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私はこの世界を降りたい。
閉鎖病棟に入院して何日かが経過した。
「あいつは死んだのかな?まぁ、軽く刺したぐらいだから死んでないだろうけど。死ねばいいのに。」
白色の壁に向かってつぶやく。私は独りだった。家庭には居場所がなく、学校にも上手く馴染めなかった。
鬱憤を感じ、日々を消費していた。んで時たま趣味で夜の街を散歩していたときに、音楽をかけながら踊っている集団に出会った。
彼らが社会に馴染めず、疎外感を抱いていたのを機微に感じとった。私と同じだと思った。だから、そこに通うようになり、唯一の居場所ができた。
その中の1人であるカズヤは私の彼氏だ。その彼氏を数日前に殺した。いや、死んでないかな(笑)。
理由は正直よく分からない。だけどむしゃくしゃしたから、近くにあった包丁でズブリといってやった。腹を抱えて泣き叫んでいた。ちょっと面白かった。
そんな私なんだけど、今日はカウンセリングの日らしい。カウンセリングなんていう馬鹿げたことはやりたくないけど、強制だから仕方がないね。
看護師さんが私の手を引っ張る。
「〇〇さん、ほら行くよ〜。」って言いながら。
私は囚人か。そんな事しなくても一人で歩けるし。
「あ〜めんどくさいなぁ。めんどいよ〜。」
そんな私の言葉は聞く耳を持たれず、カウンセリングルームに着いてしまった。
「こんにちは始めまして。心理士の鈴奈美穂と申します。本日はよろしくお願いします。」
若いな。素直に思った。こういうのって年取ったおじさんとかおばさんがやるんじゃないんだね。
まぁ、とりあえずテキトーに言葉を返した。
「よろしくおねがいしま〜す。」
机が1つに椅子が2つ。なんか後ろにおもちゃ?がいっぱいある。児童クラブにいた頃の思い出が蘇る。こういう雰囲気は苦手なんだよね。
「早速なんですけど始めていきますね。咲野さん、最近の調子はどうですか?何か変わったこととかありますか?」
「ないで〜す。これいつ終わりますか〜?」
私は答える気がなかった。だってくだらないんだもん。この人もそうだけど、社会のお偉いさんたちはみんな自分が正しいと思ってる。だからその正しさを押し付けてくるんだ。私はそれが嫌い。
「ないんですね。分かりました。咲野さん、絵を描くのがお好きらしいですね。看護師さんが仰っていました。今から絵を描きませんか?咲野さんがよかったら、私、絵見てみたいです!」
穏やかに話す彼女の瞳には嘘が無いように見えた。だけど、私は信じない。こういう人たちはみんな偽善、みんな嘘ばかりだから。
「絵ですか〜?紙とかペンとかあるならいいすよ〜」
ゴソゴソとカバンをあさる。取り出したのはゼブラのマッキーペン。幼稚園とかによくあるやつ。てかカバンの中がぐちゃぐちゃだ。もっと綺麗にしたらいいのに…
「どうぞ!12色しかないですけど、これで何か描いてみてください!」
無邪気な笑顔で誇らしげにペンを渡してきた。何だこの人。心理士って、もっと、なんかこう、頭良い感じの人たちなんじゃないの?言っちゃ悪いけど、すごい頭悪そう。
「なにか描いてほしいものとかある?」
いきなり描いてと言われてもちょっと難しい。だから聞いた。
「ん〜〜〜、じゃあ咲野さんの思い出の場所とか!ここは好きだったなぁ、みたいな場所の絵、見てみたいです!」
「思い出の場所ね。分かった。」
思い出の場所かぁ…言葉を反復しながら考える。あまりピンとくる場所はない。だけど、好きだった場所なら………ある。昔よく通っていたゲーセンとか…。
あの場所は居心地が良かった。家から歩いてすぐの所にあったから、私がまだ中学生だったときによく通っていた(まぁ、学校行ってなかったけど)。
16歳以下は18時までしか滞在してはいけないんだよね。よくわからないルールがあったのを覚えている。守ったことないけどね。
兎にも角にも、まずはある程度の構図を練って描き始める。目の前の心理士の視線を感じながら。
「こんなことしてていいんですか〜?なんか話とかしないといけないんじゃないの、カウンセリングとかって」
沈黙が少し気まずかったのもあったし、見られながら描くのは苦手だ。だから、テキトーな話を振った。
「全然、大丈夫ですよ。今回、初回の面接ですし。あと咲野さんの絵を見てみたいので!」
なんだこの人。何か裏に目的があるのだろう。考えたところで無駄だし、興味ないから詮索はしないけど。
「なんかさぁ、みんな自分が正しいと思い込んでるよね。自分が絶対に正義だと信じてるというか…それは勝手だけど、その正義を押し付けるのって気持ち悪い。」
何も話すことがなかった。だから心理士への当てつけも込めて話す。どうせこの人には理解されないだろう。独り言をする感覚で呟く。
「頭が良いくせしてそんなことも分からないなんて馬鹿だよね。勉強ばっかしてるからそうなるんじゃない。そんな暇あったら外に出てみて、現実を見たほうがいいのに。」
目の前の人間の表情をちらっと見る。なんか深く考えてそうだった。
「そうですね。自分にとっての正しさを押し付けて、それが正義なんだと信じて止まないですよね。」
「正義の押し付け合い…みんな自分にとっての正義を押し付けていますからね。けど、本当は正義なんてない。誰も正義が何かなんて分かっていない。だから、偽りの正義を信じて、それを押し通す。けど、実際はすべて偽り、というよりも真ん中なんじゃないですかね。正義と悪のグレーゾーンを渡り歩いている。そんな気が私はします。」
正義と悪のグレーゾーン。なるほど、確かにそうなのかもしれない。けど、それってあまりにも残酷というか、酷すぎると思う。みんな何も分かってないのに、分かったふりをして、正しさの鉄槌を下す。上にいる人たちは下にいる人たちのことなんて眼中にない。視点を変えようとしない。己の正義を貫き通そうとする。人を苦しめても、人を殺してでも。今ある地位が永久のものだと信じてやまない。いつ殺されるかなんて分からないのに。
「私はそういう人たちが嫌いです。ただ自分に酔いたいだけでしょ。保身に走りたいだけでしょ。自分を疑わない、自分は正しい。他者は間違っている。そうやって言い続けて、弱者を蔑ろにして。それなのに自分は善人気取り。今日も正しい行いをしてやったぞって。単なるポジショントークでしょ。アホみたい。」
絵が完成した。メダルゲーム、UFOキャッチャー、赤白の服を着たスタッフ、子ども、おじちゃん、おばちゃん。ありきたりな光景。店内のうるさいあのBGM。情景を想像する。また行きたいなぁって。
「おぉ〜完成ですか!?」
ちょっと声大きい。テンション高めに反応してきた。
「はい、完成しました。」
目に光を宿しながら見つめる心理士。何を感じているのだろう。
「とても上手ですね。趣を感じる絵です。私あんまり絵分からないですけど(笑)咲野さんはここが思い出の場所なんですか?ゲームセンターが…」
「そうですね。ゲームセンターは昔よく行っていました。家から近かったし、雰囲気が好きだったから。」
私はもう疲れた。頭が回らない。何も考えたくない。この世のルールが私には合わなかった。それだけ…それだけなんだ。それでいいんだ、もう…。
「へぇ~そうなんですねぇ。どんな感じの雰囲気が咲野さんにとっては合っていたんですか?」
声が遠のいていく。意識が朦朧としている。ぼやけた視界が私を包む。半透明の言葉を紡ぐ。
「ゲームセンターって世界から断絶していると言うか、色んな世代の人が色んな事情を抱えて、あそこに行くと思うんですよ。だから、それが私とリンクしているようで、落ち着くなぁって…」
私はゲームセンターの独特な雰囲気、会社員、学生、子ども、主婦、年配の人。いろんな世代がいろんな事情を抱えてあの場所を、あの時間を共有するのが好きだった。
あそこには嘘がなくて、みんな世界に没頭していた。正直だった。素直だった。自分を生きていた。悪い人なんていなくて、みんな無関心。あるいは、たまにメダルをくれたりする人もいて。凄く居心地がよかった。
私は戻りたい。あんな世界に生きたい。ここは、この世界はもう嫌だ。生きたくない。苦しい。
零れ落ちた涙で少しだけ絵の色が滲んだ。なんで泣いているんだろう。もう諦めたのに。もう辞めたい。もう終わりにしたい。すべてを、すべてを消し去りたい。
「だ、大丈夫ですか?これ、よかったらどうぞ。」
水玉模様のハンカチを渡された。すごく滑らかな柔らかさ。いい匂いだった。
涙を拭いてから、深呼吸をして心を落ち着かせた。その後は何か話したんだっけ?覚えてないや。
意識を失った。起きたら無機質な保護室のベッドにいた。
私はなんで生きているのだろうか。
私の見たかった景色、知りたかった世界、行きたかった場所。全てが閉じ込められて、決して届きそうになかった。
この世界に私の居場所はない。私はいない。
消えかけた全てを感じとった。薄れゆく意識の中、散りゆく自分を見つめていた。空に手を伸ばす。血が通っていない。白く冷たい手。震えながら天井へ指を差した。
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