見出し画像

福音の手紙③「どうすれば神様に会えるのか」

※「福音の手紙」は私がキリストを信じた後、最初にわかちあってもらったメッセージです。信仰の足あととして書くことにしました。バックナンバーはこちらです↓

"イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。"
ヨハネの福音書 14章6節

前々回の「福音の手紙①」では、人に本来の幸せがないのは、創造主である神様を離れているためであると書きました。

親と離れた幼子が何をしても安心できないように、神様と共にいるために作られた人が何をしても、本当の平安を味わうことはできません。

また前回の「福音の手紙②」では人は霊的な存在であること、神様と会うためには「救い」が必要であること、そして人間の努力で救われることはできない事を書きました。

このために神様が遣わしてくださったのが「イエス・キリスト」です。

イエス様は、わたしが唯一の道である、と言われました。全ての問題の解決であるキリストを、ともに味わっていければと思います✨

1.神様は霊です。

"「それなのに、わたしを、だれになぞらえ、だれと比べようとするのか」と聖なる方は仰せられる。"
イザヤ書 40章25節

まず、神様は霊的な存在であり、また全知全能である方です。霊であるので肉眼では見えません。また全知全能というのは、何の制限も受けないという意味です。

つまり像や何らかの形、絵に描かれるような何かの姿で存在してはいないということです。

場所の制約も受けないので、何かの神殿や社に宿ったり、山とか岩とか、何かのお守りに宿ったりもしないのです。

したがって神様と会うためには、何かを所有したり、またどこか具体的な場所に行く必要はありません。

(十字架や、建物であるキリスト教会に、神様がいるというわけではないのです)

2.しかし、人間は肉であるゆえに

"そればかりでなく、私たちとおまえたちの間には、大きな淵があります。ここからそちらへ渡ろうとしても、渡れないし、そこからこちらへ越えて来ることもできないのです。』"
ルカの福音書 16章26節

唯一制限があるとすれば、人間が地上に生きている間に救われる必要があるということです。

イエス様は例え話「ラザロと金持ち」の中でこの事を説明されています。

聖書には神様が土をこねて肉体をつくり、息を吹き入れて人は生きるものとなった、とあります(創世記2:7)。

人は肉体と、霊を持つものとなりました。そして死とは、肉体から霊がはなれることです。

肉体から離れた霊は新たに救いの状態になることができません。クリスチャンが死者の供養ではなく、地上で生きる人に神様の事を伝える理由がここにあります。

3.救われなければ神様に会うことはできません。

"しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。"
ヨハネの福音書 1章12節

私たちからの行いでは救われて、神様に会う事ができません。そのために霊である神様ご自身が人となられ、この世にこられました(ヨハネ1:14)。

この方がイエス・キリストです。人間の罪の問題を持たず、また神様の霊そのものを持って来られました。

聖書の預言通り来られ、預言通り十字架刑にかけられ、預言通り復活し、今は天に上り、また私たちの心の扉の前に立たれています(黙示録3:20)。

このキリストを信じて祈りを通し受け入れることで、神様の霊である聖霊が私たちの内に宿られます。こうして神様と再び会うことができるのです。

私たちが神様を離れている問題、霊が悪魔に支配されている問題、地獄の運命の中にいる問題は、終わります。

イエス様は十字架の上で「完了した」(ヨハネ19:30)と言われました。

まだイエス様を受け入れた事のない方で、信じたい想いのある方は、ともにイエス様を受け入れる祈りをささげましょう。

『神様、私は罪びとです。私のために十字架で死んでよみがえり、罪と悪魔の権威を打ちくだいて、人生のすべての問題を完全に解決されたイエス様を、いま救い主として、私の主人として、心の中に受け入れます。

私の中に入ってくださり、これからの人生を導いてください。そして神様の子どもになった祝福を、毎日味わいながら生きるようにさせてください。

私を救ってくださったことに感謝して、イエス・キリストの御名(みな)によってお祈りします。アーメン。』

4.神様がわたしと共におられるしるし

"しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。"
ヨハネの福音書 14章26節

イエス様を信じ、祈りをささげた後も、正直すぐには実感がわかないかもしれません。

感動したとか身体が熱くなったとか、そういった事は何も感じないのがほとんど、だそうです(私もそうでした)。

でも、私たちの根本(霊の状態)が変わりました。神の霊である聖霊が宿っているのです。なので心、肉体、生活にその証拠が現れるようになります。

このことを味わうことが重要です。悪魔は、私たちを支配下から逃したので働きかけてくるからです(Iペテロ5:8)。

救われた状態は決して変わりません。しかし悪魔は、私たちが神様の恵みを味わえないようにしてきます。

救われた私たちは、霊的に身分が変わり神様の子どもになりました。ですので神様そのものである聖霊が導いてくださいます。

また聖書のみことばを通して、私たちは心と考えで神様の御旨(みむね)を知るようになります。

次に、私たちから神様への祈りが聞かれるようになります。神様の計画のなかで、私たちに必要な力も与えられます。(ヨハネ16:24)

また祈りを通し闇が退けられ、悪魔の働きが縛られます。そして御使い(天使)が遣わされ、神様のみことばが成し遂げられていきます。

この結果、神様のご計画、キリストの救いの働きは広がっていきます。その中に用いられる幸せを、聖霊が教えてくださるのです。

次回へつづきます

読んだだけでは、神様が与えてくださったこと(祝福)の価値はピンとこないかもしれません。

これから、ともに確認していければと思います。

次回「なぜイエスのみが道なのか」ともに味わっていけることをお祈りしています✨
※原作:「福音の手紙」(社団法人 世界福音化伝道協会)


いいなと思ったら応援しよう!