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コロナ禍だからアメリカへ

昨年、新型コロナウイルスの影響で1年間のアメリカ留学が中止になってしまいました。おかげで外国に行きたい欲がどんどん高まっているところです。

コロナ禍でどこにも行けないといっても、せっかくの夏休み。少しでもアメリカを感じたいと思い、米軍横田基地が市域の1/3を占める「福生(ふっさ)市」に行ってみることにしました。

ちょうど横田基地周辺のアメリカンストリートを散策できる「ふっさんぽ 異国情緒を体感ルート」があり、とりあえずその通りに進んでみることに。

まず福生市のお隣、昭島(あきしま)市の拝島駅からスタート。当然はじめはただの「日本」なので、国道16号線沿いをもう何も考えずにひたすら歩きます。

10分ほど歩いて基地は見えてきたものの、周辺にアメリカらしさはあまりありません。

しかし福生市に入った途端、変化が。
「DEMODE DINER」というアメリカンフード店が突然現れたのです。
しかも道路沿いに植えられている木は、見慣れた広葉樹林からヤシの木に。そこからはアメリカン雑貨店、古着屋、ハンバーガー屋など「アメリカらしい」お店が立ち並びます。

英語の看板、ヤシの木、そして右手には基地。
見える景色はもう「アメリカ」でした。

歩いていく中で印象的だったのは、至るところに“FRIENDSHIP”という単語が使用されていたことです。

基地周辺のお店を紹介するマップにはFUSSA“FRIENDSHIP”PRIMENADEと書かれているし、途中には“FRIENDSHIP”PARKなる公園もありました。


でも、私は“FRIENDSHIP”という単語にほんの少しだけ違和感を感じてしまいました。

なぜならアメリカンストリートの店員も訪れる客も日本人ばかりで、アメリカ人を見かけることはほとんどなかったからです。

そもそも日本の米軍基地は、日米両政府の意向によって作られたもの。そのためアメリカンストリートができた経緯は「横浜中華街」や「新大久保コリアタウン」と異なり、外国人移住者が集まってできたわけではありません。


また話が少し飛んでしまいますが、皆さんは基地の中に入った経験はありますか?
私は高校生の時、米兵に基地を案内してもらうプログラムで横田基地内に入ったことがあります。

「基地」ってすごくて、学校、職場、住居、スーパー、公園、レストラン何でもある。本当に敷地内だけで暮らせるようになっているんです。「ここは本当に日本?」と驚いたのを覚えています。

国家間の取り決めによって共生が始まった一方で、生活は基地内で完結する。だから日本人と基地内のアメリカ人は、他のリトル〇〇(外国名)と違って日常的な関わりは少ないのではないかと感じてしまいました。

そんな中でアメリカンストリートの
FRIENDSHIP”はどう育まれているのか…

ブルーシールアイスクリーム(塩ちんすこう味)を食べながら、「基地のまち」をもっと知りたいと思った1日でした。


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