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はじめて切なさを覚えた日

山根あきらさんの企画『#はじめて切なさを覚えた日』に参加させていただきます。企画ありがとうございます。

本企画は2,000文字が目安のためこの記事は1,979文字です

(以下から本文)

 幼い頃と比べると心が動かなくなった。だけど切なさは唯一、大人になってからしっかりと認識した感覚なので、いまだに僕の心を動かす。切なさは、自分でコントロールできない悲しさや寂しさによって心が苦しくなることだと思っている。そのため、大人になって自分の人生のコントロール範囲が広がっているから、相対的に幼い頃よりも切なさを感じる機会が多くなっているのかもしれない。
 僕が切なさをはっきりと認識したのはいつの頃だろう。今思い出せる範囲でこれは切ない気持ちになっていたと思う事は、祖母が亡くなった時のような気がする。一般常識で人が亡くなるということは知っていたが、当時の僕からは遠く離れており、テレビや小説のなかでしか起こらないことで、それが具体的にどんなものなのかはまったく想像できていなかった。
 「おばあちゃん、もうダメかもしれない」。母からそう言われた時、僕の年齢は10歳。当然、何がダメなのかさっぱり分かっていなかった。僕は毎日、祖母の回復を祈っていたし、妹は毎日、鶴を折っていた。1000羽折れば祖母が治ると信じていて、僕も何となくそうなると思っていた。2人とも日常の態度も改めて、毎日3回欠かさずに歯を磨き、お風呂は20時までに入り、家事の手伝いも積極的に行った。当時の僕らができることはお利口にしていることであり、それが祖母の回復につながると信じていた。
 もちろん、実際はそうでなかった。お見舞いに行くたびに幼い僕でも『ダメかもしれない』の意味が理解できるようになっていった。最初はお小遣いで買ったゼリーを持っていくと嬉しそうに食べてくれて、「大事なお金をおばあちゃんに使ってくれてありがとう」と優しく微笑んでくれていたのだが、徐々に食欲は落ちていき、口数も減ってしまった。さらに時間が経つと、起きているのも辛いのか、微かに目を開けて僕の事を優しい眼差しで見てくれるだけになってしまった。また時は経ち、祖母は静かに眠るだけになってしまった。「おばあちゃんの手を触ってあげて」母から言われた。元気なおばあちゃんを僕は望んでいるし、目の前の現実は当時の僕には酷すぎたので体が動かなかった。「さあ、頑張って触ってあげて。おばあちゃんの手は温かいから」。その一言で僕は祖母に抱きしめられた時の温もりを思い出した。そしてもう抱きしめてもらうことができないことが分かって僕の涙腺は崩壊した。僕の涙が一生止まらないかもしれないと母は思ったらしい。
 祖母の手は変わらず温かったが、僕の気持ちは冷たくなっていく感覚があった。僕がいくらお利口にしていても結局、祖母の体調は良くならないという事実にひどく悲しくなった。「君の努力なんて何も意味がない、君の行動なんて何も意味がない」僕の頭の中で悪魔が叫び続けていた。どうしようもなく自分が無力であることに絶望してしまった。隣にいた妹も同じ気持ちだったのだろう。いつもは大事に祖母の横に置く鶴を小さな手で握り潰してしまっていた。この時が、『ダメかもしれない』という事を完全に理解した日でもあり、はじめて切なさを覚えた日になった。
 葬儀は厳粛に執り行われた。祖母はたくさんの人に見守られ、たくさんの人を泣かせて旅立ってしまった。遺影に映る祖母は変わらず優しい笑みを浮かべている。遺影を眺めながら各々が祖母の思い出を語っている。祖母の人柄だろう。みんな思い出を語る時は笑顔になり、話し終えるとまた悲しい顔になる。僕たち子供はもちろんだが、大人たちも気持ちの整理がうまくいかないようだった。
 「おばあちゃん、残念だったな」知らない大人に声をかけられた。祖母には『知らない大人から声をかけられたら無視しなさい』と教わっていたので、僕は無言で無視をしていた。「妹はよく君たち孫の事を話してくれていたよ」僕はその大人を見た。「おばあちゃんのお兄ちゃんですか」。その大人は頷きながら、おばちゃんと同じ笑い方をした。僕が生まれた時から、おばあちゃんはおばあちゃんなので、お兄ちゃんがいることなんて全然知らなかった。「君はよくゼリーを持ってきてくれたんだろ。しかも自分のお小遣いを使って」。頭の中に棲みついている悪魔が僕に「結局、意味なかったけどな」と囁く。その声が聞こえるたびに僕は泣きそうになるのだが、祖母の兄が目の前にいるので我慢した。「妹はさ、不思議とゼリーを食べた日は元気だったんだよ。もうダメだと本人も認識していたんだけど、年は越したいとずっと言っていたんだ。君のゼリーと君の妹が作ってくれた鶴のおかげで一瞬かもしれないけど元気になって、年を越せたのだと思うよ」。僕らの行動は少しだけ意味があったのだ。僕はポケットに閉まっていた祖母に編んでもらった手袋をつけ、その温かさを確かめた。不思議と祖母のお兄さんの話を聞いてからの方が温かく感じた。

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