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第26回 いわゆる「疎外」と無関心-gleichgültig その4

資本論-ヘーゲル-MMTを三位一体で語る」の、第26回。

(初めての方へ・・・このシリーズは「資本論を nyun とちゃんと読む」と題して進めている資本論第一巻の逐文読解プロジェクト(最新エントリはこちら)の補足であり、背景説明であり、読解中のワタクシの思考の垂れ流しでもあるというものです。)


 gleichgültig シリーズの四回目となりました(一回目二回目三回目)。

 さしあたりこのシリーズはこのくらいで切り上げようと思うのですが、最後に「疎外」につなげて語ってみましょう。

 gleichgültig (無関心)と「疎外」が関係あるということは日本語でも直観的にわかりますよね。

 ただ資本論では「疎外」、Entfremdung という言葉が出てきません(あったらごめんなさい。すくなくとも目立った形ではということで)。

 しかし「マルクスと言えば疎外」というようなイメージを持っている人は結構多いと思うんですよね。

かつてあった「疎外論」ブーム

 どうやら1960年代の日本(というか世界)で「疎外論ブーム」ともいえる状況があったのです。

 もちろんワタクシはリアルタイムで体験していないのですが、その当時一橋大学の学生だった黒沢惟昭さんが、2010年に書かれた『疎外論の再審』という文章をワタクシ先日見つけまして、興味深く読んだので(山梨学院リポジトリ)、冒頭部分を少し引用しましょう。

 「疎外」という言葉を自覚的にうけとめたのは一橋大学時代にうけた社会科学概論の講義の時であった講義を担当された高島善哉教授が講義の前年に出版されたパッペンハイムの『近代人の疎外』(粟田賢三訳、岩波新書、1960年)を推せん図書にあげその際に疎外について説明を行ったのである半世紀も昔のことであるから記憶は定かでないが、幸い本書に触れた教授の論考「社会科学と人間疎外一とくにパッペンハイムの著作にふれつつ一」(一橋大学一橋学会編集『一橋論叢』日本評論新社、1961年、7月号)が手許にあるのでこれによって当時のレクチュアを想い出すことにしたい。

 まず教授は当時の疎外論ブームを戒めて「それは現代的人間の危機の意識であり、人間危機の自覚の意識である」ことに留意を促す。さらに、「疎外の意識とはもともと批判の意識である」。それは「人間が人間でなくなっていることに対する反省の意識である」「自分が人間として否定されているという自己反省の意識これが疎外の意識である。だから「疎外論というものはあくまでも人間のもっとも根源的な自己批判の意識もっとも根源的な自己反省の意識であるといわねばならない。」

 へええって感じです。

 さらに面白いことに、2010年には黒沢の「手許」にあった高島善哉教授のこの論考は、今はネットで読むことができるじゃないですか。

 今回の目玉はこちらです\(^o^)/

https://hermes-ir.lib.hit-u.ac.jp/hermes/ir/re/3461/

 すばらしい\(^o^)/

…くり返していえば、ここには疎外論ムードというものが流れているのである。
 人間の危機の意識であり、人間危機の自覚の意識である。技術革新と消費ムードに支えられて、安定と進歩の条件が確立されているかのようにみえるこの日本の社会に、このような人間危機の意識が薄らぐどころか、かえってますます濃厚になりつつあるという事実、われわれはこの事実を直視しなければならない。ハムレットではないが、この国には何か腐ったところがあるというほかはなかろう。
 最近における疎外論の流行 一 私はあえて流行という言葉を使いたい 一 
の背後にはこのような一つの大きなパラドックスが横たわっていように思われる。それは現代的人間と社会が生きのびでいくためには、どうしてもその解決をなおざぅにすることのできない根本問題であるから、この流行はただひとり日本だけの流行であろうはずがない。イギリスやフランスやドイツやアメリカなど、少なくとも資本主義体制に属する諸国においてはどこでも、同じような傾向が現れていることはすでに一言した。日本はこの場合でもやはり先進諸国に追随しているにすぎないのである。たとえばアメリカの例をとってみても、ミルスの「ホワイト・カラー」やリースマンの「孤独な群衆」や、あるいはまたホワイトの「組織の中の人間(オルガニゼイション・マン)やパッペンハイムの「近代人の疎外」など、これらはいずれも邦語に移されて我が国における疎外論ムードのかき立てに役立っていることは誰のも目にも明らかであろう。

資本論と疎外

 高島はパッペンハイムを高く評価したうえでこう書いています。

 パッペンハイムは疎外の問題を初期マルクスの研究、とくにマルクスの「経済学、哲学手稿」(1844年)の研究と結び付けている。いうまでもなくこれはまさにそのようにあるべきところである。
(中略)
けれども彼はフランスやわが国の研究者たちが考えているように、初期マルクスと後期のマルクスを統一的に掴もうとする努力の必要を十分に強調していないようない思われる。

 そう。
 先ほど書いたように資本論(後期マルクス)では Entfremdung (疎外)は前面に出てきません。

 だからマルクス研究者たちは、あとから発見された草稿を読んでヘーゲルやフォイエルバッハ以前との、疎外と言う意味でのつながり(もしくは断絶)を発見し、その上で資本論を改めて解釈しようとすることになったのですね。

 高島がパッペンハイムを持ち上げるくだりでは、こんな風に書いています。

 (パッペンハイムの本では)まず第一の問題すなわち疎外の必然性という問題に対しては、所有 一 とくに私的所有 一  その資本主義的利用 一 が指摘される。これは別にマルクスから始まった思想ではなくて、彼の前の代表的な思想家を挙げればルソーの中に出てくる思想である。ところがこの現象を疎外という哲学的な方法でうけとめたのは、青年マルクスがヘーゲルの学徒であったためである。このことは今ではわれわれの常識にすぎない。けれども同じ哲学的な発想であるとはいえ、ヘーゲルとマルクスとの間に横たわっている重大な相違に気づいている人は少ないであろう。われわれのみるところでは、パッペンハイムはこのような少数派の一人である。ここで彼のいうところを引用すると、「ヘーゲルがこの見解を展開した『精神現象学』に対しては反対であり怒りを感じていたにも関わらず、マルクスはその中心的な思想の偉大さに対して盲目にはならなかった。彼がとくに動かされたのは、疎外が弁証法的な一つの段階であって、それを経験し、それに反抗することによって、人間は自分自身の自我をつくりだし、自分自身を人間として充足させる、という思想だった」。(栗田訳九九ページ)
 この引用句には一つの重要な思想が含まれていると思う。すなわち人間が自分自身の自我をつくりだし、自分自身を人間として充足させるためには、疎外が弁証法的な一つの過程であることを知り、それを経験し、それに反抗することが必要だという思想である。ここで弁証法的といわれるのは、自我が真の主体となり、人間が充足された人間となるためには自ら通過しなければならない必然の契機という意味である。マルクスはヘーゲルとはちがって、この必然の契機をただ精神の自己運動の中に求めるようなことはしなかったといわれる。これは誰でもいうことであって、今ではわれわれの常識である。しかしながら、疎外現象を単に人間の外側にあって人間の反抗を待っているにすぎない物質的過程としてのみ把握しようとする見解は、やはり青年マルクスの発想にはなかったことを注意しなければならない。このような見解は疎外をただ疎外として扱うところの機械的な見方であって、初期マルクスの発想法を正しく理解しないものだといわざるをえない。
 つまりここには弁証法的唯物論といわれるものへの理解の鍵が示されていると私は思う。この立場に立つ人たちは、人間の歴史的社会的なあり方を単に精神の自己運動とみるのでもなく、単に物質的な盲目運動とみるのでもない。自然現象にはみられない特殊の主体 一 客体関係がここには存在することを認める。初期マルクスにおける疎外の概念は、まさにこの特殊な主体 一 客体関係を掴むための視点と方法を与えているものと言える。

 いやいやその通り。

 ちょっと注目しほしいのは続く次の一節なんです。

 パッペンハイムがこの点に気がついたのは、さすがに卓見であるといわなければならないであろうが、ドイツ観念論のエトスをふまえている人ならではという感が深いのである。

 そうなんですよね。

 ドイツ観念論のエトスにどっぶり使っていたワタクシは、MMTを知った後、あれは四年前ですか、ミッチェルと大石さんの導きにより、まずは『資本論』かなと思って読み始めた最初の数ページで「これは!」と雷に打たれたもので。(ちょっと書いたことがあります)

 その文章、疎外(Entfremdung)という言葉はなくても、gleichgültig をはじめとした言葉の使い方はこのエトスそのものであり、しかも洗練の極みではありませんか!



 でもその直後、松尾匡さん(諸事情により敬称付き)の「用語解説:疎外論」というページを見つけて、ものすごく失望したのですよね。
  
 そのページの内容は、ほどんど嘘でしょう。

このようなマルクスの議論は、実は今日ゲーム理論を用いて分析が進められている現代の数理経済学の最先端の議論と一致している。

 ないないないないない!
 次回、そのへんをちょっとだけ。

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