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空き巣と強盗  その6

 夕方から雨になるという予報だった。
 JR程川駅西口のバスロータリーは、明け方、靄でけぶっていた。
「遅いな」
バス停の手前に停めた軽自動車の、助手席の男、神山太一は、苛立ちを隠さなかった。
「やっちゃいましょうよ」
運転席の男が、口早に言った。
ロータリーの端に古い雑居ビルがあり、一階のファミレスに、高齢の夫婦が入って行った。ビルの最上階に暮らすオーナーだ。彼らは、ファミレスの優待券を利用して朝食を摂る習慣だった。ほぼ開店と同時に入店して、ランチの始まる一一時頃まで粘る。
遅かった。神山は舌打ちした。
 彼らはアポ電強盗団。夫妻の貯金を奪う目的で、早朝から駅前ロータリーで張り込んでいたのだが、見張りの男が遅れ、襲撃の機会を逃した。留守宅には入れない。在宅時にドアを開けさせ、押し入る予定だった。
 神山は、苦心して名簿を入手し、この一両日、襲撃団を組織して仕事を繰り返した。
 思うように稼げない。名簿は外れなしの上物だ。それなのに、襲撃のつど邪魔が入り、襲撃団のメンバーが、そのつど解体された。
 日雇いバイトで、互いに名前も知らない連中だから、逃げても捕まっても何ら問題はないのだが、計画通りの結果に至らないという事実が、彼の苛立ちを募らせていた。
 ここで引き上げるのがセオリー。それは分かっていた。警察は警戒しているし、地場のヤクザも、そろそろ黙っていない。何より、邪魔立てする連中の正体が不明だ。だが、諦めるには惜しいほど精度の高い名簿だった。億越えの資産家の家がごろごろしているし、その家庭の日常の行動が、詳細に記載されていた。名簿を見るだけで、襲撃時間や侵入経路、逃走経路まで容易に編み出せた。四、五人のチームを編成すれば、一度で数千万の凌ぎになる優良案件が満載だ。振り込め詐欺の下働き時代、名簿の精度にさんざん悩まされた彼は、これが金鉱だということに気づいた。
 この街を去るのは惜しい。
せめて、ノルマを達成したい。
 神山は、紙巻きタバコに火を点けて、青白い煙を吐いた。ドライバーの男は、車の窓を下げた。煙を抜くのだ。
「すみません。ちょっと、すみません」
緑の帽子を被った男が、助手席のドアをノックした。神山は、ガラスの縁から顔を出した。
「ここいら、禁煙区域なんすよ。すみません」
「中で吸ってるだけジャン。別にいいジャン」
「煙が、外に出ているんですよね。副流煙。危険なんすよ。知ってますでしょ?」
神山は、眉を寄せて険悪な顔つきになった。
 この男は、市に委託された路上喫煙監視員だ。市内の主だった駅をパトロールして、喫煙者を取り締まっていた。神山は、路上で吹かすほど間抜けではなかった。早朝で人通りがなく、車内だったので堂々と吸ったのだ。
「反則金二千円。お願いします」
「マジか!」
「あり得ねー!」
車内の全員がいきり立った。
「誰も煙を吸ってねージャンよ。どこが反則なんだよ!」
神山は、牙を剥いて食って掛かった。
 監視員は、背の高い若者だった。「決まりなんすよ」と言いながら、黒い瞳で彼を見下ろし、薄い唇に笑みを浮かべた。神山は、ジーンズの前ポケットの中の銃を握った。撃つわけではない。脅すだけだ。だが、監視員の額が、彼の額にグッと寄せられた。
 この間合い。絶妙な間合い。
 銃を抜いても間に合わない。拳を突き合わすには近過ぎる。格闘家の間合いだ。
「出せ!」
神山は叫ぶと、吸いかけのタバコを監視員の胸に投げつけた。軽自動車は走り去った。
 制服の焦げを気にして胸をはたいていた男は、雑居ビルから出て来たランニングウェアの男に気づき、笑みを浮かべて手を振った。
「センパイ」
男は山口明孝に駆け寄り、彼の手を取った。
「怖かった」
「そうでもないだろ?」
制服の男は、明孝の肩に額を押し付け、「怖かったの」とダダをこねた。
 明孝は、雑居ビルの最上階で、『仕事』を終えて出て来た。制服の男、男が見ても息がつまりそうな美形の男は、かつて明孝も属した、国立Y大キックボクシング部の現役部長、結城七生。彼の小指は、正確に明孝の乳首を押さえていた。
二人は、手を繋いで牛王町方面へ歩いた。
 人けのない駅ビルの一階のコンビニから、唐揚げを齧りながら、山口明信が出て来た。
「やめないのか、タカ」
(つづく)

※その7へはこちらから。
空き巣と強盗  その7|nkd34|note

※その5を見逃した方はこちらから。

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