する想いは整理されていくものだと信じている。いや、結果的には、こういうやり方でしか整理ができなかったのかもしれない。

僕のこれまでの人生に、水樹奈々という存在は影響を与えた。

そして、2020年7月7日。結婚発表。僕が知ったのは12時過ぎの仕事の休憩時間。喫煙所でたばこを吸いながら、いつもの通りtwinkleでいつも見ている板のスレに目を通していた。まず一番に飛び込んでくる「水樹奈々結婚」というスレタイ。開いてみたが、「またどうせ嘘なんでしょ」くらいの軽い気持ちで見ていた。でもどうやら様子がおかしい。

別の板に移動。ツイッター。「あれ?マジで?」。その時、僕はどんな気持ちだったんだろう。素直におめでとう、というわけでもないし、裏切られたとかなんとかを思ったわけでももちろんない。

ただ、「何かが確実に僕の中で終わったんだな」としみじみ感じていた。午後からの仕事が手につかないこともなかった。別に普通だ。ただ、時間が経つにつれて水樹奈々の歌声を無性に聞きたくなった。帰りの電車の中では、ずっと水樹奈々の曲を聞いていた。

今では、なぜか安堵している。なぜ安堵なのかはよくわからない。

少し前に書いたことが急に現実味を帯びてきたというか、今まで当たり前に目の前にあったものが急に現れた雲に覆われて、どこかに行ってしまうような。そんな気持ちを抱いていた。

喪失感。水樹奈々を失ったとかそういうものでは決してない。

今のこのご時世も相まって、本当にこれまでと同じように、水樹奈々の歌声を、パフォーマンスをライブで感じることができなくなるんじゃないだろうか、という焦り。

本当にそうなのかもしれない。あの日聞いた「innocent starter」を僕はもう一生聞けないかもしれない。

今更他のアーティストのライブになんて行く気にもならない。水樹奈々のライブはやっぱり僕において、唯一無二で、特別なんだ。20代~30代にかけて僕のいろんな思い出を刻んでもらうことができた。そういう意味では本当に感謝している。ありがとうと伝えたい。

波はあったが、この10数年間ずっと水樹奈々の曲を聞いてきた。もう人生でこれほど一人のアーティストの曲を聞くこともないだろう。定期的に新譜を聞いて、偉そうに気に入ったり気に入らなかったりして。そんなこともできなくなる日が来るのかもしれない。

いや、いつかそんな日が来るとはもちろんわかっていた。僕も水樹奈々も不死身ではない。

振り返ると、僕の人生の20代前半にかけては、人生における柱のようなものが欲しかったのだと思う。日常は死にかけていた。なので、何か絶対的に自分が信じることができるものが欲しかったのだ。そういう信じるものに依存して、つらい時こそすがって、そこにあるものに安心して。そう思い込みたくて。

そこには、必ず輝いている水樹奈々がいて。そんな姿をみると勇気がもらえるような気がして。会いにいけると思うと頑張れて。そういったことを信じることができて。クソみたいな日常が豊かになったような気がして。

毎年必ず会うことができる。だから会いに行くために、クソみたいな日常を頑張る。お互い成長した姿で共鳴できるように。恥じない姿を見せるように。絶対的な何かがそこには必ずあって、そういったものを強く欲していたのだと思う。そういう意味で僕は、彼女のおかげで、ここまで走ってこられたはずだ。

同時に、結婚したり、子供ができたりして、その絶対的な支柱の必要が低くなったのかもしれない。水樹奈々に全部を預けなくたって、僕には安心してそこにあるものが近くにできてしまったのだ。

だからといって、必要なくなったわけではない。それはある種形を変えて、僕にその必要性を訴えかけてきている。なので、僕は水樹奈々に会わなくちゃいけないし、会いに行かないといけないんだ。


「一度きりの人生楽しむべきなのである、絶対に」

普段の生活の中で、大声を出して、ジャンプしたりする場面はない。カラオケとはやっぱりちょっと違うし、会場のあの音が胸を打つ感じ、体全体で音を受け止めるイメージ、これはやはり格別だ。それとファンが奏でる独特の演奏もやっぱりあの場でしか体験できない。全力で大声を出す。「奈々ちゃん!好きだー!」なんて普段の生活では絶対に言えないし、誰か知っている人の前で僕は絶対にそんなことできない。だからこそ、このカタルシスは半端ないのだ。この空間にはある種魔法がかかっている。現実世界とつながっているのだけれど、それを忘れさせてもらえるような魔法。

もう一度、生でinnocent starterが聞きたい。彼女の完璧なステージが見たい。

そして私は今ここにいる。ここにこうして、一人称単数の私として実在する。もしひとつ でも違う方向を選んでいたら、この私はたぶんここにいなかったはずだ。
村上 春樹. 一人称単数 (文春e-book) (Kindle の位置No.2355-2356). 文藝春秋. Kindle 版.

2020年11月14日。Beautifulのマチネ(帝国劇場)。あんなに憧れた東京に住んでいる2020年の自分。まだこの目で水樹奈々を見ることができるとは思っていなかった。圧巻だった。素晴らしかった。感動した。そんな感想しか出てこない。

これが最後かもな。有楽町の阪急、中央線車内。終わってからは、そんなことを考えていた。これまでと同じ。目に焼き付けようと思っても、やっぱり焼き付けることはできなかった。いつまでたっても、彼女はやっぱり大きすぎる存在だから。

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