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春の備忘録

春になると、安堵が心の余白を埋めてくれるようになる。どれだけ焦燥感に苛まれていても「もう大丈夫」と思えるような、ある種の諦めとも言えるような感情が生まれる。

遂に大学4回生になってしまった。就職活動においては、とくに熱心に注力しないまま、自分が満足できる程度の戦績を重ねてこれた。自分が思っているよりも、自分は平凡だと言い聞かせた。事実ではあるけど、その事実が結構悲しい。でも、もう傷つきたくなかった。

高校2年生の終わりまで、夢があった。小学校のときからずっとデザイナーになりたかった。自分の平凡さに気づかない私がいなくなったと同時に、夢はなくなった。17歳で夢を失って、なんとなく大学に入って、なんとなく就職活動をしている。なんとなくを繰り返すと、妥協になることを私は知らなかった。

昨日、毎日通る道中にある公園の、桜並木に色がついていた。冬が明けた、日差しが気持ちのいい午前だった。一つひとつの花を見ていたかったけれど、バイト前だったのでそのまま自転車を漕いだ。
その横に隣接するマンションの、ある一室のベランダには、ちょっとしたテーブルと椅子が置いてあった。たまに、外から室内の観葉植物やお洒落な絵画が見え、そのセンスの良さに惹かれていた。
その日もふとそのベランダを見ると、夫婦と4歳くらいの女の子が、そのちょっとしたテーブルでご飯を食べていた。女の子の着る淡いピンクのワンピースは揺れていて、眼鏡をかけたお父さんとポニーテールのお母さんは笑っていた。

私はこれになりたいと思った。22歳目前にして、夢ができた。いつか桜か海が見える家に住んで、ベランダからそれを見ながらご飯を食べよう。そこに好きな人と、その人との子どもがいればさらに良い。

なんとなくを重ねてきた人生、今回もなんとなくいいなと思っただけ。でも、これは妥協じゃなくて、ぼやぼやしているけれど確信的な夢だった。ひとつ、夢を見つけた春。平凡でも、それが良いと思えた。

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