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1977 AKIRA

今振り返ると、私の人生の中で(記憶のある中で)、唯一ストレスフリーだったのは小学校3年生の時だったと思います。

習い事は週2回のスイミングだけ。3校目の小学校にもやっと馴染め、方言も出なくなったし、勉強できるキャラで通っていたし、休み時間にドッチボールをしなくても許されるようになったし、何よりも圧をかけてくる大人も、また同級生もいなかったです。相変わらず通信簿には協調性なしと余計な評価はつけられていましたが。

とにかく一人でいることが多かったです。誰かと話を合わせるわけでも、また、流行りに飛びつくわけでもなく。自分は自分。大切なのは自分のペース。

夏休みは、ほぼ毎日、住んでいたマンションから30分歩いて小学校のプールで泳いでしました。プールもクラスメイトが一緒というわけではなく一人でした。そして自転車に乗って一人でクワガタを取りに行ったり。

そうそう、漢字は4月に1年分を全て覚えて、算数と理科は4月に全部問題を解いてしまい、社会はもともと好きだったから何もしなくても良かったし。

吉田拓郎さんのAKIRAは、1993年のNHKのスタジオで収録されたチャリティーのスタジオライブで初めて演奏されました。私にとってのAKIRAは父親であり、次男であり、小学校1年生の時の大野君(多分小6)であり、小学校2年生の時の小倉君(多分小4)。そして会社に入って(体調を壊していた時)は田畑さんという部長でした。

来年は僕等も小学生になる でも 同じ学校へは行かないだろう
「俺はもっと男をみがくから お前は勉強にはげめ」と言われた

尊敬するAKIRAとも お別れだ 自信は無いけど 一人でやってみよう
夕陽に向かって走って行く あいつの姿を 忘れない

生きて行く事に とまどう時 夢に破れ さすらう時
明日を照らす 灯りが欲しい時 信じる事を また始める時

AKIRAがついているさ AKIRAはそこにいるさ
シュロの木は今も 風にゆれている

2014年、拓郎さんの「AGAIN」というアルバムにこの曲が21年ぶりに歌われました。ボロ雑巾になって家から出ることができなかった時に、拓郎さんの首都圏ツアーが確か5本行われました。東京→千葉→川口→横浜→東京。初日は多分6月30日だったと思います。チケットを持っていましたが、とっても外に出る気になれませんでした。行かないつもりでしたが、夜、秋葉原のサイゼで友達がご飯を食べないか、と誘ってくれました。なので、結構無理して夕方、2週間ぶりにチケットを持って東京国際フォーラムへ。

考え事をしながら観ていたのでライブはほとんど覚えていません。しかし、AKIRAを歌う拓郎さんを観て、競争と組織の中で生き続け、自分を褒めることなくいじめ続けてきたことになんとなく気づき、そしてAKIRAの姿が田畑さんに重なり、田畑さんに会いに行こうと決めました。七夕の日、川口公演の前に会社に行って会いに行きました。

いくつか言われたことを覚えています。

「あの時があるから今がある」
「今の職場でのんびりやってほしかった、頑張ってほしくはなかった」
「結果を出すんなら、どんなやり方でやってもいい、そういう仕事が中井ちゃんにはあっているよね」

あれから9年。もうどんな環境でも大崩れすることはないと思います。自信はないけど私は一人でやっていけるとは思います。もともと一人でやっていくのが好きなんだし。そう小3の頃と同じ。

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