ロマンティックMMT−14: JGP[職業保証制度]を図にしてみる(JGPの話3)
それでは、いよいよJGP(職業保証制度)を図で表してましょう。
ただ、その前に一つだけ。
この理解だけは、ここはひとつしっかりと。
そもそも国債はわざわざ発行する必要がない。そのことを思い出しておいてください。念の為ということで。
国債は要らないもの
かといって国債をいますぐ、どうしても、なんとしても、なくせ!なんて言っていないんですよ。たんに、JGPをイメージするときには「ほんとうはわざわざ発行する必要なんてゼロである国債」に気を取られないでくださいということです。
それは、たんに自由な思考の邪魔をするだけの思い込みです。
公か民かという雇用形態
世界にこういう人たちがいるとします。動物も見えます。
またこの図?(ごめんなさい)
左上、安冨先生は「国立」東京大学の教授。その仕事の価値を公的機関である東京大学が認め、そのしるしに一定の給与を支払っています。
右上、松尾先生は「私立」立命館大学の教授。その仕事の価値を民間機関である立命館大学が認め、そのしるしに一定の給与を支払っています。
では犬は?
まあ、犬がいてもいいんじゃないですか?
それはともかく、こうした「いろいろな人がいる社会」を雇用形態に着目したイメージで表現してみます。
社会を雇用形態で捉える
公的雇用と、民間雇用があって、失業者がいてこんなふうになっていますよね。
白いところが見えますか?雇用される意思がない人です。大金持ちかもしれませんし、病気でどうしようもない人や、その世話をしているからとても働きに出られない人。
とても働きに出られない人。そういう人がたくさんいるのに日本の皆さんはぜんぜん気づかない。世界でも珍しいほどに弱者に意識を向けない社会。
それはともかく、
雇用が減ると失業が増える。
反対に、
雇用が増えると失業が減る。
世の中そういうものだと。あたりまえですね!世の中の仕事には限りがあるから?当然あぶれる人が出てきます。
それでは!
いよいよジョブギャランティ(職業保証制度)の図をお見せします。
簡単です。黒いところをピンクにしてそこに書かれている文字を変える。基本はそれだけ。
ジョブギャランティの図
こうですよね。
仕事は何をするか?
だって雇用されたい人ならば、その人なりに何かできること、得意なことってありますよね。家では何かしたりしてますよね。それでいいじゃないですか。常識的に考えて。
MMTが言っているのは「JGP(職業保証制度)がぜったい必要!」ではないんです。
「皆さんはジャパニーズイデオロギーを選択しているけれど、どうしてジョブギャランティをしないでわざわざ失業を作るのですか?」と言っているわけです。
経済学の教科書ではまるで失業が仕方がないことのように書かれていますけれど、そうならば経済学って根本的におかしくないですか?
経済学って根本的におかしくないですか?
「不況になると失業が増える。良くない。」みたいには書いてあったり、「良くない」とは書かなくても「仕方ない」かのように書いてあります。
そっちのほうが意味わからなくないですか?概念的な教科書なんですよね?
失業が良くないにせよ、仕方ないにせよ、ほんとうは単にそういう社会に「してある」からそうなっている。
教科書がそれ言ってどうするんですかね??
ジャパニーズイデオロギーにほとんど全員が洗脳されているんです。だからMMTの入門書に「ありありと書いてあるカンタンなこと」が日本語圏の人にはどうしても伝わらない。
彼らが「MMTは会計的事実にすぎないからJGPは不要?」と思ってしまうのは、まさに洗脳されているからなんですね。
洗脳がなければ、せめて理解はできると思うんですけどねえ。国債は不要なわけだし。
再掲:ジャパニーズイデオロギー
毎回で恐縮ですが、経済学者のせいで日本人が囚われているジャパニーズイデオロギーとは以下のものだとじぶんは考えています。
通貨は中央銀行が市場の需要に応じる形で供給している。
通貨の需要は基本的に市場の均衡で定まる。
政府には財政制約がある。
価値は相対的なもので人それぞれである。
価格は市場参加者の均衡で決まる。価格に多様な価値観が織り込まれる。
ひとは賃労働が生み出す価値で生きている。
(または)
ひとの価値は、その人が将来どのくらいの価値を創出するかの見込みで定まる。
人びとはいつも平等に、価値ゼロのスタートラインに立っている。
障碍者や被介護者は社会のコスト。
「病気でどうしようもない人や、その世話をしているからとても働きに出られない人」を底辺に追いやる必要はないんです。
真ん中ですよね。常識的に考えて。
子どもや老人や、病気の人ってこういう白丸的なイメージですよね、ふつうの人は。
つづく
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