ロマンティックMMT−17: JGPの目線とマルクスの誤解(JGPの話4)
JGP(職業保証制度)の話、四回目です。別の話が挟まったので過去記事のリンクを入れておきます。一回目、二回目、三回目
さて、昨日はたまたまSNSでレイのMMT入門(いわゆる金ピカ本)の翻訳の画像が回ってきて、そのダメさに思わず反応したわけですが。
金ピカ本にそんなに目くじらをたてることもないんじゃね?とお思いの向きもあろうかと思います。
文法的にはああしたで受験生ぽい「逐語訳」でもマルはもらえるかもしれません。しかしMMT入門としてそんな文を出したら落第なんですよ。
逐語訳がどうしてダメか(とても重要)
じぶんはこれまでも、これからも強調していきますが、ローコンテキスト文化圏の言語で書かれたものをハイコンテキスト文化圏の言語に翻訳するときに、逐語訳でわかったつもりになるのは危険だということです。それは本シリーズの第一回で強調したことでした。
英語には少ない言葉に多くの意味が込められています。そしてそれは英語話者の間ならば誤解の余地がほとんどない。何故かというと、基本的に書き手と読み手は背景文化を共有しているという前提があるからです。
ところが、同じ文を日本語に逐語訳したものを日本人が読んでも「え?たったこれだけ?」みたいに「情報の少ないシンプルな描写」として受け取ってしまいがちなのですね。
そうした読み方こそが危険なんですよ。
読み手が本来の英語での背景文化を想像する代わりに、自分がすでに知っている何らかのイメージをかぶせて読んでしまうという誤解が起こります。MMTに関してこの種の誤解が多すぎると思うからこそ、じぶんはこのシリーズを続けている。そう言っても過言ではありません。
もとの英語には明確に書いてあることを「ぼんやりとした何か」と受け取ってしまうことも立派な「誤解」です。それがどれほど悲しい誤解であるかは、あなたが好きな人に何かを説明するときの気持ちになればわかると思いますよ。言いたいことが伝わらないのは悲しいことですよね?
このJGPの話はその典型的な例だと思います。
そこで、前回使った図でやってみましょう。原文に「ありありと」書かれていることはこういうことです。
しかし残念ながら、これを読み取れた読者はかなりの少数派のはずです。翻訳が不親切か、翻訳者が読めていないとそうなります。
こんな図(↓)を想起させる余地を残す翻訳でカネをとったらダメすよ。島倉原さんは。悪気がないとすれば、この時点の島倉さんはこの本の監訳を引き受けるのに十分なMMTの理解水準には達していなかったということです。
JGPのイメージがこれだと、そこから先の話が通じなくなってしまいます。かくして「MMT入門」を一生懸命読んだ人がMMTを理解していないということになってしまう。
そして、翻訳を介したこうした「悲喜劇」は実はたくさんあったりします。
その最大の悲劇はマルクスだと思っています。
誤解されまくるマルクス
どうやら日本のおいてMMTの理解を阻んでいたのは、マルクスへの誤解にあるとじぶんは強く感じています。
MMTの起源は間違いなくマルクス(ミッチェル先生談)なのに、MMTの土台であるマルクスが「そもそも誤解されている」。
マルクスが誤解されてきた原因は上のJGPと同じ構図のようなのです。
そもそもマルクスの背景知識がぜんぜん足りない人「しか」マルクスを読んでいなかった。
…
しかもそれが伝言ゲームになっていて
…
だから、なんかじぶん、壮大な話をしなければならない羽目に??
いったいどうしてにゅんが??\(^o^)/
でも仕方ありません。そういう運命なんでしょうね。そのあたりを次回に書きましょう。
つづく
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