見出し画像

神様が呼ばれていた日(宗教と福音)

はじめに

私が良くメッセージを聞いている牧師さんが、初めて福音を聞く方はもちろん、幅広い背景の方に向けて発信を始めています。

私自身も気づきが多いコンテンツのため、ただ拡散、ではなく記事という形で共に味わえたらなと思います✨

こちらのメッセージ動画(YouTube)は60分、記事は5-10分ほどです。気になる方から見ていただけたらと思います🔔

メッセージ「宗教と福音」

"この方以外には、だれによっても救いはありません。天の下でこの御名のほかに、私たちが救われるべき名は人に与えられていないからです。」"
使徒の働き 4章12節

まず語られたのは、宗教には次のこと[苦しみの原因][絶対者の存在][儀礼(人の行い)]これらがあるということです。

その上で語られたのは「聖書は宗教なのか」「聖書は宗教でなく福音である」ということ。

宗教は人の努力ですが、福音は神様の努力です。神様の側から一方的に用意されたので、恵みともいいます。

そして聖書の福音が伝えている「救い」について、唯一の救いの道であるキリストを信じることについて、語られました。

福音を知らなかった時

"神である主は、人に呼びかけ、彼に仰せられた。「あなたは、どこにいるのか。」"
創世記 3章9節

ここから私の話です。私自身は22歳の時に「キリスト教会」に行きはじめました。

しかし[苦しみの原因]が何かについては、わかりませんでした。ただ、あるものといった理解でした。

[絶対者]は一応、聖書の神様のつもりでした。そして[儀礼、行い]として毎週教会に通っていました。

何が問題だったかというと、福音を知らなかったということです。

福音を知らないとどうなるのか

"すると、その人は、「導く人がなければ、どうしてわかりましょう」と言った。そして、馬車に乗っていっしょにすわるように、ピリポに頼んだ。"
使徒の働き 8章31節

私は福音を知らなかったので、どんな信仰も最終的には同じものに繋がっていると思っていました。

「神様」を信じたのはキリスト教会ですが、それをキッカケとして、あらゆる霊的な事を大事にし始めたのです。

次第に色んな宗教の要素を取り入れるようになりました。聖書の神様との関係だけでは足らないと考えていたからです。

ついに教会からも遠のき、世の中の成功者の道を志すようになりました。信仰だけでは不充分だと思っていたのです。

本当の問題は、福音がない宗教をしていたという事でした。

福音を知ってどうなったのか

"わたしは、おまえと女との間に、また、おまえの子孫と女の子孫との間に、敵意を置く。彼は、おまえの頭を踏み砕き、おまえは、彼のかかとにかみつく。」"
創世記 3章15節

私が福音を知ったのは「キリスト教会」に入って10年後のことでした。

苦しみの原因は色々あるかもしれませんが、その根本にあるものを知りました。(創世記3:1-19)

また神様が始めから、根本解決を約束されていたことを知りました。キリストを送るということです。(創世記3:15)

10年目に初めて福音を知り、キリストを私の救い主、私の主人として信じました。救われたのです。

そして信仰生活を通して、キリストだけで充分で完全であることを日々味わっています。

神様には何かが欠けていて、人が考えた行いや、別の何かで補う・・そんな必要はありませんでした。

神様は本当に、神様だったのです。

神様が呼んでいた

"見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。"
ヨハネの黙示録 3章20節

福音を知れた事は感謝です。しかし自分の努力によってキリストを知って信じ、神様に出会う事はできなかったと思います。

神は唯一であり、キリストは神様に会う唯一の道。イエスこそがキリストであり、私の救い主となる方です。(ヨハネ14:6)

これを信じられるでしょうか。聖書は、聖霊の働きでのみ信じられると言います。神様の働きかけが必要ということです。

その日その時、神様が呼んでいる事は正確にはわかりませんでした。しかし、それ以外の道は閉ざされていました。

そんな中、福音のメッセージだけは、理解は不十分でも感じるものがありました。

振り返るとそのときが神様の時でした。唯一の方、唯一の道である方が呼んでいたのです。

おわりに

"神は言われます。「わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。」確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。"
コリント人への手紙 第二 6章2節

記事を書きながらですが、ただの良い文章や動画でキリストを信じる事はできないな、と改めて感じました。

必要性を感じることも、関心を持つことも難しいです。それでも、神様の時が来ている時は違います。

今がそうかもしれないと思った時に、神様の事を求めてよかったと思いました。

ここまで読んでくれた方がいたら感謝です。これからもともに味わって行けること、お祈りしています✨











この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?