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三回目のお見合い 2/3

※三回連載の二回目です。

ーーー以下、本文ーーー

 風呂敷の中から、ビロード張りの、鍵付きの小箱が二つ現れた。陽子は、それを一つずつ目の高さに掲げ、軽く頭を垂れて敬礼した。そして、再びそれらを座卓の上に置くと、スッと手を交差させて、音もなく互いの位置を入れ替えた。
 両家の面々は、固唾を呑んで陽子の手つきを見守っていた。
「こちらが、K男様の、おカードでございます」
陽子はそう云って、一つの箱と、それを開ける小さな鍵を、晴れ着の娘の前に置いた。
「そしてこちらが、S美お嬢様の、おカードでございます」
同様に、花婿候補の男の前にも箱と鍵を置いた。
 両家の面々は、それぞれに額を寄せ合った。当の二人が、小さな鍵を箱の鍵穴に差し込んで、ほぼ同時に蓋を開いた。
 中から出てきたのは、何の変哲もないICカードだ。
「こちらのリーダーで、お読み取り下さいませ」
陽子は、座卓のまん中に、アンテナの付いた、筆箱大のプラスチックケースを置いた。K男とS美は、同時に身を乗り出してそれを使おうとし、額をぶつけそうになった。
「おっほほ。読み取りはすぐにできますから、慌てなくてもようございますよ。なんなら、お二人とも、わたくしがやって差し上げましょう」
陽子は袖をまくって白い手を伸ばすと、二人からICカードを受け取った。
 ピロリン。ピロリン。軽快な電子音が鳴り響いた。
 スワッ、とばかりに両家の面々は再び額を寄せ合い、K男の方はノートパソコンを、S美の方はタブレット端末を開いて、ICカードの情報を読み取りはじめた。
 『おカード交換の儀』の始まりだ。平成二八年、日本国の国民はみな、政府から個々人の登録番号を割り当てられた。いわゆるマイナンバー制度だ。その番号は、納税者としての義務の遂行状況を管理するばかりでなく、年金の納入状況や受給の見込み、健康保険への加入の有無、或いは犯罪前科など、様々な個人情報の管理に活用された。言うまでもないことだが、若い男女にとって、結婚は、その一生を左右する重大事だ。自分の生涯のパートナーとなる人が、この先、どんな収入を得、どんな社会保障を受けられるのか。従来の見合いや、若者同士の気軽なデートでは窺い知ることのできなかった、個人情報の中でももっともベールに包まれていた最高機密。それを、結婚に踏み切る前に、包み隠さずさらけ出しあい、互いに行き違いのないよう取り計らうこと。それがこの、マイナンバー制度施行後に流行し始めた『おカード交換の儀』だ。マイナンバーとともに国民に普及したICカード、いわゆるマイナンバーカードに入力された番号と氏名、性別、生年月日などの個々の基本情報から、個人情報を検索し合うことで、結婚当事者の二人のプライバシーは、両家の親族の間で過不足なく共有されることになる。隠し事をなくし、互いに表裏ない、分け隔てのない交際を誓い合うこと。それが、この新しい儀式の眼目なのだった。
 陽子は、事前に二人からカードを借り出し、今日の儀式のために厳重なラッピングを施していたのだった。
「あら、S美さん」
K男の母親が訝しげな声を出した。
「あなた、二〇歳から一年間、国民年金の未納期間がありますのね」
S美は慌てて自分の母親の方を振り返った。母親は例のニッコリ笑顔で、
「まだ、後納期限は過ぎておりませんから。次の賞与が出たら、当人に払わせるつもりなんです。私が払ってあげても良かったんですけど、こういうことは、なるべく自己責任で、と思っておりますもので」
「まあ。それはご立派ですねえ」
笑みを含んだ声で陽子がかぶせた。娘は眉に険を籠めて母親を睨んでいた。
「今はなんですか、多少お支払いが遅れても、支給額に変わりはないとか。お若い方にも自覚を持っていただくために、出世払いにするというのは、なかなか、ご立派なご方針ではないですか」
K男の姉が、母親の耳元に何か囁いた。彼らの側では、専ら姉の夫がノートパソコンを弄くっていた。
「今は、東証一部上場の、M商事にお勤めということでしたけど、昨年は、ええと、L不動産? その前が、なにこれ。D運送? 随分、いろいろな会社を渡り歩いていらっしゃるのねえ。まだお若いのに」
K男の母親は、パソコン画面をチラチラ覗きながら、皺の寄った唇を尖らせてS美に詰め寄った。事前にかわした釣り書きには、現在の職場しか記入されていなかったのだ。
 マイナンバーカードから読み取った情報とパスワードを、政府の運営する国民情報管理サイトに入力することで、その番号を持つ人物の個人情報を閲覧することができた。年金情報を知る際には、当然、勤務先の情報も見ることになる。
「お派遣の、契約社員様なんでございますね」
陽子は云った。
「それだけ業種の違う職場に、間断なく派遣されるというのは、よほど有能な方でなければ適いませんよ」
「もしくは、よっぽど無能で、長続きしないかね。どっちかですよ。ウヒヒ」
K男の姉の夫が、嫌味な笑い方をした。S美はすっかり萎縮して、首を竦めてしまった。
(つづく)

※次回はいよいよ最終回。驚愕のラストはこちらから。



※第一回目はこちらからどうぞ。

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