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『助けてと言えない』NHKクローズアップ現代取材班:書評と考察

2013年6月に出版された文庫本です。今から5年前なので少しは様相がましになっていれば良いのですが。「孤立する三十代」と銘打った取材記なのですが、ちょうど自分もどんぴしゃの世代なので。知っている限りの同世代を考えると・・・どうなんだろ?

なんとなく競争意識を小さい頃から育まれ、微妙に「自己責任」という言葉で縛られ、就職氷河期や非正規雇用の開始や派遣切りなど世相を反映した状況で厳しかった→今も厳しいと言うのは憚られるような風潮はありますね。

実際、就職し、活躍していたとしても部下が入ってこない、プレマネなどで消耗するなども多く、急激な社会の変化や価値観の変化に右往左往している世代でもあるかな?と思います。

もちろん世代抗争的なことは全く意図していませんが、バブルなんてものもなかったですし、ITバブルで少し華やかな世界を大学生くらいの頃、垣間見たくらいでしょうか。


★上野郁美さん★

こちらの記事を読んでみて下さい。凄く良質なんですが、今ちょうど「help」を出されている真っ最中なんですよね。上野さんは「言えた」人。もしかしたら批判を受けているかもしれない。

だけど「help」を言わなければ現状が解らないし、お節介だと思われるのも嫌だし。自分もそうだけど、中々「依頼お待ちしています!」ってのも言い難かったりするもの。

「言いやすいこと」と「言い難いこと」がある。

足元を見られ買い叩かれたことがあったり、色々嫌な想いをしてきたら何も言えなくなる。興味がなければスルーすれば良いだけで、決してその人の「help」を批判してはならないと思う。絶対勇気要りますよ。いつも簡単に「騙そうとする人」なら信用されない。だから気にしなくて良い。

手を差し伸べられる、差し伸べたいと思うなら差し伸べるべき。

そう思います。そして上野さんが書かれているように、今の人達も、次代の、子供たちにもきちっと「help」が言えて、助け合える社会にしたいところですね。


★本紹介★

p76-77
 「彼らは、本当はギリギリのところまで追い詰められているんだけど、まだ自分で頑張れると思って、自分で頑張っている人たちなんだと思う。(中略)僕は社会がそうさせていると思うんですね。(以下略)」

上にも書いた「自己責任論」がどのように社会やそれぞれの人々に影を落としているかを考える必要はあると思います。


P93
 「二十代のころは、人に助けてもらうこともあったんですね。(中略)その理由はもう三十なのだから、自分のことは自分で解決しないといけないからだと、入江さんは繰り返し、説明してくれた。(以下略)」

親にも友人にも、知人にも助けを求めたり、仕事を紹介・依頼してほしいと言えなくなる。この三十という年齢になにか根拠があるわけでもなく。社会的に植え付けられたものだと考えられます。

本当は何歳になっても頼って良いと思うし、この人困っているだろうなと考えたときには何らかの仕事を依頼しても良いと思います。

本来、社会は一人一人では生きていけないから。鳥獣から身を守るため、生産や収穫を分配してお互いを支え合うために作り上げたのが最初なのだから。


P153
 「彼らが助けてと言わないのではなくて、彼らに助けてと言わせない社会があるんじゃない?そのことを先に認めるべきだし、そして、彼ら自身も社会も言い続けている”自己責任論”についてだけど、社会は彼らを救済した後で”ここから頑張るのはおまえたち自身だ”と突き放せばいい。このままでは、いくら彼らが自己責任を果たそうとしても、果たせるスタートラインにさえも立てないのが、いまの世の中だ」

社会が人を消耗品のようにする。ラインから外れると急に嘲笑の目を向ける。それでは恐ろしくてヘルプも言えない。

それに「我慢して仕事すれば良い」というのは能力やスキルがマッチしていてこそであって、そこも考えておきたいですね。

果たして今、世の中にある仕事にマッチするように能力開発、スキル作りを適切に施してきたのだろうか?それと、逆視点でそういった仕事を開拓し、人々のそういった能力やスキルを活かせる仕事を創出できないだろうか?

教育や仕事の開拓、創出にどれだけの人が自信を持ってやってきたと言えるだろう。そこも「自助努力」と言うのは余りに厳しい。多様性が問われる社会になり、徐々にその点が理解されつつあるけど、やはりまだまだ足りていない。

いずれ生活保護などの支援が必要になるかもしれないなら、自治体が率先して予算獲りをし、フリーの人を支援したり、厳しい生活状態を支える方向を考えたほうが良いと思う。ベーシックインカムの議論もそうだけど、色々難しいのは解る。解るけど何とかする、考え抜かないと・・・


P166
 「(中略)三十代の苦しみのひとつはね、失敗したとき、自分の周りに応援団がいないことなんよ。ひとつダメでつまずいてしまっても、誰かが隣で"次いってみよー"って応援したらええと思うんよ。(中略)」

本当は失敗しても再起できる社会の方が挑戦しやすいし、健全だと思うんですよね。人は誰でも失敗する。失敗した時にどう次へ繋げるかだと思うんですよね。

失敗をせずに「牛耳っている」人が出てくるのはある意味では健全ではないと思います。別にそういう人を無理やり降ろせという話ではなく、失敗しなかった「幸運」を喜びつつ、失敗した人に手を差し伸べられる器量がある人がトップに居れば良いし、社会に多く居れば安心が増えると思うんですよね。


P211
 辛いのは、自分のやりたい仕事をやってきた人たちも、そのことをあまり誇れないと言うか、社会的に評価されないところですね。自分はやりたいことをやってきて、いまこれだけ社会でいいポジションにいるということを高らかに言うと、一方で貧困で苦しんでいる人がこんなにいるのに無神経なのではないか、少しはそういう人たちのことを考えてみろと言われかねない。

この辺は少しは変わりつつあるのですが、まだまだ現時点で「成功」している人に厳しい目を向け、失敗したら「ほら見ろ!」というところもありますよね。本当は「成功を誇りつつ」社会全体に貢献する形になっていくのが一番だと思うのですが。

それが寄付であれ、支援や投資、サポート、依頼したり、雇用するのであれ。


P211
 結局この三十代くらいの世代は、頑張ってもあまり良いことがない。頑張りきれないのでなんとか助けてほしいと言っても、でもそれは自分の努力が足りないんでしょと言われてしまう。

こういった諦念感が先に来てしまうと辛いし、抜け出せなくなるんですよね。四方八方が敵だらけに感じ、何をやっても叩かれ降ろされる。そんな印象になっていくと苦しいだけになる。


★★★

P248
 「助けて」と言えなかった世代が、日本を支える時代がいつかやってくる。そのときこそ、「助けてと言える社会」は存在していてほしいと思う。
 「助けて」と言える人は、人の「助けて」という声にも耳を傾けられる。

搾取構造なんてもってのほかだし、下の世代の手柄を横取りして地位を築くなどしていたらどんどん厳しい世の中になっていく。これから間違いなく少子高齢化が加速する中で、この本が書かれた時より数年が経ち・・・

四十歳以下は人数が急激に、大きく減っていく。減っていく中で社会を支えなければいけない。これは厳しいわけで。それなのに搾取されたり、放逐されたり、厳しいことを言われてもどうにもならないと思う。

今、変革期を迎えた世の中でこの本を読んでちょっと考えてみる、話し合っていくのは有用だと思う。特に厳しい地域社会に陥っているところは早めに若い人を抜擢し、構造を作り変えていかないと益々厳しい感じがする。

能力ある高齢者はそういった世代を側面支援していくことを考えて頂ければ、と思います。どの世代もが協力し、良き社会に向かっていけることが理想的ですね。


とはいえこの問題も吹き出しました。この本とは関係がない全世代共通ですが企業倫理や姿勢も益々問われます。

企業防衛も大事でしょうけど、せっかくそこで働いてくれる人を一方的に切って路頭に放り出すというのはどうなんでしょう?法が悪いような論調もありますが、やはり企業がここまで無茶をやるというのがどうも。。。

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