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ある陸上競技選手の足跡:1992-95:中学生時:飛翔編

前回は地元、加古川を軸に「陸上競技人生」を歩み始めたころの県内沿岸部の競技場のお話をしました。

この2つで陸上競技を始めた頃の神屋少年を思い浮かべてくれたでしょうか?笑

★★

今度は「飛翔編」。段々スケールが大きくなっていきます。自分が、ではなく競技環境が変わっていくんですよね。

先ずは最初市内の大会がスタートでしたが、段々県の多くの場所に競技会、大会を求め移動するようになります。どうしてもいつも同じ相手や競技場だと力を伸ばせないんですよね。

いつもとスケールが違う、異なる場、レベルを上げた場でレース出場することで得るものがある。

そんなこんなで初めて行ったのが「選抜合宿」で。


〇紀三井寺陸上競技場

今は凄く綺麗になっているようですが、当時は歴史を感じさせる凄く重厚な競技場でした。

ここで中学1年生の終わりに近畿全体の「選抜合宿」に参加しました。そもそも当時の力でなぜ参加できたのか解りません(笑)顧問の先生に聞いても忘れているでしょうね。とにかくレベル高い選手が男女とも集まっていてすごく刺激的でした。


〇厚別競技場:北海道札幌市

なんだか一気に飛びましたが、本当に一気だったんですよ。その前に一度近畿中学駅伝に2年時に出場したのですが、それが一歩前でもう次の大きな大会と言えば全国中学校選手権大会(通信陸上)なんですよね。

ここには中学3年時:1500m,3000mで出場しました。


〇国立競技場(霞ヶ丘)

なんか一気に飛んでいますが、本当に一気で。あの「国立」です。今は東京オリンピックに向け新たな建築途中で以前のものは解体されてしまいましたが。

ここでジュニアオリンピックというものが開催され中学3年時に出場しました。当時その大会がどの程度のものだったのかは全然知らなかったんですよね。どうも全国の強豪選手が出るらしいという程度。

実はその2日前に地区駅伝があって全力で5kmを走っていたし、東京まで移動してくるので疲労困憊だったんですよね。今でも思い出せるのは東京はビルがでかい!人が多い!!疲れた!!!という部分が強いです(笑)

レースではなんも考えずに先頭周辺をうろちょろして結局9位でした。

今考えると全国大会クラスで入賞が見える位置で走っていたわけで。もったいないと考えますが、当時はその大会の価値すら解っていなかった(^^;


〇近畿中学駅伝

中学2年の時出場しました。実はちょうど全国中学駅伝が創設された年で、県優勝が代表校になれたんですね。その時あと一歩で逆転負け。県は3位。惜しかったんですよね。

結局、その年県を優勝し、全国も制覇したのは同じ加古川市内の陵南中。翌年も制し、見事二連覇も果たしました。

近畿中学駅伝は確か滋賀県で行われたと思います。走った距離や内容は覚えていても場所が(笑)


★★★

そうして進路決定時期になり、紆余曲折を経て高校に進学します。ただその直前に阪神大震災もあり、大会中止もそうですが、人生観が変わる出来事となりました。

その辺もまた別に機会があれば書きます。

一つ一つを振り返れば思い出は幾らでもあるし、相当多くのnoteが書けそうですね。それだけ陸上競技を通じて得た体験、経験は多かったということで感謝しています。

これが部活であれクラブチームであれ何かに一生懸命取り組むことで得るもの、学ぶもの、そして長い年月まで残る思い出は沢山ありますよね。

自分の場合、最初は加古川から東播周辺、徐々に県レベルで活動し、いつの間にやら近畿、全国へと活動の幅が広がっていました。

こういうのってやはり競技スポーツ特有かもしれません。

そこで知った仲間は今でも陸上競技の指導者としてやっていたり、縁が続いている人も多く居ます。共通の思い出が語り合えるのもすごく魅力なんだと今では思います。

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