男性性の解体ーグレイソン・ペリー『男らしさの終焉』

 グレイソン・ペリーによる「男らしさの終焉」を読んだ。原題は「The Descent of Man」

男らしさの終焉

  グレイソン・ペリーは、1960年イギリス生まれ。2003年にはイギリスの権威ある賞「ターナー賞」を受賞、以降著名なギャラリーや美術館などで展示を行ってきた。また、トランスヴェスタイト(異性の服装をする人)であり、「grayson perry」と検索すれば女装姿を見ることができる。

 そんなペリーが自身の経験をいくつか挙げながら、現代においての「男性性」がいかに古臭く、男性がそれに縛られ苦しんでいるかを語る。タイトルに「男らしさの終焉」とついているように、「男らしさ」というものを改めて考察し批判し尽くしている。イギリスの人なので当然例として出てくる事象はイギリスにまつわるものが多いが、読んでいてわかるのは、世界中で「男らしさ」というものが存在していて、男性はそれに気づかないうちに支配され、無意識的に苦しんでいるということ。ペリーがトランスヴェスタイトであるのも、「男性性への無意識の拒絶か、少なくとも女性性への逃避である」と語り「男性性」の厄介さがわかる。

 「フェミニズム」や「フェミニスト」、「ジェンダー」というと「女性のもの」と思う人が未だ少なくない。そして「フェミニストは男を攻撃したいんだ!」とか「男性の権利を侵害しようとしている!」とか、圧倒的な勘違いが今尚よく聞く話であるが、全くそうではない。もちろんフェミニズム運動は女性の抑圧の歴史があったからこそ生まれた。しかし、「フェミニズム」や「ジェンダー」を学び、知るということは、「男らしさ」を解体することにもつながっている。男性は泣いてもいいし、強くある必要はない。スポーツをして汗水流し、ジムで筋肉を増強することだけが「男らしさ」ではないのだ。

 女性が子供の頃から家事の手伝いなど「女性的」(そんなものはないが)とされるものを環境に強要されやすいように、男性もキャッチボールやスポーツなど「男性的」とされるものを強要されている。多くの女性はその不条理さに気づき声を上げたが、男性はまだ気づかない。男性は社会的に恵まされ、下駄を履いているが、「男性性」について声を上げることは全くの別問題だ。むしろ「男性性」について疑問を持ち、声を上げていくことが、女性性の問題に気づき、協調していくことが可能である。そして男性はこの「男性性」を持っていることを強調して「俺らも大変なんだ!」と同調圧力をかけるのではなく、ともに社会における性の役割について考えていくことが必要だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?