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14歳の栞

ずっと観たいな〜と思っていたけど、上映は終わっていて、円盤化の予定もなく、配信もしないということで、ダメ元で福山駅前シネマモードさんに頼んでみたら、まさかの反響で、1月14日から一週間限定で上映してくれることになった!(かなり前の話です。)

私が劇場にこの映画をリクエストしていなければ、この日、この時間、ここにいるお客さんは福山駅前シネマモードで、14歳の栞を観ることはなかったんだな〜と思うと、人の人生を動かしたようで、なんかちょっとゾクゾクした。

"とにかく瑞々しかった。"
これに尽きる。

クラス替えまでの50日間、どこかの中学校の2年6組、35人に密着しただけの映画。特別な生徒はいない。特別な演出もない。盛り上がるシーンもないし、オチもない。

─14歳。
子供でも大人でもない、微妙な時期。
自分の名前呼びが恥ずかしくなる時期、かな。
クラスのウザい男子、ぶりっこで嫌われる女子、怖い先生、好きな人、友達、先輩、後輩、縺れる人間関係に解決方法も見出せないまま悶々と過ごしている14歳。ほとんどの大人が通ってきた学生時代を覗き見しているようで、断片的な記憶が蘇ったりもした。中学生の頃をただの人生の通過点にするのはやめよう、と思った。

友達4人くらいでレズ映画を、ああでもないこうでもない言いながら観ていた私の毎日…。

14歳の時、私のことを嫌っている子がいて、その子は私をすごく見下していた。嫌味を言ってきたり、睨んできたり、イジメられたと言えばこちらの被害妄想で終わりそうな、程度の低い嫌がらせを受けていた。たったそんなことで学校に行きたくなかった。だけど、クラスでヒエラルキーの上(こんな言い方したくないけど)にいる子が、仲良くしてくれるようになった。そうしたら、私に嫌がらせをしてきた子は掌を返したように擦り寄ってきた。

今考えると、
ああ、いつだってそうだよなー。
いつだって、大人になったって、強くて(ズル)賢い人間が勝ってしまうのだ。
弱い人間は潰される。埋もれて、廃れて、見えなくなる。

その子は私のことなんて忘れているんだろうけど、私はぜぇーーーったいに忘れないからネェ⭐︎
まあ私も人のこと言えないくらい色んな人をねじ伏せてきましたが…申し訳ない😞

苦い思い出はあったけど、這いつくばってでも失いたくない友達は学生時代に出会った人たちばかり。私は完璧主義の秘密主義者だけど、それを取っ払って付き合えるのは昔から仲良くしてくれている人たちだけかも。

ある男の子。
「大人になっても忘れたくないことはある?」
という質問に、
「アイスがおいしいという気持ちと、◯◯さんとラインや電話をしている時に感じる気持ち。」
この子が持っている感性をずっと大切にしてくれたらいいな、と思った。

思春期って、人前で話すことが恥ずかしかったり、強がった発言をしちゃったりするものだと思っていたけど、そういう子が一人もいなくて、みんな素直で、自然で、あどけなくて、本当に良かった。制作側がうまいのか…。それとも、これが14歳というものなのか…。

「自分のことは嫌いです。」と何かを抱えていそうな女の子に、良いところあるじゃない!とか、いつか自分のことを好きになれたらいいなぁ〜とか思ったけど、なんで私はそういうポジティブな言葉を自分自身に掛けてやれないんだろう、と思った。

至る所に14歳の頃の自分がいて、その中には今の自分に重なるような子もいたりして、すごく苦しくなったり、ホッとしたり、何とも言えない気持ちだった。

何の気なしに吐き出した言葉が相手をひどく傷付けていたり、どうしようもないことをどうしようもないままにしておくしかない無力さとか、自分が嫌いとか、あの子が嫌いとか、今も昔も、みんな変わらない。

教室の中と外、学校の中と外、小さな小さな世界で空気を読みながら、窮屈に、自由に、生きる。

都合の良い時に大人になって、都合の悪い時には子供でいたらいいと思う。

ドキュメンタリーというのは、不登校の子が誰かの言葉で気持ちが動いて学校に来たりしない。人の心はそう簡単には動かない。
そこが人間そのものっぽくてすごく良かった。

「14歳は何かを始めるにはもう遅い。」と言っていた君!
何歳になっても生きている限り、句点ではなく、読点だぜ!

……。😅

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