福音の手紙⑤「なぜ確信がないのか」
原作:「福音の手紙」(社団法人 世界福音化伝道協会)
※「福音の手紙」は私がキリストを信じた後、最初に分かち合ってもらったメッセージです。信仰の足あととして書くことにしました。バックナンバーはこちらです↓
"そのあかしとは、神が私たちに永遠のいのちを与えられたということ、そしてこのいのちが御子のうちにあるということです。御子を持つ者はいのちを持っており、神の御子を持たない者はいのちを持っていません。"
ヨハネの手紙 第一 5章11~12節
いまどれくらいの確信がありますか?
私が救われてまだ日が浅かったある日、リストを渡されました。
・救いの確信
・罪のゆるしの確信
・勝利の確信
・祈りの答えの確信
・導きの確信
確信以前に、意味がよくわからない項目がありました笑
また意味はわかるけど、確信は正直ないな・・・というものもありました。
振り返ると、これらすべての確信へと、確実に導かれていました。
確信とは何でしょうか。またなぜ確信がないところからの、スタートなのでしょうか。
1.救われたもののうちにあるいのちを知らないからです。
"あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。"
コリント人への手紙 第一 3章16節
【救いの確信】
イエス=キリストを信じた私たちは救われています。救われた私たちには、神である聖霊が宿っています。
しかし信じた瞬間に、そのことが実感できるか?というと、そうとは限らないようです。
牧師の経験を尋ねても、何かジーンとしたとか、涙が出てきたとか、感動的・神秘的な体験はあまり起きないようです。
救いは体感や感情ではないようです。大事なことは「みことば」(聖書のことば)に基づいて信じられるかどうか。
それこそが、はじめはできないかもしれません。礼拝と祈りを通して、じょじょに確信へと変えられていきます。
2.救われた者の祝福を知らないからです。
"あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、
そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。"
エペソ人への手紙 2章1~2節
【罪のゆるしの確信】
救われた私は、神様を離れる事である[罪]の問題から解放されています。
罪の結果、人には災いとのろいが来るようになります。魂・心・身体・生活・環境・死後そして次世代にまで、影響があります。
最初はそもそも、罪の状態の自覚がありません。当然、災いとのろいが罪によって来ていることがわかりません。
以前の自分にとっては日常、当然であり「人生とはこういうもの」だったからです。しかし救われた私たちはそこから解放された存在です。
聖書には、生まれた時から影響する[原罪]、私たちが自ずとする[自犯罪]、さらに私たちに影響する[先祖の罪]について書かれています。
だんだんと以前自分がいた状態、そして何から自由にされ、どこから解放されたのか、わかるようになってきます。
3.救われた者の特権を知らないからです。
"ではわたしもあなたに言います。あなたはペテロです。わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。"
マタイの福音書 16章18節
【勝利の確信】
悪魔は目に見えない存在です。しかし以前の私たちを、誰にもわからないように、しかし本質的な部分で支配していました。
救われた後は、私たちを惑わし騙してきます。しかしはじめは悪魔の働きが何なのかもわかりません。
神様の子どもとしての身分と権威を味わう中で、その存在と働きにも気づきます。だんだんと騙されなくなっていきます。
"わたしは、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」"
マタイの福音書 16章19節
【祈りの答えの確信】
私たちは祈りを通して、神様との交わりが与えられます。
祈るとき、神様が答えられる場合と答えられない場合があります。
答えられる場合は、祈り通りにしてくださる場合、それから別の形で答えられる場合があります。
答えられない場合も、神様の時刻表にそって後に答えをくださる場合があります。一方で本当に答えがない、無応答の答えもあります。
様々な場合がありますが、すべての祈りは神様に聞かれています。
最初は祈りとや何なのかがわからなかったりします。礼拝を通して、また実際に祈ってみる事を通して導かれていきます。
4.救われた者の生き方を知らないからです。
"しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。
わたしは、あなたがたに平安を残します。"
ヨハネの福音書 14章26~27節
【導きの確信】
救われた私たちを、聖霊が導かれます。聖霊は、私たちの心と思いにまで働かれます。
また父なる神様は、私たちの出会い・・つまり運命をも主権されています。
そして天の御座にいるキリストに御使いが仕え、他者や環境にも働かれます。
救いは、過去と未来(死後)だけの事ではありません。今日からその祝福を味わうものです。
最初はこれまでの導きも、これからの導きもわからなかったります。
しかしこの導きがわかるように、聖霊が導いてくださいます。
次回へつづきます
すでに確信があること、またすぐに神様の恵みを実感した事があれば、本当に感謝なことです。
しかし、徐々にわからせてくださることもあります。信仰生活が大事な理由がここにあります。
クリスチャンは神様を礼拝し、みことばに触れ、祈ります。神様中心の生活を[回復]する中で、神様がわからせてくださいます。
「回復」と書きました。本来人間が持っていたものだったからです。
次回以降、本来のものを回復する生活、信仰生活について分かち合っていけたらと思います。次回「救われた私はどう変わったのか」
原作:「福音の手紙」(社団法人 世界福音化伝道協会)
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