見出し画像

現物主義

書籍電子化の流れで出版業界は確かに経営不振に陥っている
「amazon」などの台頭により本屋へ行かなくても簡単に本が買えてしまう
今やメガ書店でさえも本が売れない状況が続いている

街の小さな本屋は次々と淘汰されてしまった

私はいまだに本や映画は気に入った物はデータでは無く現物で本棚に納めている

この時代に逆行する行為であることはわかっている
友達には「電子書籍やと場所取らんやん」とか
「いやいやわざわざ高いお金出して買わなくてもアマプラで月500円ですぐ見られるやん」とか
バカにされる

なぜこの時代に現物主義なのか
それはデータ主義者には理解してもらえない理由がある
別に逆張りして注目を集めたいわけでもない

データにはない何か

例えば現物の本には実態がある
そこには手触りがあり匂いがあり
麻雀が好きな人はテレビゲームでは物足りず牌を触る感覚に興奮してギャンブルが止められないらしいが
それに近いかもしれない
本をもらうと嬉しいが電子書籍をもらってもそこまで心に響かない

僕のあるお気に入りの本は小口にホログラムが施されている
電子書籍ではこのホログラムを表現することはできない

確かに本の内容が欲しいだけの人は中身のみ抽出した電子書籍で事足りるだろう
しかし本を一つの芸術作品として捉えているならデータでは足りないのだ
デザイナーはカバーはこの用紙を使おう表紙はこのインクを使おうと毎日検討しているが僕はあれが無意味な作業とは思わない

とにかくデータと現物は全くもって違うということ

昔テレビのコメンテーターが「僕は彼女にもらった手紙はかさばるから写メ撮って実物は捨てる」と言ってて
俺はとても悲しい気持ちになったことがある

僕はデータを否定しているのではない
現物も正しいし、データも正しいのである
これは矛盾ではない

例えば、哲学の好きな素敵な女性に出会った頃に
何気なく本棚を眺めると読まずに仕舞ってあった哲学書が目に入って急に読み始めたことがある(ご存じ私は今や立派な哲学ヲタク)

ふらっと入った本屋で何かインスピレーションを受けて買った本は運命の人に出会うのと同じなのである
この出会いは電子書籍では起きにくい

今や世の中はなんでもデータ化して利便性を高めようとしている
現金は電子マネーに、手紙はLINEに、本は電子書籍に、テレビゲームはダウンロード版に、、、、、

仮想通貨ができても絶対に現金はなくならないし、電子書籍ができても図書館は絶対になくならないし、LINEができても手紙は絶対になくならないし、オンラインデートができてもFACE to FACEは絶対になくならない
これは本当に断言できる

SNSやマッチングアプリのメリットはもちろん出会いの数

しかしそれは出会いなんて無限にあると錯覚してしまうほどで
すぐに人間関係を構築できてしまうがゆえに
新しい人との繋がりにありがたみが無くなってしまった

それを証拠に現代の若者はブロックという名のもと、簡単に人間関係を断つ

昔は人と人との出会いは貴重だった

今のような広く浅い人間関係ではなく狭く深い人間関係を形成していた
だから隣の家に住んでいる人にはちゃんと挨拶をし
掃除のついでに道で井戸端会議をし
残った晩御飯だっておすそ分けした

現物とデータではとにかく重さが違う

家の掃除をする時になかなか物が捨てられないように、
データだと簡単に削除できるが現物だとそう簡単に手放せない

ブロック、削除、アンインストール、、、、、
縁も思い出も本当はとても大切なものなのに
それをみんな何のためらいもなく
いとも簡単にワンタッチで捨ててしまう

だから世の中には人との繋がりや物のありがたみがわからない人間が溢れかえっている

最後に
俺は「本棚作りは子育ての第一歩」だと思っている
なぜならみんなも経験があると思うが小さい子どもは親の本棚から本を取って読むからである

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?