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本にまつわる/書くこと/読むこと note

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noteを書く&続けるヒントに。読むこと、本のこと。つまり活字は楽しい📖
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#コラム

ペース配分ってなかなか難しい

多くのnoteを書こうとすると、どうしてもある程度の分量を書こうとしてしまいます。あまりに短いと他のSNSなどの差異を見出しにくくなりますし、がっかりされるのも嫌だなと思います。 一方で、自分が誰かのnoteを読む際には長さをそこまで意識するかというとそうでもありません。もちろん、シェアするアクションをする基準は、何かしらのキーワードと、1000字程度の分量は基準になっている感じがありますが、読むだけなら短くてもぜんぜん良かったりします。 どんな活動、行動もそうですが、自

正直、本を持ち続けることって意外と重い

電子書籍の使い勝手がよいわけではないですし、どこでも持ち歩ける&分量を際限ないくらいに「持ち歩ける」のはメリットではありますが、一方でキンドルだろうが、スマホだろうが、長時間ずっと持って見ていると流石に重いですよね。 ただ、固定し、自動でページ送りなり、スライドなりを仕掛けておけば「持つ」という物理的な重さからは解放され、かなり楽になると思います。電子関係のものですら重いと感じるのに、紙で出来た本はもっと重く感じます。 昔は単行本が良かったのですが、いつのまにやら新書や文

言葉の強さや価値は上がりもすれば、大幅に下落することもある

言葉は人間社会において力強く、価値ある手段です。コミュニケーション、表現、情報伝達など、言葉は私たちの生活に深く結びついています。しかし、その強さや価値が上昇する一方で、大きく下落することもあります。 今回は、言葉の価値や影響に焦点を当て、その強さと価値の上昇と下落について考察してみたいと思います。 まず、言葉の強さと価値が上昇する状況について考えてみましょう。言葉は感情や思想を表現するための有力な手段であり、適切に用いられれば強力な影響を及ぼすことができます。優れたスピ

国語の学力を伸ばすために読書をどう活かすか

読書好きでかつ、加古川優考塾でも子どもたちに読書を薦める立場として、このようなタイトルで興味を持って頂ければとこのnoteを書きます。子どもたちが自然と読書に興味を持ち、読む習慣を持ってくれれば良いのですが、そうは思うように行かないのが現実だと思います。 もちろん、読書は趣味としても役立ちますし、大人になっても仕事などでの書類などを読む力、コミュニケーション能力に繋がるし、学生、生徒のうちは「学力」としても基礎構築に役立ちます。直結するのは国語ですが、もちろん、すべての教科

スマホ入力が辛いと感じるようになって

いつからかスマホ入力が辛くなっています。noteや記事を読む分にはスマホを使うのはぜんぜん問題ないですが、入力となるとしんどさが活用になりました。 1つの原因として、2023年から習慣化した音声入力が挙げられます。音声入力し、パソコンで修正、完成する。その流れが確立したことでスマホを使う習慣が少し下がりました。 さらに生成AIなどの活用によって影響を受け、短文投稿が減り、ラインなどもパソコンである程度は行い・・・となり、パソコンを開く機会が更に増えていく中でスマホ入力の機

素で書いていくこともアリ

肩肘張って書いていくのはしんどいと思います。もちろん、公開する上で大切なのは読者にとってどう感じられるかであり、作者にとってどんなイメージがつくかなどの要素は無視できません。 ただ、神屋もそうですが、もう6年もnoteを書き続け、累計3800本を超えてくると堅めの文章だけでなく、様々な幅の文章を公開してきているので、その幅の範囲ならば問題ないし、少し領域を超えて未開拓の地にチャレンジする上でも問題ないと思います。 核さえしっかりしていればある程度の遊び心や揺らぎ、チャレン

創作者のプライドをどこに置くべきか

創作者にとって、プライドは重要な要素だと思います。自分の作品に誇りを持ってこそ、より良い作品を生み出すことができると思います。これはアスリートも同じで、自分のやってきたことに自信が持てないと勝負しきれないし、チャレンジもできません。しかし、プライドが行き過ぎると、かえって創作活動を妨げてしまうこともあると思います。アスリートなら変化に対応できないとか、筋が外れたときに修正ができないとかいろいろな不都合が生じます。では、創作者、アスリートはプライドをどこに置くべきなのでしょうか

やっぱりプロのライターは文字数も自由自在に操る?

プロのライターは、文字数を自由自在に操ることができるのでしょうか?普段からこうしてnoteを書き続けていますが、ある程度の字数以内にうまく収めたいと思っても、過不足なく収めるのには難儀します。みなさんは小学生や中学生の頃に読書感想文で苦労した経験はありませんか?学生のレポートなどもそう。大人になってくるとそこまでシビアにならないかもしれませんが、文字数をうまく制御できたほうが良いですよね。 単に文字数を制限された中で文章を書けるという意味ではなく、伝えたい内容や読者のニーズ

過去noteにも手を入れよう:noteのストック性を紐解く

noteはストックとしての価値が高く、流れていくものではなく、そこにしっかりと残っていく拠点となり、コンテンツが蓄積し財産となる。 そういった考えのもと、クリエイターも取り組んでいる方が多いのではないでしょうか。一方で読者の立場から見ると、noteそのものの改善の余地はまだまだあり、運営さんに頑張っていただけると嬉しいなと思うところでもあります。 noteのストックとしての価値や、クリエイターにとっての資産価値というのは、note内だけで完結する話ではなく、外部検索による

ひと・もの・コンテンツにもメンテナンスが必要

シンプルに効率よく質を高めて量を抑える。この方法の最大のメリットは、無駄が生まれにくいとともに、量が増えればそれだけ、そこにつながる機会が加速度的に増えます。ですが、デメリットとしてはその分メンテナンスをしなければならないことが付随します。 動けば動くほど、増やせば増やすほどそこに付随するものはどんどん加速的に増えていきます。それは必ずしも悪いわけではなく、プラスに働くこともありますが、限られたリソースの中で何かを行う際にはそれが大きなネックになることも多々あります。 本

言語化しにくいものにもトライする精神は大切

なんとなくですが、言語化しやすいものとうまく言語化しにくいものがあります。スポーツはまさにそうですが、ほとんどが暗黙知などであり、言語化できるものではなかったりします。 かといって、昔の一子相伝のように暗黙知の継承を中心に行なっていると広がりが持てませんし、多くの人に知らせることができません。どうにかして言語化しにくいものを言語化していく。 言語化することで最初は誤解が生まれたりしたとしても、なんとか言語化していくことにチャレンジしていく姿勢と意識が必要なのではないでしょ

いずれにせよ、まずは覚えてもらうところから

何はともあれ、覚えてもらうことがまず一番です。認知されなければそのサービスも事業やコミュニティも存在しないのと同じです。何をするにもまずスタートは認知されること、覚えてもらうことだと思います。そこからどうやってより良いものを築いていけるか考えることが必要な順番になると思います。 発信するとなるとなんとなく、個人の承認欲求がという話になりがちですが、実際のところ個人であれ組織であれ何であれ、何かを実現していくためには、認知されていないものは何も残すことができません。 そうい

「発信」を徹底するなら、1日24時間は不足?

正直なところ、どうしようとも、もがこうとも1日が24時間だということは変わりません。ただ、意識の持ち方や工夫次第では、その24時間の内容を変化させることができる。より良いものにすることができるとは思います。 どんなことでも一緒ですが、1日24時間では足りない。なぜ足りないと思うかを考えたいところですね。足りないなんて思うことがない人もいます。一方で、いつも時間が足りないと感じてる人は「なぜ?」かを考えたいところです。 発信をする上でもコンテンツ制作の方に目を向けると、24

枯渇するイメージは持っていない

正直なところ、noteを書いていく上でネタが枯渇することはないと思っています。あるとすればインプットや作っていくこと、手を入れていくことが面倒になっている時や、時間が本当にない時でしょうね。気力や体力がなければ流石に手を入れていくことは出来ないと思います。 今ならば生成AIもあることから、ちょっと悩んだら放り込んでみると良いですよね。「ネタが思い浮かばない」「どうすれば良い?」でも応えてくれるでしょうし、ネタがない時のおすすめ◯選とか、ネタがない時に取る行動◯選とか、幾らで