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ぶどうの木のはずなのに、困ったときの・・・になっていた話

"イエスは彼らに言われた。「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」"
マタイの福音書 16章15節

ものごとがうまく進んでいる時、もしくは緊急な時、神様の事を考えるよりも先に自分の手が動いてしまいます。

もっとできる、やりたい・・・!もしくは、何とかしなければ・・・!という気持ちです。

一方で神様は、自分が手を尽くした後の控えポジション、いわゆる「困った時の神頼み」になっていました。

イエス=キリストは私たちの問題の根本を解決されました。信じて受け入れた私たちにそれが適用されます。

そしてイエス様は、木と枝のように、いつも私につながっていなさいと言われました。

"わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。"
ヨハネの福音書 15章5節

僕が福音を正確に知る前、理想と目標がありました。でも人生の根っこにあった根本問題は知らず、無視してきました。

おそらくキリストが入っていなければならない部分。別のものを詰め込んでいました。やりがいも充実感もあったのに、どこか心に不安と恐れがありました。

当時は人生って、現実ってそういうものだと思っていました。でも2年前に問題は表面化、生活が続行不能になりました。

感謝だったのが、そこでほかの対処療法ではなくキリストの福音に出会ったこと。。マイナスはゼロになり、プラスが本当のプラスへと変わりました。

"シモン・ペテロが答えて言った。「あなたは、生ける神の御子キリストです。」"
マタイの福音書 16章16節

いまの希望と喜び・・焦らず恐れず、信じてゆだねたとき、神様の最善にしてくださいます。少しですが今実感もしています。

私はぶどうの木の枝。ぶどうの木である方を信じ、つながり続けたいと思います。


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