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第39回 金利の中野剛志説とMMT説の差異について(マルクスの価格理論の入口として)

 「資本論-ヘーゲル-MMTを三位一体で語る」の、第39回。


 前回は、中野剛志著『どうする財源』という本を取り上げて批判を行いましたが、それはそれとして、この本は第七章は「金利の問題」として金利に関する章がありました。

 ワタクシとてMMTとマルクスに多大な関心を持っているので、当然ながら金利は関心の中心にありまして、ここは特に興味深く拝読いたしました。

 ここで強く感じたのが、金利に関するMMTの議論と中野の議論の差異なんです。

 そしてよくよく考えると、この差異こそは、現在この世界では主流であるところの「資本主義イデオロギーに基づく世界観」と、「マルクスやMMTの科学的な世界観」をわかつ、格好の例だと思えてきたのです。

 そこで今回は、その話題。

金利の中野説

 まず、ここで展開されている彼の議論を「中野説」と呼ぶことになりますが、それは少し後で。

 金利について、中野は理論の前に現象論から入ります。

 途中から抜粋いたします。

 さて、赤字財政支出が民間貯蓄を増やすのだとすると、「国債の発行により、いずれ民間貯蓄がなくなり、金利が上昇する」などということは、あり得ないということになるでしょう。
 だから、図18のように、政府債務が積みあがっても、金利が上昇するということはなかったのです。
 貨幣が負債であることや信用創造という資本主義の仕組みを理解していれば、何も不思議なことはありません。

 ほうほう。

 そしてこう続きます。

政府支出の実際
 ところで、実際の政府支出には、たとえば、予算執行の前に国債が発行されるとか、日本銀行が国債を政府から直接引き受けることは法律で原則禁止されているとかいった、様々な制度上の制約が課せられています。
 そこで、これらの制度上の制約を前提とした上で、政府があらかじめ国債を新規に発行し、その新規国債を民間銀行が購入し、政府が財政支出を行なう場合を考えてみましょう。
 それは、次のようなプロセスになります。

 ワタクシは、どうしてこれが金利の話なのか、この話がなぜこの章で出てくるのかがぴんと来ませんでした。
 その謎は解けていきます。

①政府は財政支出を行なうにあたり、国債を新規に発行して、民間銀行に売却する。
 なお、民間銀行が新規発行国債を購入するためには、あらかじめ日銀当座預金を有している必要がありますが、この日銀当座預金は日銀が創造し、供給したものです。民間銀行の日銀当座預金は、民間預金を原資としたものではありません。

②民間銀行が新規国債を購入すると、その購入分だけ、民間銀行の日銀当座預金が減り、政府が日銀に開設した政府預金が増える。

③政府が財政支出を行なうと、政府預金が、支出先の民間事業者の口座がある民間銀行の日銀当座預金に振り替えられ、民間銀行はその民間事業者の預金を増やす。つまり、②で民間銀行が国債を購入して減った分の日銀当座預金は、ここで戻っている。

④こうして、財政支出は、それと同額だけ民間部門の預金(民間貯蓄)を増やすが、日銀当座預金の額は変わらないので、金利は不変である。

というわけで、やはり、国債を発行すると、民間貯蓄が減って金利が上がるということはないことが確認できました。

 最後、金利の話になっていますね。

 しかしワタクシにはこの理路がわからないのです。

 なぜそうなのか?

 お読みになった皆さんはわかりましたか?

 この論理を受け入れる人は、あらかじめ「貨幣量(民間貯蓄額または日銀当座預金額)が変化すると金利が一定方向に動く」という仮説を受け入れている人だけだと思いますが、たとえばワタクシは、この仮説が一般に成り立つとはまるで思っていません。

 よく読み直すと、だいたい①で国債を売買する時にはその金利が決まっているし。

 つまり、もしあなたが上の引用で中野の話を理解できたなら、あなたはあらかじめこの仮説を前提にしていたのです。

 引用を続けましょう。

 以上のように、政府が国債を発行して財政支出を行なっても、民間貯蓄は減るわけではなく、むしろ、その反対に増えますし、金利が上がることはありません。

 中野説を受け入れないワタクシは「その理由」で「金利が上がることはありません」とするのは飛躍だなと思うんですよね。

 さて、次ですよ!

 一見正しそうな以下の記述にも騙されないでくださいね。
 強調は原書のママ。

 それだけではありません。
 日銀は、民間銀行から国債を買い取ることで、民間銀行の日銀当座預金を増やし、金利を下げることができます。
 中央銀行は、金利をコントロールすることができるのです。その意味でも、金利の上昇を心配する必要はないわけです。

 うん、やはりここなんです。

 中野が次の仮説を信奉しているということを改めて確認していただきたい。

 つまり「日銀は日銀当座預金の量を増減させることによって、金利を希望する方向にコントロールできる」という仮説の。

 こちらの方を「金利の中野説」と呼びましょう。

「コントロールできる」と「外生的」、その大きな違い

 MMTの方では、たとえば「中央銀行が金利を外生的に定めている」というような表現がなされます。

 要は「中央銀行が目標値を決めている」です。

 金利の中野説との違い、わかりますよね。

 この理解こそは、実は決定的なところです。

 金利の中野説における中央銀行は、ちょうど自然災害と闘う防衛隊のような、あくまで受け身の存在になっています。

 対して、金利に関するMMTの理解は、逆なのです。

 通貨の巨大なモノポリスト(独占供給者)である中央銀行が金利を定め、世界をその定めに従わせている。

 よって、準備預金を増やす(減らす)「から」、金利が下がる(上がる)ではなくて、巨大のモノポリストが金利を決めることによって、準備預金量や国債残高をはじめとした、さまざまな数字がそれに対応して動く。

 もちろん、モノポリストがあたかも「自然に従属しているフリをする」ことはできてしまい、それが不透明な資金の動きの温床になり得るのですね。

 この理解によってこそ、そういうことは止めようよというMMTの提案(国債は廃止、金利はゼロに固定)に繋がっていくのです。

「価格は需要と供給で決まる」説は何も説明していない、と言う話

 ところで、「価格は需要と供給で決まる説は何も説明していない」。

 このことはマルクスが資本論で何度も強調しており、ワタクシも今はそう思う事柄です。

 金利の中野説の前提には、金利という”ある種の価格”が需要と供給で定まるという仮定が入っていました。

 しかしそれがダメなのです。

 ダメでないと思うあなたは「価格は需要と供給で決まる」教の洗脳によって、それが正しいという思い込みが刷り込まれていたんです。

 くどいですが、ワタクシもそうでした。

 高校や大学の入門的な教育、そして「みんなもそう思っている」ことによって。

 だからこれを読んでくださっている「価格は需要と供給で決まる」教徒の皆さんの洗脳を解くのも簡単ではないと思っています。

 だから!
 まずは、上の中野説とMMT説の違い、これを腹に落とすことを最初の一歩にすることがでしょう。
 ワタクシがそうだったからです。

 そうして資本論に取り組めば、佐々木隆治が近著「マルクス 資本論 第3巻 シリーズ世界の思想」(第37回で取り上げました)の中で「マルクス均衡」と呼んでいるところの、マルクスの価格の理論がわかっていく。

 ワタクシとしては、なんとかしてそれを表現していきたいと思っています。
(それを「マルクス均衡」と呼ぶかどうかは別として)

 それでは! 

 

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