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Vol.02「タイトル」


タイトル


 白髪一雄という画家はご存知でしょうか。彼は戦後の日本の現代美術を牽引した代表的な画家の一人で、僕の研究対象は彼の作品群なのです。白髪は足を筆がわりにして描く技法、フット・ペインティングを用いることで有名な、独自性の高い作家です


《天空星急先鋒》白髪一雄,1962年


 彼は2008年に亡くなっておりまたメディアの露出も少なく、著作もないため、頼りになるのは彼の作品と数少ないインタビュー記事や論稿、そして美術史家による研究資料です。
 僕は毎日、夜な夜な作品の鑑賞と読書で大忙しです。


 白髪自体については今回あまり多くは触れません。いつか記事にするか、小出しで紹介していきます。


 さて、ちょうど3年前にNYのギャラリー、ファーガス・マカフリーのインターネット上のバーチャルスペース「FM VIRTUAL」にて開かれた「白髪一雄:水滸伝豪傑シリーズ展」について調べていました。

 白髪は活動初期、明代の中国白話文学『水滸伝』の登場人物である108人の豪傑たちの名が付けられた全108点の絵画、「水滸伝シリーズ」を作りました。その中の厳選された27点が日本をはじめとする世界中の美術館から集まり、コロナ禍の2020年にバーチャルで企画展が行われました。


 その企画展に際して、ギャラリーオーナーのファーガス・マカフリーを解説とし、キュレーターのポール・シンメルとアートアドバイザーのアラン・シュワルツマンが討論をするバーチャル・ツアーの動画を発見しました。

 下の動画の5:00〜13:00の意見交換を見てください。


 この時代の白髪の制作スタイルはまず、絵画にそれを説明するようなタイトルは不要だとされていました。
 しかしそれでは、せっかく自身の絵画を評価してくれる海外をはじめとする美術館が搬入、整理する際に困ることを理解したため、彼は出来上がった作品にタイトルを「後から」付けるようになったのです。


 この水滸伝シリーズを完成させたのちの白髪は、徐々にコンセプト、自身の着想をその作品作りに取り入れていきます。逆に、このシリーズの作品は血のイメージ、力強さ、暴虐性を表現しようとしたアクションの中で、生まれた作品に対して水滸伝の豪傑の名を「後から」付けたようです。

 そしてそれらはおそらく単なる分類と整理のためだけに付けられた無意味で、narrativeを含まない命名である可能性もあるのです。

 さらに彼自身は作品を観る人たちが、タイトルを鑑賞の補足材料とし、あるいはメインに読み解こうとするという鑑賞態度を想定していなかったようです。

 これは奇妙に思われますがある程度の妥当性を保っています。なぜなら彼の所属していた美術グループ「具体美術協会」のメンバーは皆決して語ろうとせず、作品のみに物語をさせようとしていたため、同様の指向性を彼が持っていても何ら不思議では無いと考えます。



 しかしながら討論の中でアラン・シュワルツマンの言及した通り、本当にこれらの命名と作品を切り分けることができるのでしょうか。



つまりこれらの白髪の作品の中に生まれる物語に対し、水滸伝という文学のコンテクストを全く排した、単なるイメージ自体の考察だけを進めるというアプローチは本当に正しいのでしょうか。



 これに対してポール・シンメルが非常に有用で、極めて痛快な視座を提示していることは言うまでもありません。


当時の日本において作品、コンセプトよりもプロセスが重視された風潮があり、アクションペインティングを開始した初期の白髪もプロセスに傾倒していたことは事実でしょう。

 なぜなら彼の初期の作品のほとんどが遺されていないのは、展示が終わるとすぐに彼自身が破棄してしまったからであり、それだけ白髪は制作の手法や形式のみを重要視していたようです。


 しかしながら作品にタイトルをつける必要性が生まれた際に、たくさんの選択肢が無限のように広がっている中で、水滸伝の豪傑たちを題名に選んだという事実が、白髪という一人の作家について何かしらのアプローチをしていることは認めても良いでしょう。


 シンメルはこの命名について豪傑たちへの尊敬の念、中国古典の悪党のもつ「日本らしさ」とはかけ離れた野蛮さやパワフルへの憧れが現れていると考察していますが、この辺りの洞察についてはさすがと言わざるを得ません。

 すっかりおじいちゃんになってしまって、動画内では詰まりながらゆっくりと語っていましたが、さすがはロサンゼルス現代美術館MOCAの名キュレーターですね。



命名の難しさ


 さてデザイナーや建築家の観点からも、作品とタイトルについては慎重に取り扱わないといけないでしょう。


 プロとは違って、コンペや卒業制作などの学生の作品の多くにはタイトルがつけられますが、これらは決まって最初に読まれるものであるにも関わらず、ほとんどの場合でそれらが制作の原点として固まっているわけではありません。


つまり、タイトルを決定してから制作を展開することはあり得ないと言うことです。


 なぜこの事実が重大性を孕んでいるのでしょうか。

 それはタイトルと言う名前はその制作の要約的な役割を果たす(べきであると言ったほうが正確であるかもしれませんが)のに対して、その意味の大きさやインパクトに引っ張られて、それまでの制作のプロセス、作品としての文脈が容易に変形してしまうからです。


 ですから口下手でそれに怯えた美術家たちは命名することを避け、現代美術の作品には「無題」や「untitled」と言うネーミングがなされるブームが存在しました。


 しかし僕自身の見解としては、命名することを恐れないほうがいいと考えます。


 常々思うことですが、言葉というのは生き物なのです。

 言葉とは、使用する人々の頭の中にそれぞれのスタイルで生きている概念であり、全員に完全に同じで固有のものではありません。


 したがって言葉はゆらぎを持っており、その言葉が表している領域と表していない領域を変動させながら揺蕩うように存在するのです。


 しかしながら、言葉はパワーを持っています。

 言葉はそれ自体が表せるコトしか言及しません。人によって認識に差異はありますが、ある程度正しい、共通の意味内容を有していれば、言葉は明快な意味を伝達します。
 つまり、言葉は言い切ってしまうのです。


 したがって長く取り組んできた自身の制作活動を、集大成として短いタイトルで要約すると言う行為は非常に難しく、ほんの小さな言葉の選択によって伝わるニュアンスは大きく変わってしまいます。

 それゆえに未熟な作家の作品のタイトルは文章化し、名詞の修飾が長ったらしくなってしまうことが往々にしてあります。


 しかしながら言葉はうまく使いこなせれば、とてつもない魔力を発揮するのです。

 ですから言い切ること、言葉を選ぶことから逃げずに闘いたいと僕は思うのです。


 古いけや かわず飛び込む 水のおと
                        松尾芭蕉




おわりに


 随分長い間更新することができませんでした。前回から一ヶ月も空いてしまいました。何だか書く内容が思いつかなくてその内億劫になってしまいましたね。

 しかし今回の内容も、序盤に何となく僕自身の研究内容の話でも書こうかなと思って書き始めたら、いつの間にか違うところに来ていました。今回の話はどちらかといえば作家として、歌人としての矜持みたいなものが強かったかもしれません。

 また短歌についても記事にしてみたいです。白髪一雄についてもまた書きます。

 次回はいつになるのでしょうか。。。

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