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リバネスでの「源流」をたどってたどり着いた初めての実験教室

「源流」という言葉が、リバネスのキーワードになっています。

理工系の大学院生が立ち上げた学生ベンチャーから始まり、2021年5月から20期に突入。昨年末にリバネス設立からの12年間について記された書籍「144年続くベンチャーをつくる。」が出されたこともあり、個人で、事業部で、会社で「そもそも何がしたかったんだっけ?」と、今につながる源流を振り返っています。

昨年10月から人材開発事業部に移った際に、「なんで人材開発?」を自問自答してたどり着いた自分のテーマが「共育」。一方的に学びを与えるのではなく、共に育つ場をどう作っていくか。その源流は初めて参加した実験教室にある気がしたので自分の源流をたどってみることに。

リバネスと初遭遇し、人生で初めてTAとして参加した実験教室。本当にもう全てはここから始まっています。

見聞きする全てが新しくて楽しい大学生時代

ということで話は大学1年の頃まで遡ります。九大生になったばかりの当時の僕は、沖縄から出てきて内地での初めての一人暮らしも含めて、とにかく大学生として体験する全てを楽しく感じていました。

高校のときは生物の科目が得意で大好き。ところが大学の講義を受けて、高校で習った範囲がいかに表面の僅かな触りの部分であったのかを思い知るのです。講義を受けるにあたって購入した分厚いEssential 細胞生物学を興奮しながら読み進めていたのを覚えています。生物学を中心に、新しく知識を得ることがとにかく楽しくて、とにかくワクワクしていた時期です。

一方で、この頃から「教育」の分野にも興味をもちはじめます。

頑張って予備校まで通ってぎりぎりで大学に合格したのに、同じクラスの友人たちは高校の授業だけで合格。教育環境というのも様々なんだなと、自分がこれまで受けてきた「教育」というものに興味が湧いたのです。

そこで、いくつか教育をテーマにした学生団体に顔を出してみたものの、なんかピンとこない・・・。そんなときに、ついにリバネスとの接点がうまれます。

いざ、大分の実験教室へ!

2006年12月、今はなき九大六本松キャンパス近くのめんちゃんこ亭にて開かれた学生団体合同イベントの打ち上げにて、初めて「リバネス」の名前を耳にします。

リバネスのファウンダーであり、グループCEOでもある丸さんが学生時代に設立に関わった団体 Business Laboratory for Students(BLS)の九州支部の代表だった先輩に、大分大学医学部で開かれるリバネスの実験教室に参加しないかと誘われたのです。

もちろん即答で参加決定。このときはまだ漠然と「おもしろそう!」くらいの印象でした。そしてその翌週だったでしょうか、BLSの他の先輩方といっしょに大分へ。到着した日に食べただんご汁がおいしかったです。

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リバネスに初接触@大分

大分大学医学部での実験教室は、リバネス設立メンバーでもあるリバネスOGの企画でした。とてもパワフルな方で、その後も超絶大変お世話になりました。

このときの実験教室のテーマは「DNA抽出」。本番ではTAとして1グループを担当するということで、ドキドキ。初の実験教室ということで前日はリバネスによる事前研修を受けました。

事前研修は、当時博士号を取得したばかりの丸さんによる講演と、東京でインターンシップに参加している大学院生の先輩方によるレクチャー。リバネスの人に初接触である(ちなみにこの研修を担当してくれた大学院生のひとりは、現在は地域開発事業部の部長!)。

この事前研修でリバネスへのワクワク感と、翌日の実験教室への期待が高まります。そして、高校生にDNAをどう説明するか、考えを巡らせていました。

初接触したリバネスの先輩方は、とにかくフードバトルをしかける先輩たち(笑)「もうごちそうさま?」とお互いに煽りあってたくさんご飯を食べた思い出。写真はその時のカレー。

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初実験教室!自分にとっての「共育」の源流がここにある

そして迎えた本番。楽しいは大前提で、講義も、ワークも、DNA劇場も?全部あわせて伝えたいサイエンスと講師のメッセージを伝えていきます。

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スタッフの配置図も記録が残っていた!初心者TAもいるので、丸さん含むリバネスのスタッフが誰をサポートするかまで設計して配置している。そのへんの設計は今と変わらない。

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大学1年生ということで、そのときはまだ研究経験はありません。生物の設計図といえるDNAからどのようにタンパク質が合成されるのか、大学に入ってその巧妙で精密なしくみに感動したばかりだったので、そのワクワクを伝えようと頑張った記憶。そしてDNAも無事に抽出成功。

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実験教室を終えて福岡へ帰る高速バスの中、いっしょに参加した九大の先輩方と感想を語りあい、とにかく気持ちが高まっていたのを覚えています。初実験教室ということもあり、「わかりやすく伝える」ことの難しさを実感しつつ、生徒のリアクションから達成感も感じていました。

先にも述べたように当時は新しい知識や経験を得ることがとにかく楽しい時期でした。おそらく、自分が感じているワクワクを共有して仲間をつくるだけでなく、頑張って伝えた結果、自分を成長させる経験を得られたことが単純に楽しかったのかもしれません。

リバネスの実験教室なら、これから見つける専門性を活かして教育活動ができ、自分自身も鍛えられる。「共育」の場を実際に体験し、この実験教室を周囲の友人たちといっしょにやりたい!というのが当時の素直な想いでした。確実にこの想いがスタートになっていて今の自分につながっているなと感じています。

そしてここからリバネス人生がスタートする

そして初めての実験教室から約5ヶ月後、再び福岡で丸さんに会う機会を得た僕の口から出たのは「福岡でもまたリバネスの実験教室をやってくれませんか?」という直談判でした。

これに対して丸さんは「自分でやったら?」と答えます。

「ああ、そうか、自分でやればいいのか」と、妙な納得感と、いっしょにやろうと声をかけくれた先輩の助けもあり、その後のリバネスの九州インターンシップ立ち上げにつながっていきます。これもまたいずれ書く。

今につながる「源流」をたどる

課題感をもってスタートさせたことも、世の中が変化し、自分も変化し、現在では捉え方が変わっていたりします。今につながる源流を振り返ることで、それを踏まえた「じゃあこれからどうする?」を考える。個人的には、共育の場を研究人材のキャリアをひらく機会に活かしたり、個人の成長だけでなく、次世代と向き合うことで組織の発展にもつなげたりできないかともやもや考えているところです。またいつか過去を振り返ったときに、新たな源流として語れる瞬間を創っていく一年にしよう。


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