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川のある日常

通勤途中で渡る川、多摩川。
上京するまでは名前も知らなかったのだけど、
いまは馴染みの深い川のひとつだ。

電車で渡る、その間数十秒。
決して長いわけではないけれど、かといって短くもない。
住宅地を走ってきた中でパッと視界が開ける瞬間。
そこからの数十秒が個人的に心地よく感じる。

例えば朝出勤するとき。
仕事に追われていたり、上司に厳しいことを言われた翌日は決まってドア横に立つ。
ぼんやりと流れる車窓に身を任せる中で、飛び込んでくる晴れた日のキラキラと光る水面とと雲一つない空。
何気ない変化だけれど、今日という日を乗り切るうえで少しだけ気分を前向きにしてくれる。

運よく座れて立ち客で多摩川が見えないときにも、橋梁を渡る音と駅到着の車内アナウンスから、そこが多摩川であることに気づく。
職場に近づく区切りとして、気が引き締まる瞬間のひとつだ。

ふと、他の乗客の様子に目が行くこともある。
そのほとんどが目線は下であり、誰も多摩川の様子なんて気にも留めない。
ドア横に立つ人もスマホから目を離さない。
自然の小さな変化から小さな幸せを感じ取れることに、小さな喜びを感じる。

そういえば、学生時代を送った京都も川の町だった。
家の目の前には堀川が流れ、少し歩けば有名な鴨川があった。
かの白河法皇を悩ませた「天下三大不如意」ではあるものの、幸いにも学生時代には直接氾濫の被害にあうことはなかった。
ただ、大雨が降った翌日あたりは川の水が茶色に濁り、少し気分が落ち込んだことも。その頃から、川に関する感受性が高まりつつあったのかもしれない。

他にも散策したり自転車で走ったり、サークルのメンバーとジョギングをしたりと、考えてみるとそばで過ごした時間は思った以上に長かった。
川は、ただ日常の中にあるものだった。

2年契約の今の家。残り契約期間が半年ほどになった今、引っ越しも考えている。
川の近くに住みたい、難しくてもせめて川が見える通勤経路がよいなと思いつつも、それがかなうかどうかは正直物件次第だ。
また、川の近くに住むとなっても、もしかすると多摩川から離れてしまうかもしれない。

言葉では説明しにくいけれど、僕にとって多摩川はただそこにあり、しかしそこを通るだけで少し元気になるような存在だ。
多摩川の近くに住んでいるわけではないのに通るだけでそう感じるのだから、
もしかすると近くに住むとまた変わってくるかもしれない。

今度も多摩川を通勤経路に含めたい。
もしくは、多摩川のような川に出合いたい。

そんなことを考えながら、明日もまた多摩川を渡る。

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