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囲碁とランニング:苦境をどう凌ぐか

先日の東京マラソンは凄いレースでした。やはり1番の話題は大迫選手の逆転での日本記録更新。4位進出でしたね。その中で注目したのは中盤での1度先頭集団から置いていかれてからの再浮上。トップに追い付くことは無かったですが、先頭争いから脱落してきた選手を捕えて浮上しました。

正直レースを観ていると厳しい状態だったと思います。前方に居た井上選手もペースが落ちてから差が思うように付かず、大迫選手の粘り勝ちのような形でしたが、苦境だったことに間違いはありません。

その時にふとこういった状況を理解するのに囲碁の経験がリンクします。

マラソンは難しいとよく言います。駅伝でも戦略性が伴います。シンプルなランニングですが、極限の戦いになるとまた違った勝利への要素が多くあります。でもそれらを紐解く機会は多くはありません。

だからこそ他スポーツや活動とリンクさせて理解できる幅を増やしていくのが大切だと思います。兵法も活きますよ!どんどんそういった知見を広めたいと思っています。


囲碁でもある苦境と耐え忍ぶこと

勝負がシビアになればマラソンや駅伝も多くの戦略や戦術が必要になります。これは強化・育成段階で落とし込むことが大切です。ですが、とにかく身体を鍛える、心を鍛えることに目がいきがち。本当はそういった部分を意識した学びと実践が大切です。

囲碁ではトッププロはもちろん、趣味でやっている人でもこういった厳しい状況での戦い方、乗り切り方を味わいます。ランニングだけではなかなか味わえないんですよね。

だから囲碁をお勧めします。

これは日頃の仕事においても言えることでしょう。勇猛果敢に打って出ることだけが結果に結びつくわけではない。スピード感を持って、とにかく先行を目指せば良いわけではない。そういった事例は歴史からもマラソンや駅伝からも学ぶことが出来ます。そして若いうちから囲碁を嗜んでおけば多くの理解が得られます。

最初から主導権を握って思い通りに進められればそれは気持ちの良い対局が実現できます。でも大抵はそうはいきません。主導権争いもシビアですし、1手1手打つごとに凄く悩みます。これは有段者でなくてもアマ初級レベルでも同じなんですよね。ルールを覚え、少しずつかじり出すとすぐ味わえます。

思い通りに行かないどころか苦境に、劣勢に立たされることも当たり前にあります。その時どう凌いで勝機を見出すか。


スポーツも最近は「楽しむこと」「生涯スポーツ」が提唱され、過度な「勝利至上主義」は良くないと言われるようになりました。しかし囲碁や将棋は必ず勝敗に結びつきます。

先日こちらを書きましたか、棋譜を残すことも囲碁の取り組みの1つですが、やはりこれも勝利を目指すことは大前提となります。勝利を目指さないで素晴らしい一手は誕生しませんし、棋譜に価値はないと考えられます。

「過度な」というキーワードが大切ですし、どういう勝利の仕方が好ましいかの意識であって、スポーツはやはり勝敗や順位、タイムを競う面の楽しさ、そこから生み出される知見や学び、体験も大いにあります。

ちょっと話はそれたかもしれませんが、どんなに劣勢に置いても「参りました」というまではどこかで挽回を目指していくもの。諦めたらそこで試合終了ですよ、です。


ならば劣勢に置かれている時はどうするか?

状況を冷静に分析し、現在どれくらい負けているのか?今後の展開でどうなっていくのか?このままだとどれくらい負けるのか?相手の力量ではどうなのか?を織り込みながら進んでいきます。

潔い投了はプロの世界の美学ですが、これは相手の力量も解っていて、かなり早い段階から「敗着」が相互に理解できる達人の世界での話。

その領域に達していない我々ではそうそう判断は出来ません。だからしぶとく状況を把握し、逆転する為の最善の手を模索し、勝負手を考えておきます。

そこが大迫選手はあるんですよね。勝ち方を知っているというか、勝負の仕方が上手いというか。トレーニング段階でも色々シミュレーションして鍛えてきてレースに臨んでいると思います。

囲碁でもそういった逆転技、苦境の脱し方、勝負手やじわりじわり追い上げる寄せ方など色々あります。総合的に学び、鍛えていかないと級位段位は上がりませんし、勝利を得られないんですよね。

専門的になると難しくなるのでここまでにしますが、クレバーさというのはそういった裏付けある「状況判断力」や取り組んできた内容で決まるものだと思います。オアニックになるのは心理面だけではなく、こういった部分が大きい。だから勝利した人は「努力は裏切らない」と発言するのだと思います。

逆にトレーニングをがんがんやってきていても、思考力やこういった駆け引きや戦術、戦略、それらを落とし込むまでの総合的な取り組みをしていなければ「努力は裏切る」可能性は大いにあります。あれだけ練習したのに、が通用しない世界。

「結果が全て」という文言に押されてプロセスよりも結果ばかりを気にしてしまうのは大変もったいない。「結果」に対するプロセスが適切かどうか?そして結果からプロセスを見直して不足していたことを導き出す為に「結果が全て」という言葉があるのだと思います。

原因を素質など、他のものに転嫁してしまうことも往々にあります。でもそれは凄く勿体ない。

囲碁とランニングをリンクして考えると思考の幅も変えていけると思います。そういう部分に神屋の経験や取り組み、強みがあると自負しています。

ぜひ少しでも興味をお持ち頂ければ幸いです。

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