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杉村喜光氏の著書にあるフェイク字源(ガセ雑学、疑似科学)の例

科学者が世の謎を解き明かすために奮闘している傍らで、雑学屋が非科学的言説をさかんに拡散しているということは珍しくない。これはその一例を示したものである。

原則一つの著書から一つだけを紹介するが、氏の雑学本の最新作である『そんな理由!! アレにもコレにも! モノのなまえ事典』(2023)には多数のフェイク字源が含まれているため複数(全てではない)を引用した。

【いちご:苺】
漢字では「母の上に草冠」。これには諸説あり、古来イチゴは日本では野イチゴのことでこれが乳首に似ているからという説、野イチゴは小さな実が寄せ集まっている事から沢山のコドモを生み出す母であるという意味からという説がある。

雑学庫 知泉蔵(1)

「諸説」挙げられているが、どちらもフェイクである。多くの漢字は中国で生まれたものであるため、それが日本特有の文化に由来することはほとんどない。漢字は漢語話者によって漢語を表記するために作られたのである。「苺」字は、上古漢語の $${{\text{*mˤə}}}$$ を表すために、/Mə/ の音価を持つ表音文字「母」に意味分類符「艸」を付加することで生まれた。その後この文字が日本語圏に輸入され、「イチゴ」という訓読みを与えられた。

【カラス】
☆漢字で書くと、鳥(トリ)という字の白という部分の横棒が1本足りない物が鳥(カラス)だが、これは真っ黒なので眼のある場所が解らないという意味だと言われている。

雑学庫 知泉蔵(2)

このフェイクは有名なので、著者がまともな漢字の知識を持ち合わせているか、それとも聞きかじったフェイクを検証せずに拡散しているだけの者なのかがわかる(そして杉村喜光氏は後者に属するとわかった)。甲骨文・金文の「烏」字と「鳥」字は横棒一本の差ではない。この2つの文字の形が似ているのは単に後世の訛変によるものである。「大」字が「犬」字の右上の点を取り除いてできた文字では無いのと同じように、「烏」字は「鳥」字の横棒を取り除いてできた文字では無い。

【金色】
☆尾崎紅葉は明治期に様々な漢字を考案して小説の中で使っている。写植製版をやっていた印刷所はそのたびに新しい文字型を作らなければいけなかったので大変だったと思うが、その中で現在でも使われている定着した文字は「にんべんに夢」で「儚い」という文字。

雑学庫 知泉蔵(3)

文字の創作者にまつわるフェイク。「儚」字は尾崎紅葉が考案した文字ではなく、それ以前から存在する。

【猫】
☆中国でも稲の間を走る動物として「けものへん+苗」で猫という漢字が作られている。同時に猫の鳴き声ミューと苗の発音が同じという意味もある。

雑学庫 知泉蔵(4)

「猫」字の起源に関する2つのフェイクが挙げられている。実際には、「猫」字(または「貓」字)は、上古漢語の $${{\text{*mˤraw}}}$$ を表すために、/Maw/ の音価を持つ表音文字「苗」に意味分類符「犬」(または「豸」)を付加することで生まれた。稲の間を走る動物という意味はないし、鳴き声と「苗」の発音は同じではない。このようなフェイクは、「苺」のケースと同様、ほとんどの漢字が日本人ではなく漢語話者によって漢語を表記するために作られたということを知っていれば疑うことができる。(もちろん日本語ではなく漢語において)同音異義語である「描」にも「苗」が含まれていることも考えるべきである。

【クジラ】
☆「鯨」と言う字はもともと、オスのクジラを意味する字で、メスのクジラの場合は『鯢』と言う字を書いていた。鯨という字の「京」という字には大きいと言う意味があるので、大きな魚の意味。

雑学庫 知泉蔵(5)/雑学庫 知泉蔵(8)

【クジラ】
今はクジラは漢字で「鯨」と書く。哺乳類なのに魚編を使うのは、昔の人は巨大な魚だと考えていたから。また、「京」は「兆の1万倍の単位」を表す大きい数字ということで、とほうもない大きな魚を意味するよ。

そんな理由!! アレにもコレにも! モノのなまえ事典

実際には、「鯨」字は、上古漢語の $${{\text{*graŋ}}}$$ を表すために、/(K)raŋ/ の音価を持つ表音文字「京」に意味分類符「魚」を付加することで生まれた。この「「京」という字には大きいと言う意味があるので、大きな魚の意味」という記述は、まるで「鯨」という文字が意味を持たずに存在していたところに、見た目が「京」を含むことから二次的に「大きな魚」を意味するように変化したかのようである。上古漢語の $${{\text{*graŋ}}}$$ という単語を表すために「鯨」という文字が作られたというのが真相である。

禿、秀

【髪の毛】
☆ハゲは漢字では「禿」。似ている「秀」は「禾」は稲を表し「乃」は垂れ下がった稲穂を意味する。その稲穂が落ちてしまった状態を表したのがカタカナの「ル」みたいな物をつけた「禿」という漢字なのです。
☆つまり、この漢字は最初は「大切な物がなくなってしまった・終わった状態」を意味していたのですが、それがいつの間にか頭髪の状態を指す漢字になり「ハゲ」という読みがつけられたのです。

雑学庫 知泉蔵(6)

全てがフェイク。「乃」は「垂れ下がった稲穂」を意味しないし、「禿」には「稲穂が落ちてしまった状態」という意味も「大切な物がなくなってしまった・終わった状態」という意味も存在しない。漢字の意味(実際には単語の意味)は文献を精査することでわかるものである。漢字の見た目から連想したり要素を分解してひねりだして考案した概念は「意味」ではなくただの妄想の産物でしかない。

【秋】
世という漢字は30年を意味しているんだ

漢字で10は十
そして20は廿と書く
この廿は十を2つ並べてくっつけた文字

30には十を3つ横に並べた丗という漢字があって
それが変化してできたのが「世」

やじきた雑学問答

実際には、「世」字は上古漢語の $${{\text{*lap}}}$$ 「葉」を表すために、枝についた葉を象った文字である。「世」字と「丗」字は西周文字では全く形が異なり、一方が変化して他方ができたという関係ではなく、単に無関係である。「世」に「30年」という意味はない。

【蚊】
ちなみに漢字で「蚊」と書くのは、羽音がブーンと聞こえるので虫偏に「文」と書いたんだって。

そんな理由!! アレにもコレにも! モノのなまえ事典

「苺」「猫」「鯨」と同様、漢語を無視した憶説。実際には、「蚊」字は、上古漢語の $${{\text{*mən}}}$$ を表すために、/Mən/ の音価を持つ表音文字「文」に意味分類符「虫」を付加することで生まれた。「蚊」は「文」「彣」「紋」「雯」「馼」「䰚」「鳼」「汶」「鼤」の同音異義語である。要は、/Mən/ の音価を持つ単語は表音文字「文」に意味分類符(=同音異義語を表記上区別するための冗長な符号)を付加することで表記された。

【ふえ】
「笛」という漢字は竹かんむりに「由」と書く。昔のふえは竹で作られたものやビンのようなものに息を吹きかけていた。下に書く「由」は酒つぼを意味しているらしいよ。

そんな理由!! アレにもコレにも! モノのなまえ事典

「苺」「猫」「鯨」「蚊」と同様、漢語を無視した憶説。実際には、「笛」字は、上古漢語の $${{\text{*lˤiwk}}}$$ を表すために、/Liw(k)/ の音価を持つ表音文字「由」に意味分類符「竹」を付加することで生まれた。「笛」は「迪」「笛」「邮」「頔」「䨤」「苖」「㣙」の同音異義語である。最後に、「由」に酒壺という意味はない。

恋(戀)

ちなみに「恋」という漢字は昔、「戀」と書いていた。むずかしい漢字だけど「糸・言・糸・心」という漢字を組みあわせたものと覚えれば、すぐ書けそうだね。上はおたがいに糸を引っぱりあっている様子、それに心が加わり「心をおたがいが引っぱりあう」という意味を表すんだ。

そんな理由!! アレにもコレにも! モノのなまえ事典

「苺」「猫」「鯨」「蚊」「笛」と同様、漢語を無視した憶説。実際には、「戀」字は、上古漢語の $${{\text{*rons}}}$$ を表すために、/Ron/ の音価を持つ表音文字「䜌」に意味分類符「心」を付加することで生まれた。「戀」は「䜌」「灓」「孌」の同音異義語である。「䜌」は「おたがいに糸を引っぱりあっている様子」を表す文字ではないし、「恋」は「心をおたがいが引っぱりあう」を表す文字ではない。この「おたがいに糸を引っぱりあっている様子」「心をおたがいが引っぱりあう」という概念は、漢語を無視した憶説をさも正しいかのように見せるという、ただそれだけの目的のために捏造されたものである。

漢語を無視する限り、漢字のほとんどは同音異義語を表す文字に由来する表音文字に意味分類符を足して作られたという事実には思いもよらない。

おわりに

ここで挙げた例は氏の著書に存在する多数のフェイク字源のほんの一例であることに注意されたい。また、当然のことながら、氏の著書に存在するフェイクは字源に限ったものではない(例えば『そんな理由!! アレにもコレにも! モノのなまえ事典』(2023)では英語umbrellaの語源が「古代エジプト」にあるという記述など)。


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