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自分と他人

自分と同じ人間は一人もいない
自分と他人は違う

それなのにこの世の中は他人に何かを期待している人が多すぎる

自分は管理できるけど他人の管理は本当に難しいのだ

特に仕事の世界は本当にそう
情報の伝達不足など意思疎通の不足により、他人に頼むと頼んだことと全然違うことがされてたり自分の思った結果にならなかったってのはよくあること

何事も全部自分1人の手でやると思い通りに出来るんだろうけど、他人が絡むと物事ってのは本当に制御できない

他人が自分の思い通りに動いてくれなくて怒っている人、他人が自分の考え方と違って受け入れられない人、他人の言動がとにかく納得いかない人、、、、、

他人に対しては「できて当たり前」ではなくて「できたら儲けもの」くらいでちょうどいい

自分は変えられるけど他人は簡単に変えることはできないのだ


僕は他人の言動は基本的に無条件でまずは尊重するようにしている

尊重してその真意を咀嚼した結果、それでも間違っていると思えば指摘することがあるかもしれない
しかし、それはあくまで助言で合って強制ではない

最近自分の中で大切にしている助言の仕方があってそれは「愛犬を散歩するように」アドバイスするということ

乱暴な人は自分の行きたい道へ愛犬のリードを強引に引っ張って誘導する

そうではなくてリードはできるだけ長くしておき犬の進みたい方向に自由に散歩させる
リードは持っておくだけ

アドバイスとは自分の意見を押し付け思い通りにさせることではない

そして、犬が車に轢かれそうになった時だけリードをクイっとこっち側へ引っ張ってやる
私たちがすることはこの軌道修正だけ

これを人間に置き換える
とにかくあくまで相手がやりたいように行動させる
だって本人が一番自分のことをわかっていてかつ色々考えているんだから
多忙や混乱や焦り、情緒不安定などにより相手の視野が狭くなっているような危険な状況の時だけ軌道修正

僕は子どもの頃「勉強しなさい!」 って母親によく怒られていたけど、いつも「今からしようと思ってたのに!」ってなってヤル気を削がれることが多かった気がする

強制して無理やりさせることより、自分の意志で自ら行動することが絶対大事だから

第一、なぜ人の人生にいちいち他人が口を鋏む権利があるんだろう

相手が自ら行動し出すまで我慢できるくらいの器量や優しさは持ちたいものである

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